2022年09月21日
答拝(たっぱい)
おもての座敷に請じ入れて、答拝(たっぱい)すること限りなし(奇異雑談集)、
とある、
答拝(たっぱい)、
は、
中古、大饗(たいきょう)のおりなどに尊者が来たとき、主人が堂をおりて迎え、共に拝したことから転じて、丁寧な取り扱い、
の意とある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。
「答拝(とうはい)」は、
君於士不答拝也、非其臣則答拝之、大夫於其臣、雖賤必答拝之(礼記)、
と、
先方の敬礼にむくいて拝礼する、
意の漢語である(字源)。「答拝」を、
タッパイ、
と訓ませるのは、
「たふはい」の変化した語(精選版日本国語大辞典)、
タフハイの転(岩波古語辞典)、
此の語、たふはいなれども、つめてたっぱいとよむ(大言海)、
とあり、漢語の音読の転訛ということである。『源氏物語』(第四十九帖)には、
あざやかなる御直衣御下襲(したがさね)などたてまつり引きつくろひて、下(お)りてたうのはいをしたまふ御さまどもとりどりにいとめでたく、
と、
たうのはい(答の拝)
とある。
『後松日記』(江戸後期の有職故実家・松岡行義)に、
賀儀ノ時、拜スル人來リテ、先ヅ殿ニ向ヒテ、拜セムトスル時ニ、主人モ庭ニ下リテ、コレニ答ヘテ拜スルコトナルベシト云フ、
とある。名目抄(塙保己一(はなわほきいち)編『武家名目抄』)には、
答拝(タウハイ)、尊者來家拜之時、降堂共拜スルヲ云フ也、
弾正臺式には、
凡親王大臣及一位二位、於五位以上答拝、於六位以下不須、
とあるので、昇殿を許される五位までは「答拝」するが、それ以下は「須(もち)いず」ということになる。
大臣大饗考に、関白殿答拝のことを示すなどあり、関白殿、御出あれば、下りあひて互いに拜することなり、
とあり(大言海)、俗に、
をがみたっぱいすると云ふ、
ともある(仝上)。この、
大饗の際など、身分の高い人が来臨した時に主人が堂を降りてともに拝礼する、
という意が、転じて、
たまのかぶりをちにつけて、たっはいめされておはします(説経節「さんせう太夫ろ」)、
と、
丁重なお辞儀、
丁寧なあいさつ、
の意に変わり、
あまりにわらはをちそうたっはいめされ候つる程に(御伽草子「彌兵衛鼠」)、
余人は知らず某へは、逆様に這つくばい、馳走答拝(タウハイ)すべき筈(浄瑠璃「伽羅先代萩」)、
などと、多く、
馳走答拝、
の形で、
手厚いもてなし、
丁重な取り扱い、
立派な待遇、
といった意でも用いる(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)。なお「馳走」については「ごちそうさま」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/447604289.html)で触れた。
因みに、「大饗(たいきょう)」は、
だいきょう、
とも訓み、「大饗」は、
みあへ、
「大御饗」は、
おおみあへ、
と訓読される(精選版日本国語大辞典)。
もともとあった饗宴名に漢語があてられ成立した、
とみられる(仝上)。
饗(あへ)の大なるもの、
の意で、「饗(あへ)」は、
あふ(饗)、
の名詞形で、
饗応(きょうおう)する、
ごちそうする、
意である。「大饗」は、
平安時代、年中行事として、内裏または大臣の邸宅で行われた大きな饗宴、
で、
二宮(にぐう)の大饗、
大臣(だいじん)の大饗、
があり、二宮(にぐう)の大饗は、
禁中正月二日の公事なり、群臣、中宮東宮に拝礼して後に、玄輝門(げんきもん 内裏の内郭門の1つ)の西廊にて、中宮の饗宴を受けて禄を賜り、続いて東廊に移って東宮の饗宴を受けて禄を賜る、
とあり(大言海・https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%A5%97)、大臣の大饗は、
大臣に任ぜられたる人ある時にあり(任大臣大饗)。又大臣家にて、正月、面々次座の大臣以下の公卿を里亭(公卿の私邸。里は内裏に対する語)に招き請じて饗すること(正月大饗)、
とある(仝上)。因みに、「祿を賜る」とは、
功を賞し労をねぎらうために、布帛や金銭などを「禄物(ろくもつ)」や「かずけもの」として賜る、
の意とある(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1373659198)。
室町時代には、この「大饗」の様式が変化して、
本膳料理、
が成立するが、「本膳料理」は「懐石料理」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/471009134.html)で触れた。
「答」(トウ)は、「いらう」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/484667446.html)で触れたように、
会意。「竹+合」で、竹の器にぴたりとふたをかぶせること。みとふたがあうことから、応答の意となった、
とある(漢字源)。別に、
形声。竹と、音符合(カフ)→(タフ)とから成る。もと、荅(タフ)の俗字で、意符の艸(そう くさ)がのちに竹に誤り変わったもの。「こたえる」意を表す、
とも(角川新字源)ある。
「拝(拜)」(漢音ハイ、呉音ヘ)は、
会意。両手を合わせる様。元は、「𢫶(上部は両手で、下部は「下」)」。古体「𢱭」は、「手」+「𠦪(『説文解字』においては音「コツ(忽)」)」、
とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%8B%9D)、
「整った捧げ物」(藤堂明保)、
「花束」(白川静)、
と、「𠦪」の解釈が分かれる。
それらを両手に持ってささげる様、
の意で、「花束」も「捧げもの」の一つと見なせば、
「整った捧げもの+手」で、神前や身分の高い人の前に礼物をささげ、両手を胸もとで組んで敬礼することを示す(漢字源)、
会意。手と、𠦪(こつ は省略形。しげった草を両手で持つ)とから成る。両手に草を持って神にささげるさまにより、神にいのる、「おがむ」意を表す(角川新字源)、
会意文字です。「5本指のある手」の象形(「手」の意味)と「枝のしげった木」の象形から、邪悪なものを取り除く為に、たまぐし(神社を参拝した人や神職が神前に捧げる木綿をつけた枝の事)を手にして「おがむ」を意味する「拝」という漢字が成り立ちました(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%8B%9D)、
の諸説は、広く「捧げもの」とみられるが、別に、
会意形声。「𠦪」は「ヒ(比)・ヘイ(並)」の音を有する「腹を割いて晒した生贄」(山田勝美)、
とする説も、「捧げもの」説に含まれる。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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