2022年09月15日

業障


我々は、男身にはかに変じて女身になり候こと、あさましき進退、業障(ごうしょう)深重(じんじゅう)に候(奇異雑談集)、

にある、

業障、

は、

仏教で、悪業をつくって正道を邪魔する三障、または四障の一つ、

と注記がある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。因みに、「深重」(しんじゅう)は、

古くは「じんじゅう」、

とあり、

幾重にもつみ重なる、

意である(精選版日本国語大辞典)。

業障(ごうしょう)、

は、

ごっしょう、

とも訓み、

悪業のさわり、

の意で、

悪業(あくごう)によって生じた障害、

であり、

五逆、十悪などの悪業による罪、

とある(精選版日本国語大辞典・広辞苑)。「五逆」(ごぎゃく)とは、

五逆罪、

ともいい、仏教で説く、

五種の重罪、

ともいい、この五つの重罪を犯すと、もっとも恐ろしい無間地獄(むけんじごく)に落ちるので、

五無間業(ごむけんごう)、

ともいう。その数え方に諸説あるが、代表的なものは、

母を殺すこと、
父を殺すこと、
悟りを開いた聖者(阿羅漢)を殺すこと、
仏の身体を傷つけて出血させること(仏身を傷つけること)、
仏教教団を破壊し分裂させること(僧の和合を破ること)、

とされる。前二者は、

恩田(おんでん 恩に報いなければならないもの)に背き、

後三者は、

福田(ふくでん 福徳を生み出すもの)に背く、

もので、仏法をそしる謗法罪(ぼうほうざい)とともに、もっとも重い罪とされる(日本大百科全書・広辞苑)。

「十悪」(じゅうあく)は、

離為十悪(南斉書・高逸伝論)、

とあるように、

身、口、意の三業(さんごう)が作る十種の罪悪、

の意で、

殺生(せっしょう)・偸盗(ちゅうとう)・邪淫(じゃいん)、

の、

身三(しんさん)、

妄語(もうご)・両舌(りょうぜつ)・悪口(あっく)・綺語(きご)、

の、

口四(くし)、

貪欲(とんよく)・瞋恚(しんい)・邪見(じゃけん)、

の、

意三(いさん)、

をいい、

げに嘆けども人間の、身三・口四・意三の、十の道多かりき(謡曲・柏崎)、

と、

身三口四意三(しんさんくしいさん)、

という言い方をする(精選版日本国語大辞典・広辞苑)。この逆が、

十善(じゅうぜん)、

で、

十悪を犯さないこと、

で、

不殺生・不偸盗(ちゅうとう)・不邪淫・不妄語・不綺語(きご)・不悪口(あっく)・不両舌・不貪欲・不瞋恚(しんい)・不邪見、

といい、

十善業、
十善戒、
十善業道、

という(仝上)。

「三障」(さんしょう)は、

正道やその前段階である善根をさまたげる三つのさわり、

の意で、

煩悩障(ぼんのうしょう 貪欲、瞋恚(しんい)、愚痴(ぐち)などの煩悩)、
業障(ごうしょう 五逆、十悪などの行為)、
報障(異熟障すなわち地獄、餓鬼、畜生の苦報など)、

をいい、「四障」(ししょう)は、

悟りを得るための四つの障害、

の意で、

仏法を信じない闡提(闡提障)、
我見に執着する外道(外道障)、
生死の苦を恐れる声聞(声聞障)、
利他の慈悲心がない独覚(独覚障)、

の四つを言う(「闡提」http://ppnetwork.seesaa.net/article/491461201.html?1663096126については触れた)が、一説に、

惑障(物に迷うこと=煩悩)、
業障(悪業のさわり)、
報障(悪業のむくい)、
見障(邪見)、

ともある。ついでに「五障」というのもあり、

修道上の五つの障害、

を指し、

煩悩障(煩悩(ぼんのう)のさわり)、
業障(ごつしよう 悪業のさわり)、
生障(しようしよう 前業によって悪環境に生まれたさわり)、
法障(ほつしよう 前生の縁によって善き師にあえず、仏法を聞きえないさわり)、
所知障(しよちしよう 正法を聞いても諸因縁によって般若波羅蜜(はんにやはらみつ)の修行ができないさわり)、

をいう(仝上・世界大百科事典)。ただ、信、勤、念、定、慧の五善根にとってさわりとなる、

欺、怠、瞋、恨、怨、

を五障ということもある(仝上)。

こうみると、冒頭の、

仏教で、悪業をつくって正道を邪魔する三障、または四障の一つ、

という注記は少し訂正が必要である。「業障」は、

三障のひとつ、

ではあるが、

四障のひとつ、

とするには異説があるようだ。

「業」 漢字.gif

(「業」 https://kakijun.jp/page/1366200.htmlより)

「業」(漢音ギョウ、呉音ゴウ)は、「一業所感」http://ppnetwork.seesaa.net/article/485653172.htmlで触れたように、

象形。ぎざぎざのとめ木のついた台を描いたもの。でこぼこがあってつかえる意を含み、すらりとはいかない仕事の意となる。厳(ガン いかつい)・岩(ごつごつしたいわ)などと縁が近い、

とある(漢字源)が、別に、

象形。楽器などをかけるぎざぎざのついた台を象る。苦労して仕事をするの意か、

ともhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%A5%AD

象形。かざりを付けた、楽器を掛けるための大きな台の形にかたどる。ひいて、文字を書く板、転じて、学びのわざ、仕事の意に用いる、

とも(角川新字源)、

象形文字です。「のこぎり状のぎざぎざの装飾を施した楽器を掛ける為の飾り板」の象形から「わざ・しごと・いた」を意味する「業」という漢字が成り立ちました、

ともありhttps://okjiten.jp/kanji474.html

ぎざぎざのとめ木のついた台、

が、

のこぎり状のぎざぎざの装飾を施した楽器を掛ける為の飾り板、

と特定されたものだということがわかる。

「障」 漢字.gif

(「障」 https://kakijun.jp/page/1429200.htmlより)

「障」(ショウ)は、

形声、「阜(壁や塀)+音符章」で、平面をあてて進行をさしとめること。章の原義(あきらか)には関係ない、

とある(漢字源)。遮るの「障害」、防ぐの「堤障」、進行を止めるの「故障」「障壁」、さわりの「罪障」等々と使う。別に、

形声文字です。「段のついた土山」の象形(「丘」の意味)と「墨だまりのついた大きな入れ墨ようの針」の象形(「しるし」の意味だが、ここでは「倉(ショウ)」に通じ(同じ読みを持つ「倉」と同じ意味を持つようになって)、「かくしおおう」の意味)から、丘でかくし「へだてる」を意味する「障」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji989.html

参考文献;
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 04:13| Comment(0) | カテゴリ無し | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
コチラをクリックしてください