浄土の荘厳(しょうごん)のおごそかなるさま、独り来て独り行くのことわり、富楼那の弁をかつて一時ばかり説き聞かせ給ふほどに(新御伽婢子)、
にある、
富楼那の弁をかつて、
とは、
釈迦十大弟子のうち、弁舌第一といわれた、富楼那(ふるな)のような巧妙な弁舌を駆使して、
と注記がある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。因みに、上記の、
独り来て独り行く、
は、
人の死の道理、
の意とある(仝上)。
富楼那 ( ふるな )の弁、
とは、
弁舌第一といわれた富楼那のような巧妙な弁舌、
の意で、
すらすらとよどみなくしゃべる、
ことのたとえとして使われ(精選版日本国語大辞典)、
舎利弗が知恵、富楼那の弁舌、なほし及ぶところにあらず(宝物集)、
阿難の才覚、舎利弗の知恵、富楼那の弁舌にて(風姿花伝)、
などと、
富楼那の弁舌、舎利弗(しゃりほつ)の知恵、目連(もくれん)が神通、
という言い方もする(故事ことわざの辞典)。
巧みでよどみない話術の富楼那、知恵のすぐれた舎利弗、何でもできる力を具えた目連、
と、
十大弟子の長所をいうが、それを包み込む、
釈迦の教え、
の広大であることの謂いでもある(仝上)。最初期には特定の弟子はいなかったとされるが、大乗経典では十大弟子の呼称が固定し、
舎利弗(しゃりほつ 智慧第一)、
目犍連(もくけんれん 略して目連 神通力(じんずうりき)第一)、
摩訶迦葉(まかかしょう 頭陀(ずだ(苦行による清貧の実践)第一)、
須菩提(しゅぼだい 解空(げくう すべて空であると理解する)第一)、
富楼那(ふるな 説法第一)、
迦旃延(かせんねん 摩訶迦旃延(まかかせんねん)とも大迦旃延(だいかせんねん)とも、論議(釈迦の教えを分かりやすく解説)第一)、
阿那律(あなりつ 天眼(てんげん 超自然的眼力)第一)、
優婆(波)離(うばり 持律(じりつ 戒律の実践)第一)、
羅睺羅(らごら 羅睺羅(らふら) (密行(戒の微細なものまで守ること)第一)、
阿難(あなん 阿難陀 多聞(たもん 釈迦の教えをもっとも多く聞き記憶すること)第一)、
をいう(日本大百科全書、https://true-buddhism.com/founder/ananda/他)。
(十大弟子 日本大百科全書より)
「富楼那」は、正式には、
富楼那弥多羅尼子(ふるなみたらにし)、
で、
パーリ語でプンナ・マンターニープッタ(Puṇṇa Mantānīputta)、
サンスクリット語でプールナ・マイトラーヤニープトラ(Pūrṇa Maitrāyanīputra)、
略称として、
富楼那、
他の弟子より説法が優れていたので、
説法第一、
とされる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E5%A4%A7%E5%BC%9F%E5%AD%90)。音写では、
富楼那弥多羅尼弗多羅、
とも表記するが、
弥多羅尼(ミトラヤニー)とは母親の名であり、弗多羅(プトラ)は「子」、
を意味する。漢訳では、
満願子、
満願慈、
満足慈、
満厳飾女子、
満見子、
等々と記される(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E6%A5%BC%E9%82%A3)。
「富楼那」は、
十大弟子の中では一番早く弟子となった人、
で、富楼那と呼ばれた人は複数いたとされるが、
各地に赴き、よく教化の実を挙げ、9万9000人の人々を教化した、
とも伝えられる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E6%A5%BC%E9%82%A3)。なお、法華経(授記品)に、
佛告諸比丘、汝等見是富楼那彌多羅尼子不、我常稱其於説法人中、最為第一、
とある。
「富楼那」については、https://true-buddhism.com/founder/punna/に詳しい。
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95