2022年10月07日

禅定


不孝無残のともがらが、懺悔のこころもなき身として、禅定するこそもったいなし(善悪報ばなし)、

にある、

禅定、

は、仏教語で、

霊山に登り修行すること、

とある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)が、ちょっとわかりづらい。「禅定」に、

禅定する、

という言い方があり、これは、

かくて立山禅定(ゼンヂャウ)し侍りけるに(「廻国雑記(1487)」)、

と、

修験(しゅげん)道で、富士山・白山・立山などの霊山に登って修行すること、

の意で使い(広辞苑)、この背景に、

高い山が信仰登山の対象となったところから、「禅定」が、

客人宮は、十一面観音の応作、白山禅(セン)定の霊神也(太平記)、

と、

高い山の頂上、
霊山の頂上、

の意を持ったためと思われる。もっとも、この場合、

ぜっちょうの訛音ならむ(和訓栞)、

と、絶頂の転訛とする説もあるが(大言海)。

「禅定」は、本来、

禅に同じ、

とある(岩波古語辞典)。「禅」は、

梵語dhyānaの音写、

とされ、その音訳、

禅那の略、

で(大言海)、

静慮、定・禅定などと訳す、

とある(岩波古語辞典)。つまり、「禅定」には、

禅と定、

の意味が重なっているらしく、

「禅」と「定」の合成語、

とあり(精選版日本国語大辞典)、「禅定」は、

dhyānaの訳語であるが、また、dhyāna を音訳した「禅那」を略した「禅」を「定」と合成したもので、「定」はもとsamādhi の訳語で、心を一つの対象に注いで、心の散乱をしずめるのが「定」、その上で、対象を正しくはっきりとらえて考えるのが「禅」、

とある(仝上)。「定」と訳すSamādhiは、「三昧」http://ppnetwork.seesaa.net/article/491525087.html?1663354987で触れたように、「三昧」とも訳されたりする。「禅定」は、

心を一点に集中し、雑念を退け、絶対の境地に達するための瞑想、また、その心の状態、

をいい(広辞苑・精選版日本国語大辞典)、

禅定に入る、

という言い方をする(仝上)が、

如来。無礙力無畏禅定解脱三昧諸法皆深成就故。云広大甚深無量(法華義疏)、

と、

散乱する心を統一し、煩悩の境界を離れて、静かに真理を考えること、

である(岩波古語辞典)。

入定(にゅうじょう)三昧、

ともいう(大言海)。「入定」は、

禅定(ぜんじょう)の境地にはいること、

をいう。

これは、大乗仏教の修行法である、

六波羅蜜の第五、

また、

三学(さんがく 戒・定・慧)の一つ、

である(精選版日本国語大辞典)とされ、仏道修行の、

三学、
六波羅蜜、

の一つとされる。「三学(さんがく)」は、

仏道修行者が修すべき三つの基本的な道、

つまり、

戒学(戒学は戒律を護持すること)、
定学(精神を集中して心を散乱させないこと)、
慧学(煩悩を離れ真実を知る智慧を獲得するように努めること)

をいう。この戒、定、慧の三学は互いに補い合って修すべきものであるとし、

戒あれば慧あり、慧あれば戒あり、

などという(仝上・ブリタニカ国際大百科事典)。この三学が、大乗仏教では、基本的実践道である六波羅蜜に発展する。「波羅蜜(はらみつ)」は、

サンスクリット語のパーラミター pāramitāの音写、

で、「六波羅蜜(ろくはらみつ)」は、

大乗仏教の求道者が実践すべき六種の完全な徳目、

布施波羅蜜(施しという完全な徳)、
持戒波羅蜜(戒律を守るという完全な徳)、
忍辱波羅蜜(にんにくはらみつ 忍耐という完全な徳)、
精進波羅蜜(努力を行うという完全な徳)、
禅定波羅蜜(精神統一という完全な徳)、
般若波羅蜜(仏教の究極目的である悟りの智慧という完全な徳)、

を指し、般若波羅蜜は、他の波羅蜜のよりどころとなるもの、とされる(仝上)。

なお、禅定の四段階については、「三界」http://ppnetwork.seesaa.net/article/491997710.html?1664651664で触れた。なお、「三昧」http://ppnetwork.seesaa.net/article/491525087.html?1663354987で触れたように、「三昧」は、

梵語samādhiの音訳、

で、

定(ジョウ)・正定(セイジョウ)・等持・寂静(大言海)、

と訳し、

心を一所に住(とど)めて、動かざること、妄念を離れて、心を寂静にし、我が心鏡に映じ来る諸法の実相を、諦観する、

意で、

禅定(ゼンジョウ)、

ともいう(大言海)。

「禪」 漢字.gif


「禪」 説文解字・漢.png

(「禪」 説文解字・漢 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%A6%AAより)

「禪(禅)」(漢音セン、呉音ゼン)は、

会意兼形声。「示(祭壇)+音符單(たいら)」で、たいらな土の壇の上で天をまつる儀式、

とある(漢字源)。別に、

形声。示と、音符單(セン、ゼン)とから成る。天子が行う天の祭り、転じて、天子の位をゆずる意を表す。借りて、梵語 dhyānaの音訳字に用いる、

とも(角川新字源)、

形声文字です(ネ(示)+単(單))。「神にいけにえを捧げる台」の象形と「先端が両またになっているはじき弓」の象形(「ひとつ」の意味だが、ここでは、「壇(タン)」に通じ(同じ読みを持つ「壇」と同じ意味を持つようになって)、「土を盛り上げて築いた高い所」の意味)から、「壇を設けて天に祭る」を意味する「禅」という漢字が成り立ちました、

ともhttps://okjiten.jp/kanji1666.htmlある。

「定」 漢字.gif

(「定」 https://kakijun.jp/page/0869200.htmlより)

「定」(漢音テイ、呉音ジョウ)は、「定力」http://ppnetwork.seesaa.net/article/485898873.htmlで触れたように、

会意兼形声。「宀(やね)+音符正」で、足をまっすぐ家の中に立ててとまるさまを示す。ひと所に落ち着いて動かないこと、

とある(漢字源)が、

形声。宀と、音符正(セイ)→(テイ)(𤴓は誤り伝わった形)とから成り、物を整えて落ち着かせる、ひいて「さだめる」意を表す、

とも(角川新字源)、

会意形声。「宀」+音符「正」、「正」は「一」+「止(=足)」で目標に向け進むこと、それが、屋内にとどまるの意。「亭」「停」「鼎」「釘」と同系、

ともhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%AE%9A

会意兼形声文字です(宀+正)。「屋根・家屋」の象形と「国や村の象形と立ち止まる足の象形」(敵国へまっすぐ突き進むさまから、「まっすぐ」の意味)から、家屋がまっすぐ建つ、すなわち、「さだまる」を意味する「定」という漢字が成り立ちました、

ともhttps://okjiten.jp/kanji520.htmlある。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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