2023年03月01日

石塚


柳田國男『増補 山島民譚集』を読む。

山島民譚集.jpg


本書は、

『甲寅叢書』の一冊として大正三年七月に刊行、

され、

七冊の続編が予定、

され、

長者ノ栄華、
長者没落、
朝日夕日、
黄金ノ雞、
椀貸塚、
隠里、
打出ノ小槌、
道(衢)ノ神、
石生長、
石誕生、
硯の水、

の続刊が予告されていたが、刊行されずに終わったといういわく付きの書である。当初の、

山島民譚(さんとうみんたん)集、

は、

河童駒引、
馬蹄石、

が収録されており、再版された際(昭和十七年)の「序」で、柳田國男は、

「この書に掲げた二つの問題のうち、一方の水の神の童子が妖怪と落ちぶれるに至った顛末だけは、あの後の三十年に相応の論及がすすんでいる。最初自分がやや臆病に、仮定を試みたことが幾分か確かめられ、之れと関連して亦新たなる小発見もあった。……他の一方の馬の奇跡についても、別な解説を下す人はまだ現れず、しかも私が引用したのと同じ方向の証拠資料が、永い間には次々と集積して、何れも倍以上の數に達して居る。」

と記しているように、その示した道筋が広げられていることは確かだが、この再版が出るまでは、本書は、

好事家の書架に死蔵、

された状態(関圭吾「解説」)で、一般には知られていなかった。

本書は、この「山島民譚集」に加えて、『定本柳田國男全集』に収録された、その続編、

山島民譚集(二)(初稿草案)、

と、

本書の編者の一人関圭吾の手もとにあった、その続編の、

山島民譚集(三)(未発表原稿)、

を加えて、刊行されたものである。前者には、

大太法師、
姥神、
榎の杖、
八百比丘尼、

後者には、

長者栄華、
朝日夕日、
黄金の雞、
貸椀塚、
隠里、
打出小槌、
衢の神、

が収録され、予告と比較して欠けている部分の補綴として、

日を招く話、

が収録されている(『妹の力』所収)。

本書は、いわば、

民俗学、

の草創期の著作で、後年、これを深めた著作群を柳田自身いっぱい出しているが、その発想の種となるようなテーマが山のようにあるように見える。

自身「再版序」で、

「斯んなにまで沢山の記録を引用しなくとも、もっと安々と話は出来たのであるが、それが駆け出しの学徒の悲しさであり、又実は内々の味噌でもあつた。」

と書くように、ほぼ引用の羅列のようなところもあるが、「未発表」原稿辺りになると、たとえば、

「……同じ土佐長岡郡の上倉(アゲクラ)村大字奈路には村の北に小字四合屋敷と云ふ宅址がある。茲に昔住んだ者も大した長者であった。其長者の家では家内の人数の増減に由らず、毎日只の四合の米を飯に炊けば常に総勢を飽かしむるに足りたと云ふ。此伝説にも打出小槌の如意と無尽蔵との分子が含まれて居る。併し米を四合と限ったのは寧ろ四合屋敷の文字に捕へられた後説であらうと思ふ。凡そ土地の小字に何々屋敷と云ふのは、普通の百姓屋敷の割渡(わりわたし)と時を異にするか条件を異にするか、必ず特殊の階級の住地である。而して此に四合と云ふのは恐らく四宮(しぐう)神即ち守宮神の信仰に基く守宮屋敷のことであらうと思ふ。
 守宮神はもとは宮城の中にも祭られた神である。栄花物語の花山院の巻には守宮神かしこ所の御前にてとある。即ち宮守(みやもり)の神の義であって、皇居の鎮護を任とする土地の神であらうと思ふ。諸国の国府の地にも此神を祭つたらしい。(中略)此神は何故か早くから諸道の守神であった。例へば典薬頭雅忠の家では夢に守宮神が七八歳の童子と現はれて火の災を予報した。……盲法師が守宮神を奉ずるのは此神を土地の神とすれば一段と由緒がある。何となれば此徒は琵琶を弾いて野牢地神(「けんろうじじん 大地をつかさどる地神、呪術的信仰対象の一つ)を祭り国土の豊穣を祈祷するを職として居たからである。所謂当道の坐頭の仲間では此神を守瞽神(しゅくしん 辺境の地主神、守宮神とも)であると云ふ。……彼等が祭典を行ふ京の東の地名を四宮川原と云ふが、此も亦恐くは守宮川原であらう。……琵琶法師が妙音天の保護の下に琵琶を弾くと云ふのも、元は地神の祭に他ならぬのであるが、音楽技芸の保護者たる妙音天が其別名の弁財天の名を以て専ら財宝充足の祈願に耳を傾けるやうになつてからは、此徒も亦自然に其方面に於ける別当役を務めることに成つたらしい。殊に後世に於いて殆ど盲僧の主たる職務とした竈払いの祭の如きは、必しも支那の土公(どこう 「つちぎみ」とも 陰陽道で土をつかさどる神の名)の思想即ち竈を支配する土の神の信仰のみを以て説明することは出来ぬ。何となれば我国では竈の神の祭を以て食物の潤沢と健全とを祈る風が古くから有つたらしいからである。此を以てみれば、打出小槌類似の調法な釜を据附けてあつた所謂四合屋敷は、守宮神を祭り且つ竈若は釜の祓をした琵琶法師の住居と仮定して差支ない。従つて隠里に坐頭が居ると云ふことも強ち語路の誤解ばかりでは無いかも知らぬ。岩穴を釜又は竈と呼んだ例もあるのである。又守宮(やもり)が岩穴の中に居て米を出したと云ふ話も、事に由ると盲人の徒が修行した財宝豊穣の祈祷の場所であった結果で、右の守宮はやはり宇賀耶天女の仮の姿であつたかも知らぬ。但しヤモリを守宮と書くことと如何なる関係があるかはまだ考へることが出来ない。(「打出小槌」 カッコ内注記は引用者)

といった具合に、その奥行きと幅は、縦横無尽となる、いわば柳田節である。

ところで、原著の「小序」には、

横ヤマノ 峯ノタヲリニ
フル里ノ 野辺トホ白ク 行ク方モ 遥々見ユル(後略)

とつづく一文があり、

一坪ノ 清キ芝生ヲ 行人(ギョウニン)ハ 串サシ行キヌ
永キ代ニ ココニ塚アレ

とあり、最後に、

此フミハ ソノ塚ドコロ 我ハソノ 旅ノ山伏
ネモゴロニ勧進ス
旅ビトヨ 石積ミソヘヨ コレノ石塚

とある。民俗学の長い道筋に立てた石塚に、さらに研究を積み重ねてほしいという、柳田國男の願いが込められている気がする。

なお、「座頭」については「検校」、「弁財天」については、「弁才天」で触れた。

また、柳田國男の『遠野物語・山の人生』、『妖怪談義』、『海上の道』、『一目小僧その他』、『桃太郎の誕生』、『不幸なる芸術・笑の本願』、『伝説・木思石語』、『海南小記(柳田国男全集1)』については別に触れた。

参考文献;
柳田國男『増補 山島民譚集』(東洋文庫)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 04:52| Comment(0) | 書評 | 更新情報をチェックする
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