この(聖武天皇の)善行によって、空飛ぶ虫も芝草をくわえて寺の屋根をふき、地を走る蟻も砂金を積み上げて塔を建てた(日本霊異記)、
の、
芝草、
は、
しそう、
と訓み、
さいわいだけ、
の意で、
王者慈仁の時に生ずる、
と注記がある(景戒(原田敏明・高橋貢訳)『日本霊異記』)。
紀伊国伊刀郡、芝草を貢れり。其の状菌に似たり(天武紀)、
押坂直と童子とに、菌羹(たけのあつもの)を喫(く)へるに由りて、病無くして寿し。或人の云はく、盖し、俗(くにひと)、芝草(シサウ)といふことを知らずして妄に菌(たけ)と言へるか(皇極紀)、
とある、
芝草、
は、
万年茸(まんねんだけ)、
幸茸(さいわいたけ)、
ともいい、
霊芝(れいし)の異称、
万年茸(まんねんたけ)の漢名、
であり(広辞苑)、
きのこの一種で、瑞相(ずいそう)をあらわすとされた草、
である(精選版日本国語大辞典)。他に、
門出茸(かどでたけ)、
仙草(せんそう)、
吉祥茸、
霊芝草、
赤芝(せきし)、
福草(さきくさ)、
桂芝(けいし)、
聖茸(ひじりたけ)
などの呼称でも呼ばれ(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9C%8A%E8%8A%9D・世界大百科事典・字源)、
福草(さきくさ)、
幸茸(さいわいたけ)、
と呼ぶようになったのは、
因露寝、兮産霊芝、象三徳兮應瑞圖、延寿命兮光此都(班固・霊芝歌)、
といった、中国文化の影響をうけてからのことである。中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)には、
芝は神草なり、
とあり(http://www.ffpri-kys.affrc.go.jp/tatuta/kinoko/kinoko60.htm)、
霊芝、一名壽濳、一名希夷(続古今註)、
と、
寿潜、
希夷、
三秀、
菌蠢、
別名もある(仝上・字源)。
『説文解字』には、
青赤黄白黒紫、
の六芝、
とあり、『神農本草経』や『本草網目』に記されている霊芝の種類は、延喜治部省式の、
祥瑞、芝草、
の註にも、
形似珊瑚、枝葉連結、或丹、或紫、或黒、或黄色、或随四時變色、一云、一年三華、食之令眉壽(びじゅ)、
とあるように、
赤芝(せきし)、
黒芝(こくし)、
青芝(せいし)、
白芝(はくし)、
黄芝(おうし)、
紫芝(しし)、
とある(https://himitsu.wakasa.jp/contents/reishi/)が、紫芝は近縁種とされ、他の4色は2種のいずれかに属する(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9C%8A%E8%8A%9D)とある。
担子菌類サルノコシカケ科(一般にマンネンタケ科とも)、
のキノコで、
北半球の温帯に広く分布し、山中の広葉樹の根もとに生じる。高さ約10センチ。全体に漆を塗ったような赤褐色または紫褐色の光沢がある。傘は腎臓形で、径五~一五センチメートル。上面には環状の溝がある。下面は黄白色で、無数の細かい管孔をもつ。柄は長くて凸凹があり、傘の側方にやや寄ったところにつく、
とあり(精選版日本国語大辞典)、乾燥しても原形を保ち、腐らないところから、
万年茸(まんねんだけ)、
の名がある。
庭にマンネンタケが生えると瑞兆とし、一家のあるじが旅立つときはマンネンタケを門先にさげて無事の帰還を祈る地方もあった、
といい、
カドデタケ、
の名はそこから出た(世界大百科事典)。
(キノコの茎のつき方 デジタル大辞泉より)
成長し乾燥させたものを、
霊芝、
として用いる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9C%8A%E8%8A%9D)が、後漢時代(25~220)にまとめられた『神農本草経』に、
命を養う延命の霊薬、
として記載されて以来、中国ではさまざまな目的で薬用に用いられ、日本でも民間で同様に用いられてきたが、伝統的な漢方には霊芝を含む処方はない(仝上)とある。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95