仏神三方、天神地祇、上は梵天帝釈、四大(しだい)の天王、日月星宿も御照覧候へ(諸国百物語)、
の、
仏神三方、天神地祇、上は梵天帝釈、四大の天王……、
は、
起請文、
などの、
誓いをとなえるための、神道、仏教の神々の名を上げる慣用語、
とある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。この嚆矢は、鎌倉時代の御成敗式目の末尾にある北条泰時(やすとき)らの連署起請文の、
梵天(ぼんてん)・帝釈(たいしゃく)・四大天王・惣(そう)日本国中六十余州大小神祇(じんぎ)、特伊豆・筥根(はこね)両所権現(ごんげん)、三島大明神・八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)・天満(てんまん)大自在天神、部類眷属(けんぞく)神罰冥罰(みょうばつ)各可罷蒙者也、仍起請文如件、
で、その後のモデル(日本大百科全書)となり、形式の整った中世のものは、
「敬白」「起請文之事」などと冒頭に置き、末尾は、「仍起請文如件」と結んで、署名判と年月日を記す。内容は、宣誓の具体的な事柄を記しもしそれに違背すればと書いて、神文(しんもん=誓詞)となり「梵天帝釈四大天王総而日本国中大小神祇」以下神仏名を列挙し、その罰をわが身に受ける旨を記す、
という構成をとる(精選版日本国語大辞典)。なお、
梵天は、梵天王、帝釈は、帝釈天で、共に護法神、
と注記がある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。この中の、
四大の天王、
とは、
四天王、
つまり、
持国天、増長天、広目天、多聞天(毘沙門天)、天地四隅の守護神、
とある(仝上)。なお「三方」については、「公卿(くぎょう)」で触れたように、
神供(じんぐ)や食器を載せるのに用いる膳具、折敷の下に台をつけたもの、
で、普通白木を用い、
三方に穴をあけたものを、
三方(さんぼう)、
四方に穴のあけたのを、
四方、
穴をあけないのを、
公卿、
という(広辞苑)。
(ビルマの四護神(四天王)を表した図 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E5%A4%A9%E7%8E%8Bより)
「四天王」は、略して、
四天、
ともいうが、「四天」は、
四時の天、
つまり、
春を蒼天(そうてん)、夏を昊天(こうてん)、秋を旻天(びんてん)、冬を上天(じょうてん)を総称、
していう意味になるが、また、仏語の、
四天下(してんげ)、
の略で、
須彌山(しゅみせん)を囲む八重の海・山の、最も外側の海の四方にあるという四つの大陸。東方の弗婆提(ふつばだい・ふばだい)、西方の瞿陀尼(くだに)または倶耶尼(くやに)、南方の閻浮提(えんぶだい)、北方の鬱単越(うったんおつ)または倶留(くる 瞿盧とも)の総称、
の意でもある。だから、四方、つまり、
東西南北、
の意で使い、それをメタファに、
蚊帳は、たうか、ろりん、ろけん、ほら、四天(シテン)ちへりは錦織或は金入織物のしつ(「評判記・色道大鏡(1678)」)、
と、
蚊屋の上部の四方のへり、
の意でも使う(精選版日本国語大辞典)。なお、「須弥四洲(しゅみししゅう)」については、「金輪際」で触れた。
また、「四天」を、
よてん、
と訓ませると、
歌舞伎で、勇士・山賊・海賊・捕手などの激しく体を動かす役の着る、広袖で左右の裾が割れている衣装、
をいい(精選版日本国語大辞典)、
衽(おくみ 左右の前身頃の端につけたした半幅の布)がなく、裾の両脇に切れ目(スリット)が入っている、
のが特徴で(世界大百科事典)、
きらびやかな織物に馬簾(ばれん)という飾りふさのついたものと、木綿地で馬簾のつかないものとがある。また、黒一色の黒四天、赤系統の染模様で役者が手に花枝や花槍を持って出る花四天などの種類がある、
とある(精選版日本国語大辞典)。
犬飼現八信道(市川右近 『南総里見八犬伝』 https://enmokudb.kabuki.ne.jp/phraseology/3284/より)
(四天(よてん) 精選版日本国語大辞典より)
してん、
と訓むことは忌まれてきたらしい(世界大百科事典)が、
仏像の四天王の衣装からとった説、
黄檗(おうばく)宗の僧衣が裾のあたりで四つに裂けていて、四天と呼ぶのを移したとする説、
があり、仏教由来であることは間違いないようである(仝上)。
さて、四天王の略である、
四天、
は、
四大王(しだいおう)、
護世四王、
ともいい、仏教観における、
須弥山・中腹に在る四天王天の四方にて仏法僧を守護している四神、
つまり、
東方の持国天、
南方の増長天、
西方の広目天、
北方の多聞天(毘沙門天)、
を指し、
六欲天の第1天、四大王衆天(四王天)の主。須弥山頂上の忉利天(とうりてん)に住む帝釈天に仕え、八部鬼衆を所属支配し、その中腹で共に仏法を守護、
し、
持国天は、東勝身洲を守護する。乾闥婆、毘舎遮を眷属とする。
増長天は、南贍部洲を守護する。鳩槃荼、薜茘多(へいれいた)を眷属とする。
広目天は、西牛貨洲を守護する。龍神、富単那を眷属とする。
