2022年10月28日

定業(じょうごう)


我不慮に、木の枝にかかる事、定業未だ来たらぬ故なるべし(諸国百物語)、

にある、

定業、

は、

じょうごう(ぢやうごふ)、

と訓ませ(「ていぎょう」と訓むと、定職の意になる)、

与えられた寿命、

と注記がある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)のは、意訳で、正確には、

苦楽の果報を受けることが決定している業、

また、

果報を受ける時期が決定している業、

をいい(広辞苑)、この意味で、「寿命」の意が出てくるし、

この業によってもたらされた果報、

についてもいう(広辞苑)とある。

決定業(けつじようごう)、

の略とある(日本国語大辞典)。「業」は、「一業所感」http://ppnetwork.seesaa.net/article/485653172.htmlで触れたように、

サンスクリット語のカルマンkarmanの訳語、

で、

羯磨(かつま)、

とも当てられる(広辞苑)。

もともとクル(為(な)す)という動詞からつくられた名詞であり、行為を示す、

が、しかし、

一つの行為は、原因がなければおこらないし、また、いったんおこった行為は、かならずなにかの結果を残し、さらにその結果は次の行為に大きく影響する。その原因・行為・結果・影響(この系列はどこまでも続く)を総称して、

業、

という、とある(日本大百科全書)。それはまず素朴な形では、

いわゆる輪廻思想とともに、インド哲学の初期ウパニシャッド思想に生まれ、のち仏教にも取り入れられて、人間の行為を律し、また生あるものの輪廻の軸となる重要な術語、

となり、

善因善果・悪因悪果、さらには善因楽果・悪因苦果の系列は業によって支えられ、人格の向上はもとより、悟りも業が導くとされ、さらに業の届く範囲はいっそう拡大されて、前世から来世にまで延長された、

とある(仝上)。

現在の行為の責任を将来自ら引き受ける、という意味に考えてよいであろう。確かに行為そのものは無常であり、永続することはありえないけれども、いったんなした行為は消すことができず、ここに一種の「非連続の連続」があって、それを業が担うところから、「不失法」と術語される例もある、

との解釈(仝上)は、「業」を身に受けるという主体的解釈に思える。仏教では、

三業(身・口・意の三つで起こす「身業」(しんごう)・「口業」(くごう)・「意業」(いごう)をいう)、

といい、

その行為が未来の苦楽の結果を導く働きを成す、

とし、

善悪の行為は因果の道理によって後に必ずその結果を生む、

としている(広辞苑)。だから、業による報いを、

業果(ごうか)や業報(ごうほう)、

業によって報いを受けることを、

業感(ごうかん)、

業による苦である報いを、

業苦(ごうく)、

過去世に造った業を、

宿業(しゅくごう・すくごう)または前業(ぜんごう)、

宿業による災いを、

業厄(ごうやく)、

宿業による脱れることのできない重い病気を、

業病(ごうびょう)、

というhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%AD。で、自分のつくった業の報いは自分が受けなければならないゆえに、

自業自得、

ということになる。

だから、「定業」は、

善悪の報いを受ける時期が定まっている行為、

をいい、『往生要集(984~985)』に、

造五逆不定業、得往生、造五逆定業、不往生(五逆の不定業(果報を受ける時期が決まっていない業)を造れるものは往生することを得るも、五逆定業を造れるものは往生せず)、

とあり、

定業亦能転(じょうごうやくのうてん)、

といい、

その報いを受ける時期が定まっている行為でさえも、よく転じて報いを免れることができるという、

意味で、これを、

菩薩の願い、

とされる(仝上)とある。業を受ける時期の遅速によって、

生きているうちに果を受ける順現業(じゅんげんごう)、
次に生まれかわって果を受ける順生業(じゅんしょうごう)、
第三回目の生以後に果を受ける順後業(じゅんごごう)、

の三種があり、、

三時業、
または、
三時、

という(精選版日本国語大辞典)。「定業」の対になるのが、

すくひ助けたるに、定業の命のびたるは、此の童子に雲泥のちがひあり。助くる迄こそなからめ、非業(ひごう)の命をとらぬ迄のこころ、大人は自らも弁え(伽婢子)、

にある、

非業、

で、

前世の業因によらないこと、

つまり、

業因によって定まっていない果のこと、

で、

非命業、

をいい、

非業の死、
非業の最期、

というように、特に、

前世から定められた業因による寿命の終わらないうちに死ぬこと、
災難などで尋常でない死にかたをすること、

の意で使う。また、

非命、

も同義で、

天の命ずるところでないこと、

特に、

病死、老死、

あるいは、

災害、事故、戦いなどで不慮の死をとげること、

をいい、

横死、

という言い方もする(精選版日本国語大辞典)。

「業」 漢字.gif

(「業」 https://kakijun.jp/page/1366200.htmlより)

「業」(漢音ギョウ、呉音ゴウ)は、「一業所感」http://ppnetwork.seesaa.net/article/485653172.htmlで触れたように、

象形。ぎざぎざのとめ木のついた台を描いたもの。でこぼこがあってつかえる意を含み、すらりとはいかない仕事の意となる。厳(ガン いかつい)・岩(ごつごつしたいわ)などと縁が近い、

とある(漢字源)が、別に、

象形。楽器などをかけるぎざぎざのついた台を象る。苦労して仕事をするの意か、

ともhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%A5%AD

象形。かざりを付けた、楽器を掛けるための大きな台の形にかたどる。ひいて、文字を書く板、転じて、学びのわざ、仕事の意に用いる、

とも(角川新字源)、

象形文字です。「のこぎり状のぎざぎざの装飾を施した楽器を掛ける為の飾り板」の象形から「わざ・しごと・いた」を意味する「業」という漢字が成り立ちました、

ともありhttps://okjiten.jp/kanji474.html

ぎざぎざのとめ木のついた台、

が、

のこぎり状のぎざぎざの装飾を施した楽器を掛ける為の飾り板、

と特定されたものだということがわかる。

参考文献;
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 05:14| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする
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