いかさま人の一念によって、瞋恚のほむらと云ふものは、有るに儀定たる由(義殘後覚)、
にある、
いかさま、
は、
如何様、
と当て、「いかもの」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/484310550.html)で触れたように、
イカサマ(いかにもそうだ)と相手に思い込ませることから(ことばの事典=日置昌一)、
等々が由来として、
いかさまもの、
つまり、
いかさま博奕、
というように、
いんちき、
まがいもの、
まやかしもの、
等々の意で使うが、ここでは、
たしかに、
の意で、
発語、
として使っている(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。ちなみに、「発語」は、
はつご、
ほつご、
とも訓み、
蔵人弁為隆年号勘文三通、於内大臣可定申者、……各撰申、但新宰相依初度被免発語(「中右記(1106)」)、
と、
漢語であり、
言い出す、
言い始める、
意で、
言い出しの言葉、
言い始めの言葉、
として使い、そこから、
さて、
そもそも、
およそ、
いざ、
等々の
文句のはじめに置かれることば、
文章や談話で、最初に用いられることば、
としても用い、その延長線上で、
地口といふものも、発語(ホツゴ)の文字が同字なれば、冠(かぶり)と申て忌(いむ)げにござる(滑稽本・浮世風呂)、
と、
五七五形式の地口などの最初の五文字、
にもいい、さらには、
さ霧、か弱し、た易し、み雪、
等々語調を整えたり、ある意味を添えたりするために語のはじめに付ける「お」「か」「さ」「た」「み」等々の接頭語についても使う(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。
インチキの意の「いかさま」は、
欺罔、
と当て、
いかがわしき情態の意なるか、語彙、イカサマ「人を欺きて、何(いか)さま尤もと承引かしむることに云へり」、イリホガなるべし。いかさま師は、いかさま為(し)なり、イカモノは、イカサマモノの中略なり(つばくらめ、つばめ。きざはし柿、きざがき)、
とある(大言海)。「いりほが」は、
鑿、
入穿、
と当て、
和歌などで、巧み過ぎて嫌味に落ちること、
穿鑿しすぎて的を外すこと、
とある(広辞苑)。いかにも、という感じが過ぎると、いかがわしくなるという意であろうか。しかし、
如何様、
は、本来、名詞としては、
磯城島(しきしま)の大和の国にいかさまに思ほしめせか(万葉集)、
この女君、いみじくわななき惑ひて、いかさまにせむと思へり(源氏物語)、
などと、
不審・困惑の気持をこめて使うことが多い(岩波古語辞典)、
状態、方法などについて疑問の意を表わす(精選版日本国語大辞典)、
と、
どのように、
どんなふう、
の意で、あるいは、副詞として、
「いかさまにも」の略から(精選版日本国語大辞典)、
何方(いかさま)に思ひても然りと云ふ意にてもあるか(大言海)、
と、
何様(いかさま)、事の出来るべきことこそ(保元物語)、
と、
自分の考えや叙述、推測などのたしかさを表わす語、
として(精選版日本国語大辞典)、
いかにも、
しかり、
てっきり、
きっと、
たしかに、
どう見ても、
という意や、
常の衣にあらず、いか様とりて帰り古き人にも見せ、家のたからとなさばやと(謡曲「羽衣(1548頃)」)、
と、
意志の強さを表わす語、
として(精選版日本国語大辞典)、
ぜひとも、
なんとしても、
なんとかして、
という意で使い(仝上・岩波古語辞典)、さらに、感嘆詞としても、
さりとも、きらるるまでは有まじ。誰々も、よきやうに申なしたまはば、いかさま、とほき国にながしおかれぬとおぼえたり(「曾我物語(南北朝頃)」)、
と、
相手の意見を肯定して感動的に応答することば、
としても、
いかにも、
そのとおり、
ほんとに、
なるほど、
ごもっとも、
の意で使い(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)、冒頭の「発語」は、この感嘆詞の意味とも、副詞の意味とも取れる。
ともかく、このような使い方の「いかさま」という言葉だから、
いかがなものか、
という解釈が生まれてくると思われる。「如何様」を「インチキ」の意の「イカサマ」に当てたのは、当て字と思え、この派生で「如何物」という「いかがわしいものという意味にも広がったと思える。
イカガの略にサマ(様)を継ぎ合わせた語(両京俚言考)、
とまでいくと、「インチキ」の意に当てた「如何様」という言葉を前提の解釈でしかない。
