2023年02月25日

須弥山


須弥山(すみせん)の頂上は見ることができても、欲の山の頂上はみることができない(霊異記)、

の、

須弥山、

は、

梵語Sumeruの音写(インド神話のメール山、スメール山、su-は「善」を意味する、美称の接頭辞)、

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A0%88%E5%BC%A5%E5%B1%B1

蘇迷盧(そめいろ)、
須弥留(しゅみる)、

とも表記、

ふつう、

しゅみせん、

と訓ませ、

妙高山、
妙光山、

と漢訳する(広辞苑)。

須弥山図.jpg

(須弥山圖 広辞苑より)

古代インドの世界観が仏教に取り入れられたもので、世界の中心にそびえるという高山、

とされ、この世界軸としての聖山は、

バラモン教、仏教、ジャイナ教、ヒンドゥー教にも共有されている、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A0%88%E5%BC%A5%E5%B1%B1

風輪・水輪・金輪と重なった上にあり、大海中にあり、高さは八万由旬(ユジユン 一由旬は四〇里、一説に約7キロメートル)。水に没している部分も八万由旬、縦・横もこれに等しく、金・銀・瑠璃(ルリ)・玻璃(ハリ)の四宝からなり、頂上は帝釈天(たいしゃくてん)が住む、

忉利天(とうりてん)、

で、頂上には善見城(ぜんけんじょう)や殊勝殿(しゅしょうでん)がある。

須弥山には甘露の雨が降っており、それによって須弥山に住む天たちは空腹を免れる、

とある(仝上)。

中腹には四天王が住む。須弥山の周囲には同心円状に七重の山脈があり、その外側の東西南北に、

勝身(しようしん)・贍部(せんぶ)・牛貨(ごけ)・倶盧(くる)、

の四州があり、さらにその外を、

鉄囲山(てつちせん)、

が囲っている。贍部州(ぜんぶしゅう 閻浮提(えんぶだい)、南閻浮提(なんえんぶだい 須弥山の南にあるので)ともいう)が人々の住む世界に当たるとされる(広辞苑・大辞林・大辞泉・日本大百科全書・精選版日本国語大辞典)。

須彌山(しゅみせん)を中心とし、鉄囲山(てっちせん)を外囲とする、山、海の総称を、

九山八海(くせんはっかい)、

といい、中央の須彌山と外囲の鉄囲山と、その間にあるのを、

持双山、持軸山、担木山、善見山、馬耳山、象鼻山、持辺山、

の七金山を数えて九山とし、九山の間にそれぞれ大海があるとする。海は七海が内海で、

八功徳水(はっくどくすい)、

をたたえ、第八海が外海で、

鹵水(ろすい)海、

この中の四方に四大陸が浮かび、われわれの住んでいるのが、南の大陸、

南閻浮提(なんえんぶだい 閻浮提、贍部州)、

となる(精選版日本国語大辞典)。日月星辰は須弥山の中腹の高さで周回している(広辞苑)とある(仝上)。なお、「四天王」「帝釈天」については、「四天王」については触れた。

金輪際」で触れたように、『倶舎論』(4~5世紀成立)には、

安立器世閒(きせけん)、(世界)風輪居下、……次、上水輪、……水輪凝結為金、……於金輪上有九大山、妙高山王處中而住、

とあり、それによると、世界は、

有情世間(うじょうせけん)とよばれる人間界、

と、それを下から支えている、

器世間(きせけん)とよばれる自然界、

とに分類され、後者は、

風輪、
水輪、
金輪、

三つからなっている(日本大百科全書)。それは、

虚空にとてつもない大きさの風輪というものが浮かんでいる。その風輪の上に、風輪よりは小さいがなおかつ無限大に近いような水輪というものがあって、またその上に金輪がある。もちろん厚みも大変なものである。その金輪の上に九つの山がある。その中央にそびえるのが須弥山である。その高さは今の尺度でいうと56万キロメートルあるという。この山の南側に贍部(せんぶ)洲という名前の場所がある。ここがわれわれ人間どもの世界である、

というものである(内田正男『暦と日本人』)。

須弥山の図 『天文図解』 (2).png

(須弥山の図 『天文図解』(元禄2(1689)年刊) https://www2.dhii.jp/nijl_opendata/NIJL0201/049-0284/より)

仏教の世界観で、

全世界、

を示していることばには、

三界

と、

三千世界

があるが、

全ての世界、

を示すという意味で両者は同義とされるが、「三千世界」で触れたように、「三界」の、

界と訳されるサンスクリットdhātuはもともと層(stratum)を意味する、

とあり(世界大百科事典)、仏教の世界観で、

全世界、

を示しているには違いないが、「三界」は、

心の状態を層、

として表現しているのに対して、「三千世界」は、それを、

空間的な広がり、

として表現していて、個人的には、微妙に違う気がする。

三界」は、

三有(さんう)、

ともいい(大辞林)、

一切衆生(しゅじょう)の生死輪廻(しょうじりんね)する三種の世界、すなわち欲界(よくかい)・色界(しきかい)・無色界(むしきかい)と、衆生が活動する全世界を指す、