多聞天は、北倶盧洲を守護する(毘沙門天とも呼ぶ。原語の意訳が多聞天、音訳が毘沙門天)、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E5%A4%A9%E7%8E%8B)。
夜叉、羅刹を眷属とする。なお、「欲界」については、「三界」、「四天」については、「非想非々想天」でも触れた。
この「四天王」に擬して、
臣下、弟子などのなかで最もすぐれているもの四人の称。また、ある道、ある部門で才芸の最もすぐれているもの四人の称、
についても、四天王像が甲冑をつけ、武器をとり、足下に邪鬼を踏む武将姿であるところから、最初は優れた武将に対し、
源頼光の四天王(渡辺綱・坂田金時・碓井貞光・卜部季武)、
源義経の四天王(鎌田盛政・鎌田光政・佐藤継信・佐藤忠信)、
織田信長の四天王(柴田勝家・滝川一益・丹羽長秀・明智光秀)、
徳川家康の四天王(井伊直政・本多忠勝・榊原康政・酒井忠次)、
等々といったが、後に芸道その他にも広く用い、
和歌の四天王(頓阿(とんあ)、兼好、浄弁、慶運)、
などという(精選版日本国語大辞典・大言海)。なお、八部衆(はちぶしゅう)は、
仏教を守護する異形の神々、
で、
天竜八部衆、
竜神八部、
ともいい、
天(天部)、竜(竜神・竜王)、夜叉(やしゃ 勇健暴悪で空中を飛行する)、乾闥婆(けんだつば 香(こう)を食い、音楽を奏す)、阿修羅(あしゅら)、迦楼羅(かるら 金翅鳥で竜を食う)、緊那羅(きんなら 角のある歌神)、摩羅迦(まごらか 蛇の神)、
の八つをいう(百科事典マイペディア)。「迦楼羅」については「迦楼羅炎」で触れた。
(東方持国天(高砂市時光寺(播州善光寺)の四天王) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E5%A4%A9%E7%8E%8Bより)
(南方増長天(高砂市時光寺(播州善光寺)の四天王) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E5%A4%A9%E7%8E%8Bより)
(西方広目天(高砂市時光寺(播州善光寺)の四天王) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E5%A4%A9%E7%8E%8Bより)
(北方多聞天(高砂市時光寺(播州善光寺)の四天王) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E5%A4%A9%E7%8E%8Bより)
なお「帝釈天(たいしゃくてん)」は、
梵天(ぼんてん)と並び称される仏法の守護神の一つ、
で、もとはバラモン教の神で、インド最古の聖典『リグ・ベーダ』のなかでは、
雷霆神(らいていしん)、
であり、
武神、
である。ベーダ神話に著名な、
インドラIndra、
が原名、阿修羅(あしゅら)との戦いに勇名を馳せ、仏教においては、
十二天の一つで、また八方天の一つ、
として東方を守り、
須弥山(しゅみせん)の頂上にある忉利天(とうりてん)の善見城(ぜんけんじょう)に住し、四天王を統率し、人間界をも監視する、
とされる(日本大百科全書)。「是生滅法」で触れた、『大乗涅槃経(だいじょうねはんぎょう)』「聖行品(しょうぎょうぼん)」にある、
雪山童子(せっさんどうじ)、
の説話で、帝釈天が羅刹(らせつ 鬼)に身を変じて童子の修行を試し励ます役割を演じている(仝上)。
(帝釈天(左)と梵天(右) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%9D%E9%87%88%E5%A4%A9より)
「八方天」(はっぽうてん)とは、
八天、
ともいい、
四方・四隅の八つの方位にいて仏法を守護するという神、
つまり、
東方の帝釈天、南方の閻魔天、西方の水天、北方の毘沙門天、北東方の伊舎那天、南東方の火天、南西方の羅刹天、北西方の風天、
の総称(精選版日本国語大辞典)。「十二天(じゅうにてん)」とは、
一切の天龍・鬼神・星宿・冥官を統(す)べて世を護る一二の神、
をいい、
四方・四維の八天に、上下の二天および日・月の二天を加えたもの、
で、
東に帝釈天、東南に火天、南に閻魔天、西南に羅刹天、西に水天、西北に風天、北に多聞天(毘沙門天)、東北に大自在天、上に梵天、下に地天、および日天、月天、
の総称(仝上)である。
(東寺講堂の帝釈天半跏像 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%9D%E9%87%88%E5%A4%A9より)
(帝釈天(撮壌集(1454)) 精選版日本国語大辞典より)
帝釈天の像形は一定でないが、古くは、
高髻(こうけい 髪を全部引きあげて頭上に髻(もとどり)を結ぶ)、
で、唐時代の貴顕の服飾を着け、また外衣の下に鎧を着けるものもあるが、平安初期以降は密教とともに、
天冠をいただき、金剛杵(こんごうしょ)を持ち、象に乗る姿、
が普及した(仝上)「金剛杵」は「金剛の杵(しょ)」で触れた。また、帝釈天の眷属「那羅延」については触れたことがある。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95