「如何様」は、
いかよう、
とも訓ませるが、この意味は、
抑(そもそも)、いかやうなる心ざしあらん人にか、あはんとおぼす(竹取物語)、
と、
物事の状態、程度、方法などを疑い問う意、
を表わし、
いかなるさま、
どのよう、
どんなこと、
どのくらい、
どれほど、
という意や、
あなおほけな。又いかやうに限りなき御心ならむ(源氏物語)、
と、
物事の状態、程度などのはなはだしさを強調する、
意を表わし、
どのよう、
どれほど、
の意や、
何様(いかやう)にても我が子は被噉(くらはれ)なむずるにこそ有けれ(今昔物語集)、
と、
物事の状態を不定のままにいう、
ことから、
どういうさま、
どのよう、
の意で使い、どうやら、「いかよう」と訓むときは、
たしかに、
とか
ぜひとも、
の含意はない。これは、漢語、
如何(いかん)、
の、
如之何(コレヲイカンセン)、
如其仁(ソノ仁をイカンセン)、
と、
いかんせん、
どうしようか、
の意で使う意味の範囲を出でいないためと思われる(字源・漢字源)。
(「如」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A6%82より)
「如」(漢音ジョ、呉音ニョ)は、
会意兼形声。「口+音符女」。もと、しなやかにいう、柔和に従うの意。ただし、一般には、若とともに、近くもなく遠くもないものを指す指示詞に当てる。「A是B」とは、AはとりもなおさずBだの意で、近称の是を用い、「A如B(AはほぼBに同じ、似ている)」という不則不離の意を示すには中称の如を用いる。仮定の条件を指示する「如(もし)」も、現場にないものをさす働きの一用法である、
とある(漢字源)。別に、
会意形声。「口」+音符「女」。「女」は「若」「弱」に共通した「しなやかな」の意を有し、いうことに柔和に従う(ごとし)の意を生じた。一説に、「口(神器)」+音符「女」、で神託を得る巫女(「若」も同源)を意味し、神託に従う(ごとし)の意を生じた、
とも(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A6%82)、
会意。女と、口(くち)とから成り、女が男のことばに従う、ひいて、したがう意を表す。借りて、助字に用いる、
とも(角川新字源)、
会意兼形声文字です(女+口)。「両手をしなやかに重ねひざまずく女性」の象形(「従順な女性」の意味)と「口」の象形(「神に祈る」の意味)から、「神に祈って従順になる」を意味する「如」という漢字が成り立ちました、
とも(https://okjiten.jp/kanji1519.html)ある。
「何」(漢音カ、呉音ガ)は、
象形。人が肩に荷をかつぐさまを描いたもので、後世の負荷の荷(になう)の原字。しかし普通は、一喝(いっかつ)するの喝と同系のことばに当て、のどをかすらせてはあっとどなって、いく人を押し止めるの意で用いる。「誰何(スイカ)する」という用例が原義に近い。転じて、広く相手に尋問することばとなった、
とある(漢字源)。
象形。甲骨文字や金文から見ると物を担いだ人を象ったものと判断される、「荷」の原字。のちに、形声文字として「人」+音符「可」と解されるようになった。喉を詰まらせて出す音(「呵」→「歌」、同系:「喝」)で、人を呼びとめたりすることを表し(誰何)、そこから、対象に関する疑問詞の用法となる、
も(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%BD%95)同趣旨である。
「様」(ヨウ)は、
形声。羕は、「永(水がながく流れる)+音符羊」の形声文字(意味を表す部分と音を表す部分を組み合わせて作られた文字)で、漾(ヨウ ただよう)の原字。様はそれを音符としてそえた字で、もと橡(ショウ)と同じく、クヌギの木のこと。のち、もっぱら象(すがた)の意に転用された、
とある(漢字源)。もと、橡(シヤウ)の異体字。借りて、かたち、ようすの意に用いる(角川新字源)ともある。別に、
会意兼形声文字です。「大地を覆う木の象形」と「羊の首の象形と支流を引き込む長い川の象形」(「相」に通じ、「姿・ありさま」の意味または、「長い羊の角」の意味)から、木や羊の角が目立つ姿をしている事から「ありさま」を意味する「様」という漢字が成り立ちました、
とある(https://okjiten.jp/kanji424.html)。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95