闡提(せんだい)半月二根無根のたぐひなるは、世に多きものなりとのたまへば(奇異雑談集)、
にある、
闡提半月二根無根、
は、
仏教で、到底成仏し得ぬ者である闡提の身、半陰陽の者と、男根と女根(陰)の二根いずれも持たない者、
と注記がある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。
闡提、
は、
一闡提(いつせんだい)の略、
とあり、
一闡提、
は、
梵語icchantikaの音写、
詳しくは、
一闡底迦(いっせんていか)、
と音写され、
闡提、
と略称された(日本大百科全書)。原意は、
名聞利養を欲求しつつある人、
とするが、その語源については種々に論議があり、
欲する者、
の意で、
他人の得る世俗的な利益をみてこれに嫉妬して、それを得ようと願う者、
の意味であった(ブリタニカ国際大百科事典)ともある。仏教では、
仏教の正しい法を信ずることなく、悟りを求めないために成仏の素質や縁を欠く者、
仏教の正法を毀謗(きぼう)し、救われる望みのない人、
を意味し(世界大百科事典)、これが、
極欲(ごくよく)、
信不具足(しんふぐそく 信をもたない者)、
断善根(だんぜんこん 善行を断じた者)、
等々と漢訳され(仝上)、
釈尊遮闡提、得人身徒不作善業、聖教嘖空手(「願文(785)」)
と、
解脱の因を欠き、成仏することのできない者、
の意だが(広辞苑)、『楞伽経』では、
この「闡提」には、もとより解脱(げだつ)の因を欠く、
断善闡提、
と、菩薩が衆生(しゅじょう 生きとし生けるもの)を救済する大悲(だいひ)を行って故意に悟りに入らない状態にある、
大悲闡提(または菩薩闡提)、
の2種にわける(精選版日本国語大辞典・日本大百科全書)。
地蔵菩薩、
十一面観音、
のように、
一切のかよわき命総てを救うまではこの身、菩薩界に戻らじ、
との誓願を立て、人間界へ下りた一部の菩薩について、
一斉衆生を救うため、自ら成仏を取り止めてあえて闡提の道を取った仏、
として、一般の闡提とは区別して、
大慈大悲闡提(または大悲闡提)、
と呼称する(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E9%97%A1%E6%8F%90・仝上)とする。
別に、しばらくは成仏できないが仏の威力(いりき)によって成仏するに至る、
有性(うしょう)闡提、
と、けっして成仏することのできない、
無性(むしょう)闡提、
とに分ける場合もある(日本大百科全書)ともある。
一闡提が仏陀になり得るかどうかについては古来重要な論争があった(仝上)が、
衆生の根機をえらばねば、五逆闡提もみなうまる、このゆゑわれら本願に、帰して御(み)なを称念す(「浄業和讚(995~1335)」)、
と、
中国や日本では一闡提でさえも最終的には成仏できるとする説が次第に強くなり、盛んに議論された、
とあり広辞苑)、大乗涅槃経では、
一切衆生悉有仏性、
を説き、いかなる人も成仏する可能性をもつことを強調する天台宗・華厳宗その他大乗の諸宗はこれを肯定するが、法相宗はこれを否定する(世界大百科事典)とある。
(「闡」 説文解字・漢 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%97%A1より)
「闡」(セン)は、
会意兼形声。「門+音符單(ひとえ、平ら、奥がない)」、
とあり、「闡発(せんぱつ)」と、あける、開く意と、「闡明」と、明らかにする、意とで使う(漢字源)。
闡は、開也、明也、大也と註す。暗を開き、明らかにするなり、闡幽と用ふ、
とある(字源)。「闡提」の「闡」が音写の所以である。
「提」(漢音テイ、呉音ダイ)は、
会意兼形声。是(ゼ・シ)は「まっすぐなさじ+止(あし)」の会意文字で、まっすぐ進むことをあらわす。提は「手+音符是」で、まっすぐに↑型にひっぱる、差し出すこと、
とある(漢字源)。別に、
会意兼形声文字です(扌(手)+是)。「5本指のある手」の象形と「柄の長く突き出たさじの象形と立ち止まる足の象形」(「柄の長く突き出たさじ」の意味)から「手にさげて持つ」を意味する「提」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji773.html)。
参考文献;
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95