其の様、地白の帷子(かたびら)をつぼ折り、杖を突きて山の頂に登る(伽婢子)、
にある、
つぼ折り、
は、
着物の褄を折って前の帯にはさむ、
意とあり(高田衛編・校注『江戸怪談集』)、
かいどる(搔い取る)、
と同義とある(仝上)が、「かいどる」は、
小袖(こそで)の、しほしほとあるをかいどって(太平記)、
と、日葡辞書(1603~04)にも、
イシャウノスソヲカイトル、
とあり、
カキトルの音便、
なので、
着物の裾や褄などを手でつまんで持ち上げる、
手でからげる、
手で引き上げる、
意で(広辞苑・学研全訳古語辞典)、「つぼ折り」とは微妙に差がある気がする。「つぼをる」は、
窄折、
と当て、
つぼめ折るの義、
ともある(大言海)。なお、
帷子、
は、「帷子」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/470519897.html)で触れたように、
裏をつけない衣服、
つまり、
ひとえもの、
の意である。
「つぼおり」は、
壺折、
と当て、
小袖、打掛などの着物の両褄を折りつぼめ、前の帯にはさみ合わせて、歩きやすいように着る、
意で(精選版日本国語大辞典)、これは、
壺装束(つぼそうぞく・つぼしょうぞく)
からきており、
「つぼ」は「つぼおり(壺折)」の意、
とあり(精選版日本国語大辞典)、
平安時代から鎌倉時代頃にかけて、中流以上の女性が徒歩(かち)で旅行または外出するときの服装。小袖の上に、小袿(こうちぎ)、または袿を頭からかぶって着(「かずき」という)、紐で腰に結び、衣の裾を歩きやすいように、折りつぼめて手に持ったり、手でからげて持ったりして歩く。垂髪を衣の中に入れ、市女笠(いちめがさ)を目深くかぶる、
とある(仝上)。「小袿」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/492871391.html?1666725543)については触れた。
腰帯で中結(なかゆい)し、余りを腰に折り下げる。腰部が広く、裾のすぼんだ形状から、
壺装束、
といい、このようなたくし方を、
壺折(つぼおり)、
という(広辞苑)とある。
(壺折装束(春日権現霊験記) 大辞泉より)
(壺装束 精選版日本国語大辞典より)
壺装束のとき、普通、
袴(はかま)は履かないが、乗馬の際は指貫(さしぬき)か狩袴(かりばかま)を履いた。履き物は緒太(おぶと)という草履(ぞうり)か、草鞋(わらじ)を履き、乗馬には深沓(ふかぐつ)の一種の半靴(ほうか)を履いた、
とある(日本大百科全書)。「緒太(おぶと)」は「水干」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/485691809.html)で触れたように、
裏の付いていない、鼻緒の太い草履、
である(精選版日本国語大辞典)。
なお、「かづき」は、
被衣、
と当て、
女子が外出に頭に被(かづ)く(かぶる)衣服、
のことだが、
平安時代から鎌倉時代にかけて女子は素顔で外出しない風習があり、袿(うちき)、衣の場合を、
衣(きぬ)かづき(被)、
といった。室町時代から小袖(こそで)を用いるようになると、これを、
小袖かづき、
といい、武家における婚礼衣装にも用いられた(仝上)とある。
(「被衣」(『春日権現霊験記』) 小袖の被衣をはおった女(中央) 日本大百科全書より)
吉野山の花を雲と見給ひ、立田川の紅葉を錦と見しは万葉の古風、市女笠着てつぼほり出立の世もありしとかや(浮世草子「紅白源氏物語(1709)」)、
とある、
「市女笠(いちめがさ)」は、
縫い笠の一種。縁(ふち)の張った形に縫い、頂部に巾子(こじ)という高い突起をつくった菅笠(すげがさ)、
をいい、初め市に物売りに出る女がかぶったところからこの名がある。しかし、平安時代も中期以後には上流婦人の外出に着装されるようになり、旅装としての壺装束(つぼしょうぞく)を構成するようになった、
とある(仝上)。また、雨天の行幸供奉(ぐぶ)には公卿(くぎょう)にも着用されるようになり、
局笠(つぼねがさ)、
窄笠(つぼみがさ)、
等々ともよばれた。当時のものは周縁部が大きく深いので肩や背を覆うほどであったが、鎌倉時代以後のものはそれが小さく浅くなり、安土桃山時代では、その先端をとがらせ装飾を施すようになり、江戸時代になると黒漆の塗り笠になって、やがて廃れていった(仝上)、とある
また、市女笠の周縁に薄い麻布(カラムシ(苧麻)の衣)をたらし、これを、
虫の垂衣(たれぎぬ)、
葈(むし)の垂絹(たれぎぬ)、
といった(仝上)。この服装が後に変化して、
被衣(かつぎ)風俗、
となったともある(ブリタニカ国際大百科事典)
(市女笠 精選版日本国語大辞典より)
なお「壺折」は、能では、
ざひ人のやうにとりつくらふて下され……ツボ折作物コシラヱル内ニ(波形本狂言・鬮罪人)、
と、
能の女装の衣装のつけ方の名称、
をいい、
唐織り(花鳥などを美しく織出した小袖)や舞衣などの裾を腰まであげをしたようにくくり上げて、内側にたくしこんで着ること、
の意である(精選版日本国語大辞典)。
(上着は「壺折(つぼおり)」という襟(えり)をゆったりさせた着方をする https://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/contents/learn/edc9/kouzou/mask_custome/custome/idetachi_women.htmlより)
たとえば王妃の役なら、天竺の旋陀夫人(《一角仙人》のツレ)も、唐の楊貴妃(《楊貴妃》のシテ)も、日本の白河院の女御(「恋重荷(こいのおもに)」のツレ)も、みな、かぶり物は天冠、着付は摺箔、袴は大口、上衣は唐織を壺折(つぼおり)に着るという扮装になる、
とある(世界大百科事典)。「天冠」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/492730251.html?1666293816)については触れた。
また、歌舞伎では、
時代狂言の貴人や武将が上着の上に着る衣装、
で、
打掛のように丈長(たけなが)で、広袖の羽織状をなした華麗なもの、
をいい、
壺折衣装、
ともいう(精選版日本国語大辞典)。
(壺折衣装 精選版日本国語大辞典より)
表着である唐織などの裾を膝上ほどの高さにし、両衿を胸の前でゆったり湾曲させた着方、
で、
丈の余分は腰の部分で折り込む。壺折には2種類あり、ひとつは、
腰巻の上に着て女性の外出着姿を表わす、
もうひとつは、
高貴な女性の正装などにも用いられる着方で、大口袴の上に着る優美なものである、
とある(https://db2.the-noh.com/jdic/2010/04/post_187.html)。
(「壺」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A3%BAより)
「壺」(漢音コ、呉音グ・ゴ)は、
象形。壺を描いたもの。上部の士は蓋の形、腹が丸くふくれて、瓠(コ うり)と同じ形をしているので、コという、
とあり、壼(コン)は別字、
とある(漢字源)。
(「折」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%8A%98より)
(「折」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%8A%98より)
「折」(漢音セツ、呉音セチ)は、
会意。「木を二つに切ったさま+斤(おの)」で、ざくんと中断すること、
とある(漢字源)。別に、
斤と、木が切れたさまを示す象形、
で、扌は誤り伝わった形とある(角川新字源)。また、
会意文字です(扌+斤)。「ばらばらになった草・木」の象形と「曲がった柄の先に刃をつけた手斧」の象形から、草・木をばらばらに「おる」を意味する「折」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji670.html)。
参考文献;
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95