2022年11月29日
剰(あまつさ)へ
六歳まで物言ふこと契(かな)はず。剰(あまつさ)へ、親をも見知らず(片仮名本・因果物語)、
の、
剰(あまつさ)へ、
は、
前文をうけて、それだけでも並大抵でないのに、その上にさらに(悪いことが)加わる意を表す、
その上、
おまけに、
の意とある(広辞苑)。さらに、状態表現から、
amassaye(アマッサエ)フウジヲモトカイデ(天草本平家)、
と、価値表現を強めて、
(事態の異状なことなどに直面して)驚いたことに、あろうことか、
の意でも使う(日本国語大辞典)。
「あまつさへ(え)」は、
アマリサエの音便アマッサエの転、
とあり(仝上)、「あまっさへ」は、
余り+さへの音便、
ということになる(日本語源広辞典)。
奈良時代に伝来した、唐初の伝奇小説『遊仙窟』(ゆうせんくつ)では、
剰、アマッサヘ、
とし、
類聚名義抄(11~12世紀)には、
剰、アマリサヘ、
色葉字類抄(1177~81)には、
剰、アマサヘ、アマッサヘ、
室町時代の文明年間以降に成立した『文明本節用集』には、
剰、アマッサヘ、
日葡辞書(1603~04)にも、
アマッサエ、
とあり、
近年はアマツサエが多いが、転ずる前の形のアマッサエも使う、
とある(広辞苑)。
あまりさへ→あまさへ→あまっさへ→あまつさへ→あまつさえ、
と転訛してきたことになる。
「剰」は、
唐の時代に行われた助字で、わが国では「あまりさへ」と訓読された。中世まで一般に、
あまさへ、
と表記されるが、これは「あまっさへ」の促音無表記、「落窪物語」には、
子三人、婿取りたれど、今に、我れにかかりてこそはありつれ、アマサヘ、憂き恥の限りこそ見せつれ、
と、
落窪の公の父の言葉に「あまさへ」の語が見えるところから、「あまっさへ」は平安時代にはすでに男子の日常語になっていたと考えられる、
とあり(日本語源大辞典)、近世には、
あまっさへ、
と表記されるようになり、近代以降は文字に引かれて「あまつさへ」となった、
とある(仝上・岩波古語辞典)。つまり、
「あまっさへ」の「っ」を、促音でなく読んでできた語、
である(大辞泉)。
「あまさへ」の「さへ」は、
辞(テニハ)のサヘなり、
とあり、
「あまさへ」は、
(あまりさへの)中略なり(わたりまし、わたまし)、
「あまっさへ」は、
急呼なり(のりとる、のっとる。ほりす、ほっす)、
とある(大言海)。
「剰」(漢音ショウ、呉音ジョウ)は、
会意兼形声。乘(乗)は、人が木の上に登ったさまを示す会意文字で、登・昇(のぼる)と同系の言葉。剩は「刀+乘」。予定分を刀で切り取っても、なおその上に残った余分のあることを示す。上に出た分、つまり、あまりのこと、
とある(漢字源)。別に、
会意兼形声文字です(乗(乘)+刂(刀))。「両手両足を開いた人の象形と木の象形」(木にはりつけになってのせられた人の意味から、「のる」の意味)と「刀」の象形(「中国古代の、刀の形をした貨幣」の意味)から、「利益が上乗せされる」を意味する「剰」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji1935.html)。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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