2022年09月16日
洒掃
名をば何と申して、酒掃(さいそう)をいたし、古則法問を糾明し、夜話坐禅をおこたる事なく(奇異雑談集)、
とある、
「酒掃」は、「古則話頭」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/491390938.html?1663096955)でも触れたように、
水をそそぎ、塵を掃っての掃除、禅宗の修行の一つ、
とある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)が、
酒掃、
は当て字で、本来は、
塵を掃ひ、水を洒(そそ)ぐこと(大言海)、
意の、
洒掃、
あるいは、
灑掃、
と当てる。「洒掃」は、
夙興夜寝、洒掃廷内(詩経)、
と漢語で、
洒掃応対、
とも使い、
子游曰、子夏之門人小子、當洒掃應對進退、則可矣、抑末也、本之則無、如之何(論語)、
と、
水をまきてはらひきよめ、尊長者の呼ぶに応じ、問いに応ふ、皆年少者の職、
とある(字源)。ここで「応対」は、
来客に対する応対、
の意で、広く、
年少者が学ぶべき、日常生活に必要な家事や作法のこと、
の意で使い(四字熟語辞典)、
洒掃薪水、
という言い方もする(仝上)。『論語』の上記、子游の主張は、
抑末也、本之則無、
と、
洒掃応対、
という末梢的なことだけで、根本的なことはない、
という批判にある。それに対して、子夏は、
子夏聞之曰、噫、言游過矣、君子之道、孰先傳焉、孰後倦焉、譬諸草木、區以別矣、君子之道、焉可誣也、有始有卒者、其唯聖人乎、
と、
君子之道、孰先傳焉、孰後倦焉、譬諸草木、區以別矣
と、
草木と同じく育て方は一様ではない、
と反論している(貝塚茂樹訳注『論語』)。しかし、この、
洒掃、
を、
普請作務のところに、かならず先赴す(正法眼蔵)、
と(「普請」とは「衆を普く請す」こと)、
一作務・二看誦(経)・三坐禅、
のひとつ、
作務(さむ)、
として、
行持(ぎょうじ 仏道修行)のひとつとしたのが、禅宗ということになる。禅宗では、「洒掃」を、
しゃそう、
と訓ませるらしい(http://chokokuji.jiin.com/%E3%80%8E%E6%B4%92%E6%8E%83%E3%81%97%E3%82%83%E3%81%9D%E3%81%86%E3%80%8F/)が、作務は、
作業勤務の略、
と言われ、日課である洒掃(作務)は、静の坐禅に対して、
動の坐禅、
といわれ、
仏の行(ぎょう)として取り組む、
とし、
作務の時は作務に徹する、
ことで、作務が分別する心を生じさせない、
仏行三昧(ぶつぎょうざんまい)、
として、自らが仏として現れる、とある(仝上)。
(作務は)禅院では坐禅と同じく大切な修行です。事務仕事から労働作業に至るまで、日常の様々な労務が作務として行われます。特に小食(朝食)後に行われる作務のことを「日天作務(にってんさむ)」と言い毎日欠かさず行われます。作務の中でも代表的なものが清掃で、水を用いて洗ったり、箒で掃いたりすることから「洒掃(しゃそう)」と言います、
とある(仝上)。
「洒」(漢音サイ・セイ・サ、呉音セ・サイ・シャ)は、
会意兼形声。西は、目の荒い笊を描いた象形文字。栖(ざるのような鳥の巣)の原字。笊の目の間から、細かく水が分散して出ていく。洒は「水+音符西」で、さらさらと分散して水を流すこと、
とあり(漢字源)、「洗」「灑」と同義。「洒掃」と「サイ」と訓むが、「洒脱」と「シャ」とも訓む。
「灑」(漢音サイ・サ、呉音セ・シャ)は、
会意。麗(レイ)は、鹿の角が二本並んで美しいさま。灑は「水+麗(きれいさっぱり)」で、水を流してさっぱりさせること、洒(サイ・シャ)とまったく同じ、
とあり(漢字源)、「灑掃」と「サイ」とも訓むが、「灑脱」(=洒脱)、「瀟灑」(=瀟洒)と「シャ」とも訓む。
「掃」(ソウ)は、
会意兼形声。帚(シュウ・ソウ)は、ほうきを持つさまを示す会意文字。掃は「手+音符箒」で、ほうきで地表をひっかくこと、
とある(漢字源)。
参考文献;
貝塚茂樹訳注『論語』(中公文庫)
簡野道明『字源』(角川書店)
田部井文雄編『四字熟語辞典』(大修館書店)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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