2023年01月06日

盂蘭盆会


文月(ふみづき)は、諸寺より始めて、在家に至って、盂蘭盆会の仏事を営み、なき人の哀れをかぞへて、しるしの墓に詣でて(新御伽婢子)、

にある、

盂蘭盆会、

は、

梵語ullambana、倒懸(とうけん)と訳され、逆さ吊りの苦しみの意とされるが、イランの語系で霊魂の意のurvan、

とする説もあり(広辞苑)、また最近では、

盂蘭盆を「ご飯をのせた盆」である、

とする説(辛嶋静志)もあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%82%E8%98%AD%E7%9B%86%E4%BC%9A

「盂蘭盆会」は、また、

盂蘭盆供(供(く)を読まず)、

とも言い、略して、

盂蘭盆、
うらんぼん、

さらに略して、

盆、
お盆、

また、

歓喜会、
精霊会(しようりようえ)、
魂祭(たままつ)り、
盆祭、

等々とも言い(大言海・日本国語大辞典他)、

盂蘭盆経の目連(もくれん)説話、

に基づき、もと中国で、

苦しんでいる亡者を救うための仏事で七月一五日に行われた、

が、日本に伝わって、

初秋の魂(タマ)祭りと習合し、

祖先霊を供養する仏事、

となった(大辞林)。江戸時代からは、

一三日から一六日、

にかけて行われ、現在では、一三日夜に迎え火をたいて霊を迎えいれ、一六日夜に送り火で霊を送る。

ふつう、迎え火をたいて死者の霊を迎え、精霊棚(しようりようだな)を作って供物をそなえ、僧による棚経(たなぎよう)をあげ、墓参りなどをし、送り火をたいて、霊を送る、

が、現在は、地方により陰暦で行う所と、一月遅れの八月一五日前後に行う所とがある(大辞泉・日本国語大辞典)。因みに、棚経とは、

お盆の時期に菩提寺の住職が、檀家の家を一軒一軒訪ね、精霊棚(しょうりょうだな)や仏壇の前でお経を読むこと、

をいい、棚経の棚とは、

精霊棚(盆棚 お盆に仏壇の前に設置する供養の棚)、

をいうhttps://www.bonchochin.jp/bonchochin3-5.html

ただこの行事の典拠になった、

盂蘭盆経、

は、

西晋の竺法護(じくほうご)訳の経典と伝えるが、インドに素材を求めた後代の中国偽経、

で、釈迦の十大弟子の一人、

目連が餓鬼道の母を救う孝行説話が中心、

となり(仝上)、たとえば、

(目連)法眼を以て、其亡母の、地獄の餓鬼道に在りて、頭下足上(づげそくじゃう)の苦を受け居るを見て、救はむことを釈迦に請ひ、其教に因りて、餓鬼に施さむの心にて、七月十五日、百味の飲食(おんじき)を供へて衆僧に供養し、母の倒(さかしま)に懸かるを解かむ(解倒懸(げたうけん)と云ふ)としたりと云ふ、十六日に行ふは、僧の自恣の日を期したるなるべし、

とある(大言海)。「頭下足上」は、

地獄へ堕ちてゆく時は頭を下にして、足を上にして真っ逆様に落ちてゆく、

のをいい、

頭下足上にして二千年を経て下に向かいて行けども、いまだ無間地獄に至らず、

というように、落ち続けている状態であるhttp://aki-ryusenji.jugem.jp/?eid=271

また、「自恣」とは、

一般に夏安居(げあんご)の最後の日(七月一五日)に、集会した僧が安居中の罪過の有無を問い、反省懺悔(ざんげ)しあう作法、

で(精選版日本国語大辞典)、「安居」とは、

仏教の出家修行者たちが雨期に1か所に滞在し、外出を禁じて集団の修行生活を送ること、

をいい、

サンスクリット語バルシャーバーサvārāvāsaの訳、

で、

雨(う)安居、
夏(げ)安居、

ともいい、4か月ほどインドの雨期のうち3か月間(4月16日~7月15日、または5月16日~8月15日)は、修行者は旅行(遊行 ゆぎょう)をやめて精舎(しょうじゃ)や洞窟(どうくつ)にこもって修行に専念した(日本大百科全書)とある。つまり、

旧暦7月15日、

は、仏教では安居が開ける日である「解夏」にあたり、

仏教僧の夏安居の終わる旧暦7月15日に僧侶を癒すための施食を行う、

つまり、本来、

安居の終った日に人々が衆僧に飲食などの供養をした行事、

が転じて、祖先の霊を供養し、さらに餓鬼に施す行法(施餓鬼)となっていき、それに、儒教の孝の倫理の影響を受けて成立した、目連尊者の亡母の救いのための衆僧供養という伝説が付加された、

と考えられるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%82%E8%98%AD%E7%9B%86%E4%BC%9A

唐代から宋代には中国の民俗信仰を土台として盂蘭盆、施餓鬼と中元節が同じ7月15日に行われるようになり、儀礼や形式、作法などにも共通性が見られるようになるなど道教の行事との融合が進んだとされる(仝上)が、日本では、斉明天皇三年(657)に、

須弥山の像を飛鳥寺の西につくって盂蘭盆会を設けた、

記され、同五年7月15日(659)には京内諸寺で『盂蘭盆経』を講じ七世の父母を報謝させたと記録されているのが古い例となる(仝上)。

盆踊り.jpg

(「盆踊り」(歌川豊国『十二ケ月 七月盆踊』) 盆(盂蘭盆)に人々が広場などに集まって歌や音頭に合わせて踊る行事。本来は迎えた祖先の霊や精霊を楽しくにぎやかにあの世に送り返すためのものであったといわれる。中世以後は念仏踊の流行に伴って、各地で多彩な盆踊りが生まれた。日本大百科全書より)

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 04:59| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする
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