とある(広辞苑)。つまり、仏教の世界観で、

生きとし生けるものが生死流転する、苦しみ多き迷いの生存領域、

を、

欲界(kāma‐dhātu)、
色界(rūpa‐dhātu)、
無色界(ārūpa‐dhātu)、

の三種に分類したもので(色とは物質のことである)、「欲界」は、

もっとも下にあり、性欲・食欲・睡眠欲の三つの欲を有する生きものの住む領域、

で、ここには、

地獄(じごく)・餓鬼(がき)・畜生(ちくしょう)・修羅(しゅら)・人・天、

の六種の、

生存領域(六趣(ろくしゅ)、六道(ろくどう))、

があり、欲界の神々(天)を、

六欲天、

という。「色界」は、

性欲・食欲・睡眠欲の三欲を離れた生きものの住む清らかな領域、

をいい、

絶妙な物質(色)よりなる世界なので色界の名があり、

四禅天、

に大別される。「四禅天」(しぜんてん)は、

禅定の四段階、

その領域、とその神々をいい、「初禅天」には、

梵衆・梵輔・大梵の三天、

「第二禅天」には、

少光・無量光・光音の三天、

「第三禅天」には、

少浄・無量浄・遍浄の三天、

「第四禅天」には、

無雲・福生・広果・無想・無煩・無熱・善見・善現・色究竟の九天、

合わせて十八天がある、とされる。

「無色界」は、

最上の領域であり、物質をすべて離脱した高度に精神的な世界、

であり、

空無辺処・識無辺処・無処有処・非想非非想処、

の四天から成り、ここの最高処、非想非非想処を、

有頂天(うちょうてん)、

と称する(広辞苑・日本大百科全書・世界大百科事典)。ただ、「非想非々想天」で触れたように、「有頂天」には、

色界(しきかい)の中で最も高い天である色究竟天(しきくきょうてん)、

とする説、

色界の上にある無色界の中で、最上天である非想非非想天(ひそうひひそうてん)

とする説の二説がある(広辞苑)ようだが。

三千世界」は、

『釋氏要覧』(宋代)に、

須弥山有八山、遶外有大鐵圍山、周廻圍繞、幷、一日月、晝夜回轉、照四天下、名一國土、積一千國土、名小千世界、積千箇小界、名中千世界、積一千中千世界、名大千世界、以三積千、故三千大千世界、

とあるように、

三千大千世界、

の意であり(精選版日本国語大辞典)、正に、上述の須弥山の世界を言い、

われわれの住む所は須弥山(しゅみせん)を中心とし、その周りに四大州があり、さらにその周りに九山八海があるとされ、これを一つの、

小世界、

という。小世界は、下は風輪から、上は色(しき)界の初禅天(しょぜんてん 六欲天の上にある四禅天のひとつ)まで、左右の大きさは鉄囲山(てっちせん)の囲む範囲である。「小世界」の大きさは、

直径が太陽系程の大きさの円盤が3枚重なった上に、高さ約132万Kmの山が乗っています、

とあるhttp://tobifudo.jp/newmon/betusekai/uchu.html。この層は、

三輪(さんりん)、

と呼ばれ、

虚空(空中)に「風輪(ふうりん)」という丸い筒状の層が浮かんでいて、その上に「水輪(すいりん)」の筒、またその上に同じ太さの「金輪(こんりん)」という筒が乗っている。そして「金輪」の上は海で満たされており、その中心に七つの山脈を伴う須弥山がそびえ立ち、須弥山の東西南北には島(洲)が浮かんでいて、南の方角にある瞻部洲(せんぶしゅう)が我々の住む島、

http://www.tendai.or.jp/houwashuu/kiji.php?nid=90、三つの円盤状の層からなっている。いちばん下には、

円盤状つまり輪形の周囲の長さが「無数」(というのは10の59乗に相当する単位)ヨージャナ(由旬(ゆじゅん 1ヨージャナは一説に約7キロメートル)で、厚さが160万ヨージャナの風輪が虚空(こくう)に浮かんでいる、

その上に、

同じ形の直径120万3450ヨージャナで、厚さ80万ヨージャナの水輪、

その上に、

同形の直径は水輪と同じであるが、厚さが32万ヨージャナの金でできている大地、

があり、その金輪の上に、

九山、八海、須弥四洲、

があるということになる(日本大百科全書)。この一小世界を1000集めたのが一つの、

小千世界、

であり、この小千世界を1000集めたのが一つの、

中千世界、

であり、この中千世界を1000集めたのが一つの、

大千世界、

である。この大千世界は、小・中・大の3種の千世界からできているので、

三千世界、

とよばれ、

1000の3乗(1000×1000×1000)、

すなわち、

10億の世界、

を意味する(日本大百科全書)、とある。この世界全体の中心に存在するのか、

大毘廬舍那如来(だいびるしゃなにょらい)、

つまり、

大仏、

でありhttp://tobifudo.jp/newmon/betusekai/uchu.html、この三千世界は、

一仏の教化の及ぶ範囲、

とされた(新明解四字熟語辞典)。ゆえに、1つの三千大千世界を、

1仏国土(buddhakṣetra)、

ともよぶhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%8D%83%E5%A4%A7%E5%8D%83%E4%B8%96%E7%95%8C。我々が住んでいる世界を包括している仏国土、

三千大千世界、

は、

娑婆(サハー、sahā)、

である。阿弥陀如来が教化している極楽(sukhāvatī)という名前の仏国土は、サハー世界の外側、西の方角にあるため西方極楽浄土と呼ばれる(仝上)。

須弥山儀.jpg


この世界観を模型にしたものが、

須弥山儀、

で、江戸末期に、

リンが鳴り太陽と月が時計仕掛けで動く模型、

が考案されたhttps://www.ryukoku.ac.jp/about/pr/publications/63/05_treasure/index.htmとある。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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