2022年10月15日
炭焼小五郎伝説
柳田國男『海南小記(柳田国男全集1)』を読む。
本書には、
海上の海、
海南小記、
島の人生、
が載っているが、『海上の道』(http://ppnetwork.seesaa.net/article/488194207.html)は別に触れた。『海南小記』は、官吏を辞した後、宮崎、鹿児島、沖縄、宮古、八重山を訪れた紀行文である。それだけに気楽に読めそうなものだが、文中随所に出てくる蘊蓄、学識に基づく含意のある意味が、とうてい追い切れず、おそらく筆者が書こうとしたことの半分くらいしか追いきれない気がする。たとえば、
「伊座敷の町からこの島泊まで、元はいちばん高い山の八分まで登って越えるのが、近いゆえに唯一の通路であった。しかるに隣の西方区を通って、最近に一間幅の路を一建立で開いた人がある。それが豊後から来た炭焼だと聞いたときは、何だか古い物語のようで嬉しかった。炭焼は十何年の勤倹でこしらえた家屋敷を売り払い、まだ入費が足らぬのでわざわざ国へ金を取りに行って来た。そうしてできあがった新道の片端に、かの小五郎の小屋のごときものを建てて住んでいる。どうしたこんな志を立てたのか、また末にはいかなる果報が来るものやら、自分などには分からずに終りそうである。」
とある「小五郎」とは、本書で後に出でくる『炭焼小五郎が事』の、豊後の炭焼き小五郎という民話の主人公のことである。地元の人はともかく、このことを知らないと、この一文は、ただ素通りするしかない。こんな文章が頻繁にある。
この紀行は、1919年に行われているので、その当時の風俗がよく描かれているのもまた面白い。例えば、入墨について、
「沖縄県では一般にハチジというようである。慶長の初めにできた『琉球神道記』にも、入墨の風俗を述べて針突(はりつき)と書いているから、ハッツキの転音であることがよく分る。(奄美)大島では釘突(くぎつき)というと『南島雑記』にあるのは、これも針突の誤写ではなかろうか。何にしても二島分立の以前から、弘く行われていた風俗であって、それが時を経るうちにわずかずつの変化を見た。大島の方では、もう珍しいというほどに、針突をした人が少なくなっている。」
といった一文には、入墨禁止の布令のあとの名残がみられている。そうした興味は尽きない紀行だが、やはり僕には柳田國男の真骨頂は、『海南小記』に収められている、
炭焼小五郎が事、
と題された、全国にある、
小五郎長者、
という民話の追跡であると思える。安芸・賀茂郡の盆踊りで、
筑紫豊後は臼杵の城下、
藁で髪ゆた炭焼小ごろ、
と歌われるように、
山中で一人炭を焼いていた男(豊後では小五郎)がいて、
都から貴族の娘が観世音のお告げで押しかけ嫁にやってきて、
炭焼きは花嫁から小判または砂金をもらって市へ買い物に行く途中、水鳥を見つけて、それに黄金を投げつけてしまう、
なぜ大事な黄金を投げつけたかと戒められると、
あんな小石が宝になれば、
わしが炭焼く谷々に、
およそ小笊で山ほど御座る、
と、山にごろごろある金塊を拾ってきて長者になる、
という話である。この話の四つの要点のうち、三つまで具備した話が、
「北は津軽の岩木山の麓から、南は大隅半島の、佐多からさして遠くない鹿屋の大窪村にわたって、自分の知る限りでもすでに十幾つかの例を算え、さらに南に進んでは沖縄の諸島、ことには宮古島の一隅にまで、若干の変化をもって、疑いもなき類話を留めている。」
という。こうした「炭焼」伝承の背景に、
鋳懸(いかけ)、
と称する人たちを想定し、
鋳物師、
あるいは
鍛冶、
つまり、
金屋、
と称する人々がいたと考え、こうひとつの仮説を立てる。
「炭焼小五郎の物語の起源が、もし自分の想像するこどく、宇佐の大神の最も古い神話であったとすれば、ここに始めて小倉の峰の菱形池の畔に、鍛冶の翁が神と顕れた理由もわかり、西に隣した筑前竈門山の姫神が、八幡の御伯母君とまで信じ伝えられた事情が、やや明らかになって來るのである。(中略)播磨の『古風土記』の一例において、父の御神を天目一箇(あめのまひとつ)命と伝えてすなわち鍛冶の祖神の名と同じであったことは、おそらくこの神話を大切に保管していた階級が、昔の金屋であったと認むべき一つの証拠であろう。」
そしてこの炭焼民話は、
竈神の由来、
にまでつなげていくのである。この一連の流れは、いつも見る、柳田手法ではあるが。
本書の中で、もう一つ、八丈島からは南へ約60km程度離れている、
青ヶ島、
が、天明の大噴火で327人のうち八丈島への避難が間に合わなかった130人余りが死亡した噴火から、帰還を果たすまでの約40年間の、
青ヶ島還住記、
の住民の奮闘記は、今日の同島のことを思うと、なかなか感慨深い。以降、噴火はなく、現在、
人口は170人、113世帯、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E3%83%B6%E5%B3%B6)。
なお、柳田國男の『遠野物語・山の人生』(http://ppnetwork.seesaa.net/article/488108139.html)、『妖怪談義』(http://ppnetwork.seesaa.net/article/488382412.html)、柳田國男『海上の道』(http://ppnetwork.seesaa.net/article/488194207.html)、『一目小僧その他』(http://ppnetwork.seesaa.net/article/488774326.html)、『桃太郎の誕生』(http://ppnetwork.seesaa.net/article/489581643.html)、『不幸なる芸術・笑の本願』(http://ppnetwork.seesaa.net/article/489906303.html)、『伝説・木思石語』(http://ppnetwork.seesaa.net/article/490961642.html)については別に触れた。
参考文献;
柳田國男『海南小記(柳田国男全集1)』(ちくま文庫)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
この記事へのコメント
コメントを書く
コチラをクリックしてください