梁塵、
とは、文字通り、
建物の梁(はり)の上につもっている塵(ちり)、
の意だが、
虞公韓娥といひけり。こゑよく妙にして、他人のこゑおよばざりけり。きく者めで感じて、涙おさへぬばかりなり。うたひける聲のひびきにうつばりの塵たちて、三日ゐざりければ、うつばりのちりの秘抄とはいふなるべし、
と、
梁塵秘抄、
となづけた所以を書いている(梁塵秘抄)通り、
舞袖留翔鶴、歌声落梁塵(「懐風藻(751)」)、
と、
梁塵を動かす、
梁(うつばり)の塵を動かす、
梁(うつばり)の塵も落ちる、
という故事を生んだ、
歌う声のすぐれていること、
素晴らしい声で歌うこと、
の意、転じて、
音楽にすぐれている、
の意で使われる(広辞苑)。これは、『文選』(もんぜん 南北朝時代の南朝梁の昭明太子蕭統によって編纂された詩文集)の成公綏「嘯賦」の李善注に引く、劉向の「七略別録」に、
劉向別録曰……漢興以来善雅歌者、魯人虞公、発声清哀、遠動梁塵(文選)、
と、みえる故事に由来する(故事ことわざの辞典)。
虞公(ぐこう)、
は、
善く歌するに魯人あり。發聲哀、歌梁塵を動かす、
と評されるほど、中国漢代、美声で知られたらしい。
虞公韓娥、
と併記される美声が、
韓娥(かんが)、
という人で、
昔韓娥東之齊、匱糧、過雍門、鬻歌假食、既去、而餘音繞梁欐、三日不絶(列子)、
と、虞公の上を行き、
既に去りて、餘音梁欐を繞(めぐ)り、三日絶えず、
とあるほどの、
古の歌伎の名、
とある(字源・字通)。
余音(よいん)、梁欐(りょうれい)を繞(めぐ)りて三日絶えず、
もまた、故事となっており、ここから、
繞梁(ぎょうりょう)、
という言葉も、
歌声のすぐれて妙なるに云ふ、
意で使う(字源)。
似た故事に、
遏雲(あつうん)、
がある。これも、
薛譚(せつたん)學謳於秦靑(しんせい)、未窮靑之技、自謂蓋之矣、遂辭歸、秦靑弗止、餞於郊衢撫節悲歌、聲振林木、響遏行雲、薛譚乃謝、求反、終身不敢言歸(列子)、
の、
餞於郊衢撫節悲歌、聲振林木、響遏行雲(郊衢に餞(はなむけ)し、節を撫して悲歌す。聲は林木に振ひ、聲は行雲を遏(とど)む)、
と、秦靑の餞けの歌声が、
響遏行雲、
に依っている(字源・故事ことわざの辞典)。
流れる雲もとどまるほどの妙曲、
の意で、
遏雲(あつうん)の曲、
雲を遏(とど)め梁を遶(めぐ)る、
という言い方もするようだ。
(「梁」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%A2%81より)
「梁」(漢音リョウ、呉音ロウ)は、
会意。もと「水+両側に刃のついた刀の形」からなる会意文字。のちさらに木を加えた。左右の両岸に支柱を立て、その上にかけた木の橋である。両岸にわたるからリョウといい、両と同系、
とある(漢字源)。別に、
会意文字です(氵(水)+刅+木)。「流れる水」の象形と「水の流れを石でせきとめた」象形と「大地を覆う木」の象形から、「やな(木や石で水流をせきとめて、一か所だけ流れるようにして魚を捕える仕掛け)」を意味する「梁」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji2515.html)。
「塵」(漢音チン、呉音ジン)は、
会意文字。「鹿+土」で、鹿の群れの走り去った後に土ぼこりが立つことを示す。下にたまる、ごく小さい粉のこと、
とある(漢字源)。
参考文献;
尚学図書編『故事ことわざの辞典』(小学館)
簡野道明『字源』(角川書店)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95