振り分けた髪の下よりも、並べたる角生(つのお)いたるが、薄化粧に鉄漿(かね)黒々とつけたり。恐ろしとも云はん方なし(曽呂利物語)、
とある、
鉄漿、
は、
おはぐろ、
の意で、
歯を染めるための黒い液、
とある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。
(お歯黒を付ける女性(歌川国貞) デジタル大辞泉)
「おはぐろ」は、
御歯黒、
鉄漿、
と当て、上述の引用のように、「鉄漿」を、
かね、
と訓ませると、
みかたには鉄漿つけたる人はない物を、平家の君達でおはするにこそ(平家物語)、
と、
おはぐろの液、
を指す。これは、
茶の汁や酢、酒に鉄片を浸して酸化させたもの、
とある(広辞苑)が、具体的には、
主成分は鉄漿水(かねみず)と呼ばれる酢酸に鉄を溶かした茶褐色・悪臭の溶液で、これを楊枝で歯に塗った後、倍子粉(ふしこ)と呼ばれる、タンニンを多く含む粉を上塗りする。これを交互に繰り返すと鉄漿水の酢酸第一鉄がタンニン酸と結合し、非水溶性になると共に黒変する。歯を被膜で覆うことによる虫歯予防や、成分がエナメル質に浸透することにより浸食に強くなる、などの実用的効果もあったとされる、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E6%AD%AF%E9%BB%92)。毎日から数日に一度、染め直す必要があったという。また、
鉄屑と酢で作れる鉄漿水に対し、ヌルデの樹液を要する五倍子粉は家庭での自作が難しく、商品として莫大な量が流通した。江戸時代のお歯黒を使用する女性人口を3500万人とし、一度に用いる五倍子粉の量を1匁(3.75g)として、染め直しを毎日行っていたと仮定した場合、1日の五倍子粉の消費量は20トン弱になった、
と推定されている(仝上)。
(お歯黒道具一式(耳だらい、かねわん、かね沸かし、渡し金、お歯黒壺、ふし箱、房楊枝) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E6%AD%AF%E9%BB%92より)
「お歯黒(おはぐろ)」は、
「歯黒め」の女房詞、
とあり(デジタル大辞泉)、和名類聚抄(平安中期)には、
黑齒、波久路女、
とある。もとは貴族の用語で、御所では、
五倍子水(ふしみず)、
民間では、
鉄漿付け(かねつけ)、
つけがね、
歯黒め(はぐろめ)、
等々ともいう(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E6%AD%AF%E9%BB%92)。日本をはじめ、世界各地で見られた風習で、
中国および東南アジアの少数民族地域において、現代でも、本式のお歯黒が見られる。主に年配の女性に限られ、既婚でも若い女性がお歯黒をする例は稀である、
とある(仝上)。日本では古代から存在し、その由来は、
お歯黒の起こりは日本古来からあったという説(日本古来説)、
南方民族が持って来たという説(南方由来説)、
インドから大陸、朝鮮を経て日本に伝わったという説(大陸渡来説)、
がある(https://www.jda.or.jp/park/knowledge/index04.html)が、初期には、
草木や果実で染める習慣、
があり、のちに、
鉄を使う方法が鉄器文化とともに大陸から伝わった、
とされる(仝上)。古墳に埋葬されていた人骨や埴輪にはお歯黒の跡が見られ、『山海経』には、
黒歯国(『三国志』魏志倭人伝では倭国東南方)、
があると記す(仝上)。天平勝宝五年(753)鑑真が持参した製法が東大寺の正倉院に現存し、その製造法は古来のものより優れていたため徐々に一般に広まっていった、とされる(仝上)。平安時代の末期には、
第二次性徴に達し元服・裳着を迎えるにあたって女性のみならず男性貴族、平氏などの武士、大規模寺院における稚児も行った。特に皇族や上級貴族は袴着を済ませた少年少女も化粧やお歯黒、引眉を行うようになり、皇室では幕末まで続いた、
とある。室町時代には一般の大人にも浸透したが、戦国時代に入ると、
結婚に備えて8〜10歳前後の戦国武将の息女へ、
成年の印、
して鉄漿付けを行ない、このとき鉄漿付けする後見の親族の夫人を、
鉄漿親(かねおや)、
いった。また、戦国時代までは戦で討ち取った首におしろいやお歯黒などの死化粧を施す習慣があり、
首化粧、
首装束、
呼ばれた。これは戦死者を称える行為であったが、身分の高い武士は化粧を施し身なりを整えて出陣したことから、鉄漿首(お歯黒のある首)は上級武士を討ち取ったことを示す証ともなった(仝上)とある。江戸時代以降は皇族・貴族以外の男性の間ではほとんど廃絶、また、悪臭や手間、そして老けた感じになることが若い女性から敬遠されたこともあって、
既婚女性、未婚でも18〜20歳以上の女性、
および、
遊女、芸妓、
の化粧として定着、農家においては祭り、結婚式、葬式、等特別な場合のみお歯黒を付けた(仝上)とある。ために、
江戸時代には既婚婦人のしるし、
となりデジタル大辞泉)、
まずは白い歯を染めて、「二夫にまみえず」との誓いの意味あい、
あった(https://www.jda.or.jp/park/knowledge/index04.html)とある。
(お歯黒をつけているところ(月岡芳年) https://www.jda.or.jp/park/knowledge/index04.htmlより)
(お歯黒の化粧をする女性(『今風化粧鏡』(五渡亭国貞) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E6%AD%AF%E9%BB%92より)
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95