集(たか)る
船人もみな、子たかりてののしる(土佐日記)、
数の蛇ども、集(たか)りかかって噛み殺し、みそみそとして、山のかたへ皆帰りて、別の事もなかりしと也(諸国百物語)、
などの、
集(たか)る、
は、
集まる、
意で、「古事記(712)」にも、
蛆(うじ)多加礼(タカレ)ころろきて、
と使われているが、
羶によて蟻がたかる(「古活字本荘子抄(1620頃)」)、
と、
寄り集まる、
むらがり集まる、
意や、転じて、
しばしば御ゆだんあるまじく候、おこりたかり候物にて候(「醍醐寺文書(室町時代)」)、
と、
病気になる、
病気がうつる、
病気がひろがる、
意や、さらに、
通りがかった仲間がそれを見つけて、男にたかる(川端康成「浅草紅団(1929~30)」)、
と、
人をおどしたり、泣きついたりして金品をせしめる、
恐喝(きょうかつ)する、
また、
食事などをおごらせたり遊興の費用を出させたりする、
という意でも使う。今日は、ほぼこの意で使う。
立ちかかる意かと云ふ、
という語源(大言海)から見ると、
寄り集まる、
という状態表現が、価値表現へ転じ、客体表現から主体表現、つまり、
何かに集まっているから、我身に集まってくる、
という、
他人事から我が事、
に転じた、と見える。
集、
という漢字の読み方には、
集(あつ)む(まる)、
集(つど)ふ(う)、
集(すだ)く、
とも訓ませる。
「すだく」は、
すたく、
とも訓ませ、
夏麻引く海上潟の沖つ洲に鳥は簀竹(すだけ)ど君は音もせず(万葉集)、
むぐらおひて荒れたるやどのうれたきはかりにも鬼のすだくなりけり(伊勢物語)、
藻にすだく白魚やとらば消ぬべき(芭蕉)、
などと、
多くのものが群がり集まる、
意と、
我やどにいたゐの水やぬるむらん底のかはづぞ声すだくなる(「曾丹集(11C初)」)、
答ふる者は夏草に、すだける虫の声ならで、外に音せん物もなし(浄瑠璃「源頼家源実朝鎌倉三代記(1781)」)、
などと、
多くの虫や鳥などが集まって鳴く、
多く集まってさわぐ、
意がある(精選版日本国語大辞典)。「すだく」で触れたように、本来は、
「ツドフ(集ふ)」と「スダク(集く)」と同源の語の変化(日本語源広辞典)。
「集(つど)ひ挈(た)くの約。集ひ居て動く義(大言海)
とあり、元々、
集まる、多く集う、
という意味で、
誤りて、鳴く、
とする(大言海)。だから、意味として、
虫集く、
は、
集まっている、
という意味だけで、
鳴く、
意味は本来なかった。因みに、「挈(た)ぐ」は、
手揚(たあ)ぐの約か、
として、
揚ぐ、もたぐ、
の意味とする(大言海)が、他の辞書には載らない。もし、この説通りなら、
ただ集まる、
という意味だけではなく、
もたげる、
という含意がある。だから、ただ集まる意味に、
騒ぐ、
あるいは、
騒がしい、
という含意が、もともとあった、と考えるべきなのかもしれない。「すだく」と、
つどふ(う)、
が同源とすると、あえて、
つどふ、
と使い分けて、含意を異にしたかったからということなのかもしれない。「つどふ」は、
国国の防人つどひ舟(ふな)乗りて別るを見ればいともすべなし(万葉集)、
と、
(一人の意向によって召し寄せられて)集合する、
意や、
ももしきの大宮人はいとまあれや梅をかざしてここにつどへり(万葉集)、
と、
(一つのものを中心に)寄り合う、会合する、
意や、
是を以ちて八百万の神、天安の河原に神集ひ集(ツドヒ)て〈集を訓みて都度比(ツドヒ)と云ふ〉(古事記)、
と、
ある目的をもって集まる、
意で使う。その語源は、
ツヅ(粒・珠)アフ(合)の転で、一つの緒に多くの珠が貫かれるのが原義か、類義語アツマルは、同質のものが寄り合う意(岩波古語辞典)、
ツ(津)+トフ(問・訪)、港や津に船や人が集まる意(日本語源広辞典・名言通・日本古語大辞典=松岡静雄)、
津訪(と)ふの義、舟に起こる(大言海)、
船がツに集まる意からで、ツはツ(津)、ドフは語尾(国語の語根とその分類=大島正健)、
等々あるが、由来は、
集(ツトツテ)于卓淳、撃新羅(神功紀)、
とあるように、
船が集まる、
という特殊な用例から来たのかもしれない。
「あつむ(まる)」は、
国邑の人民を召し集(アツメ)て(地蔵十輪経元慶点)、
これよりさきの歌を集めてなむ、万葉集となづけ(古今集・序)、
と、
散らばっている同質のものを一つ中心に寄せる、
一つにまとめる、
意で、
統率するために集合させる意、
の「つどふ」と区別している(岩波古語辞典)。転じて、
大伴、我家にありと有(ある)人あつめて(竹取物語)、
と、
多くの物や人を一箇所に寄せ合わせる、
まとめる、
意で使い(精選版日本国語大辞典)、転じて、
其人数をまつめ候時は、入がいを吹候者(上杉家文書)、
と、
纏める、
集める、
と当て、
まつめる、
とも訛る(仝上)。この語源は、
アは発語、因て、ツメとも、ツムともよめり、積むと義同じ(大言海・和訓栞)、
厚(あつ)むの活用(長むる、廣むる)(大言海)、
アツム(弥積)の義(言元梯)、
アマタ-ツム(積)から(和句解)、
等々、
積む、
と絡ませる説が多い(日本語源大辞典)。
集む、
で、
あぢきなしなげきなつめそうき事にあひくる身をばすてぬものから(古今集)、
と、
つむ、
と訓ませる用例(なげきを集める、ではなく、嘆き詰める、の意とする見解が現在は多いが)もあり、
あつめる、
意で、多く、
掻きつむ、
刈りつむ、
などと熟して用いられる(精選版日本国語大辞典)。
こうみてみると、確かに、「つどふ」→「すだく」と転訛したのかもしれないが、
あつむ、
つどう、
すだく、
たかる、
は、元々別々のものについて個別に言い、微妙に使い分けていたものだと思われる。それを「集」の字を当てたために、
あつまる、
という意味に収斂していったのではあるまいか。
「集」(漢音シュウ、呉音ジュウ)は、
会意文字。元は、「三つの隹(とり)+木」の会意文字「雧」で、たくさんの鳥が木の上にあつまることをあらわす。現在の字体は、隹二つを省略した略字体、
とある(漢字源・https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%9B%86)。別に、意味は同じだが、
会意。雥(そう 多くの鳥。隹は省略形)と、木(き)とから成る。たくさんの鳥が木の上に止まるさまにより、多くの鳥が「あつまる」意を表す、
ともある(角川新字源)。
異字体として、
雧(古体)、
の他に、
㠍、
㯤、
䧶、
亼、
雦、
𠍱、
等々があり、「集」は、
聚、
輯、
の代用字としても使われる。したがって、「つどう」、「あつむ(まる)」に、
聚、
の字も当てる(大言海)。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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