2022年09月17日
三昧
宵より夜の明くるまで三昧を鉦(かね)うちたたきて念仏して通りけり(「義殘後覚(ぎざんこうかく)」)、
とある、
三昧、
は、
墓場、
とあり(高田衛編・校注『江戸怪談集』)、
無縁の聖霊を弔はんために、夜な夜な五三昧をめぐり、念仏を思ひ立つ(奇異雑談集)、
は、
平安末期に著名だった洛中の五ヵ所の死体捨て地。五三昧所(ごさんまいしょ)の略、世塚、三条河原、千本、中山、
鳥辺野の五所、
とある(仝上)。「三昧」は、
三昧場の略、
である。
三昧所、
の意とある(大言海)。「三昧」は、
梵語にて、定(ジョウ)の義、入定(ニュウジョウ 入滅)、火定(カジョウ 荼毘)などより云ふ語、
とある(仝上)。で、
荼毘所、
の意もある(仝上・岩波古語辞典)。「定」は、
心を一処に定めて動くことがない、
の意である(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%98%A7)。合類節用集(江戸時代)に、
三昧場(サンマイバ)、本朝俗、斥葬所云爾、西域所謂、尸陀林、是乎、
とある。「尸陀林(しだりん)」は、
寒林、
とも訳し、
中インドのマガダ国の王舎城の北方にあった死者の埋葬所、
をいい、転じて、
死体を埋葬する場所、
を尸陀林というようになり、
屍陀林、
の字をあてている(ブリタニカ国際大百科事典)、とある。
「三昧」は、
梵語samādhiの音訳、
で、
三摩地(サンマジ)、
三摩提(サンマダイ)、
とも当て(大言海)、原意は、
心を一か所にまとめて置くこと、
をいい、
定(ジョウ)・正定(セイジョウ)・等持・寂静(仝上)、
あるいは、
定(ジョウ)・正定(セイジョウ)・止息、寂静、正受(ショウジュ)(大言海)、
平等・正受・正定(字源)、
等々とも訳す。中国の字典『祖庭事苑(そていじえん)』(宋代)には、
亦云正受、謂正定不亂、能受諸法、
とある。
心を一所に住(とど)めて、動かざること、妄念を離れて、心を寂静にし、我が心鏡に映じ来る諸法の実相を、諦観する、
意で、
禅定(ゼンジョウ)、
ともいう(大言海)。金剛経・註に、
導云真一、儒云致一、釋云三昧、
とある。で、
法華経を読誦(どくしょう、古くは、とくしょう)して、専心に、其妙理を観念すること、
を、
法華三昧(ほっけざんまい・ほっけさんまい)、
というが、転じて、
途中にして此の二人の沙彌、俄に十八変を現じ、菩薩普現三昧(ざんまい)に入て、光を放て、法を説き、前生の事を現ず(今昔物語集)、
と、
精神を統一、集中することによって得た超能力、
の意で使ったりするが、
晩来狩野大炊助来云、此五六十日在大津。与京兆同所。件々彼三昧話之。実異人也(蔭凉軒日録)、
と、
物事の奥義を究め、その妙所を得ること、
の意でも使う。
高眠得茶三昧、夢断已窓明(陸游詩)、
の注解に、
得妙處曰得三昧、柳子厚詩、共傾三昧酒(註「三昧、唐言、正受」)(書言故事)、
ともある。そこから、
専心、
の意の、
俗に、他念なく、其の事を行ふこと、一途に其の事に心を傾くること、
の意で使い(大言海)、江戸後期の『俗語考』(橘守部)に、
歌三昧、仏三昧など平語にも云へり、
江戸中期の国語辞書『俚言集覧』(太田全斎)には、
俗、常に、他念なき事を云へり、……又俗に、何三昧と云ふ語あり、酒狂にて、刃物を抜きたるを刃物三昧と云ふ類なり(是れは、ややもすれを行ふ意なり)、婆さんは、念仏ざんまい、
とある。さらに転じて、
紙子着て川へ陥(はま)らうが、油塗て火に焼(くば)らうが己(うぬ)がさんまい(女殺油地獄)、
と、
心のままなること、勝手、放題、
の意ですら使う。
しかし、「三昧」は、本来、仏教語として、念仏や誦経の場に用い、
阿彌陀三昧、
法華三昧、
といった用い方、また、
一心不乱に仏事を行なう、
意の、
三昧、
で使うのが一般的であった。そこから、広く、
精神を統一、集中する、
意が派生し、近世以降、この仏教的意味の翳から離れて、
ある一つのことだけを(好き勝手に)する、
心のままである、
といった意味を派生し、
ざんまい、
と濁音化し、
放蕩三昧、
悪行三昧、
等々、多く名詞と結びついて用いられるようになった(精選版日本国語大辞典)とある。たとえば、
朝夕弓矢三昧ぞ(古活字本荘子抄)、
と、
その事に専心、または熱中する、
意を表わしたり、
遺恨あらば折こそあらめ、今、時宗に向っての太刀ざんまい(浄瑠璃・頼朝浜出)、
と、
そのことをもっぱら頼りにしたり、その方向に一方的に傾いたりする、
意を表わしたりした(仝上)。
「三」(サン)は、「三会」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/484736964.html)で触れたように、
指事。三本の横線で三を示す。また、参加の參(サン)と通じていて、いくつも混じること。また杉(サン)、衫(サン)などの音符彡(サン)の原形で、いくつも並んで模様を成すの意も含む、
とある(漢字源)。また、
一をみっつ積み上げて、数詞の「みつ」、ひいて、多い意を表す、
ともある(角川新字源)。
「昧」(漢音バイ、呉音マイ)は、
会意兼形声。未(ミ・ビ)は、小さくて見えにくい梢のこと。昧は「日+音符未」、
とある(漢字源)。「暗」「冥」は類義語、「くらい」意である。別に、
会意形声。「日」+ 音符「未」で、未まだ日ひが昇らず「くらい」こと、
とも(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%98%A7)、
会意兼形声文字です(日+未)。「太陽」の象形と「木に若い枝が伸びた」象形(「若い、まだ小さい、はっきり見えない」の意味)から、「暗い」、「夜明け」を意味する「昧」という漢字が成り立ちました、
とも(https://okjiten.jp/kanji2073.html)ある。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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