男は初夜の時には、旅人が病気になって泊まっているのだろうと思った。(中略)後夜(ごや)の終わりごろに(霊異記)、
とある、
初夜、
後夜、
は、
初夜とは午後八時頃をいう。後夜は午前二時から六時までの間をいう、
とある(景戒(原田敏明・高橋貢訳)『日本霊異記』)。
「初夜(しょや)」は、
そや、
とも訛り、古くは、
前日の夜半からその日の朝までの称。後には夕方から夜半までの称。
とある(広辞苑)。つまり、
前夜の夜半より、今朝までの称、これを、今日の初夜とす、又、今日の夕より、夜半までを、今日の後夜と云ふ、
とある(大言海)。それが、
今、常に云ふ所は、夕より夜半までの称、夜半より朝までを後夜とす、
と変わる(仝上)。「夜半」は、
子の時、
夜九ツ、
いまの午後十二時である(仝上)。さらに、
漏刻にては、亥の二刻(午後九時半)より子の二刻(午前十二時半)までの称、子の三刻(午前一時)より丑の四刻(午前二時半)までを後夜とす、
という(仝上)ともある。「漏刻」については、「深更」で触れた。
ただ、仏教では、一日を六分した時間帯の区分を、
六時(ろくじ)、
といい、
晨朝(じんじょう)・日中・日没(にちもつ)・初夜(しょや)・中夜(ちゅうや)・後夜(ごや)、
と別け、
昼夜六時、
ともいい、
晨朝・日中・日没、
を合わせて、
昼三時、
初夜・中夜・後夜、
を合わせて、
夜三時、
ともいう(http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E5%85%AD%E6%99%82・精選版日本国語大辞典)。上記の注記に言う、
午後八時頃、
というのは、この「初夜」の、
戌(いぬ)の刻(午後八時から九時頃)、
を指す。
初更、
甲夜、
ともいい、
その時刻に行なう仏事、
をさす(仝上)。「後夜」は、
寅の刻(午前三時から五時)、
を指す。伝法然撰『浄土三部経如法経次第』に、
日没申時、初夜戌時、半夜子時、後夜寅時、晨朝辰時、日中午時、
とある(仝上)。だから、寺院で初夜(午後八時ごろ)に鳴らす鐘を、
初夜の鐘、
後夜の勤行のとき鳴らす鐘、また、その鐘の音を、
後夜の鐘(かね)、
後夜の勤行のために起きることを、
後夜起、
後夜に行う勤行を、
後夜の行(おこ)ない、
といい、
二〇拝する礼讃を、
後夜礼讃偈(ごやらいさんげ)
後夜礼讃、
という(仝上)。因みに、「中夜(ちゅうや)」は、
亥(い)の刻(午後九時)から丑(うし)の刻(午前三時)、
を指す。
(勤行用の経本(法華経・江戸期) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%A4%E8%A1%8Cより)
「夜」の呼び方には、「深更」で触れたように、中国で、夜を五つに分け、
五夜(ごや)、
というのがある。午後7時ないし8時から、午前5時ないし6時に至るまで、順次2時間を単位に、
初更(甲夜、)、
二更(乙夜、)、
三更(丙夜、)、
四更(丁夜、)、
五更(戊(ぼ)夜、)、
と区切ったところから由来する(日本大百科全書・精選版日本国語大辞典)。
また、「朝」や「ひる」、「夜半」、「よひ」で触れたように、上代、日本の夜の時間区分は、
ユフベ→ヨヒ→ヨナカ→アカツキ→アシタ、
であり、昼の時間帯は、
アサ→ヒル→ユウ、
であった(岩波古語辞典)。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95