千手の呪(まじない)を持っている者を打って、死の報いを得た話(霊異記)、
の、
千手の呪(まじない)、
は、
呪とは陀羅尼のこと、ここは千手陀羅尼經の陀羅尼を指す、
とある(景戒(原田敏明・高橋貢訳)『日本霊異記』)。『梁塵秘抄』(第二巻陀羅尼品)にも、
ゆめゆめ如何にも毀(そし)るなよ、一乗法華の受持者をば、薬王勇施(ゆせ)多聞持國十羅刹の、陀羅尼を説いて護るなる、
とある(佐々木信綱校訂『梁塵秘抄』)。
密教の要義約百条を解説した『秘蔵記』(恵果の口説を空海が記述とも、不空三蔵の口説を恵果が記述とも、唐の義操の弟子文秘述とも、諸説ある)には、
諸經中説陀羅尼、或陀羅尼、或明、或呪、或密語、或真言、如此五義、其義如何、陀羅尼者、佛放光、光之中所説也、……今持此陀羅尼人、能發神通、除災患、與呪禁法相似、是曰呪、
とある。
(梵字とソグド文字で書かれた青頸陀羅尼 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%82%B2%E5%BF%83%E9%99%80%E7%BE%85%E5%B0%BCより)
「陀羅尼」は、「加持」で触れたように、
サンスクリット語ダーラニーdhāraīの音写、
で、
陀憐尼(だりんに)、
陀隣尼(だりんに)、
とも書き、
保持すること、
保持するもの、
の意で、
総持、
能持(のうじ)、
能遮(のうしゃ)、
と意訳し、
能(よ)く総(すべ)ての物事を摂取して保持し、忘失させない念慧(ねんえ)の力、
をいい(日本大百科全書)、仏教において用いられる呪文の一種で、比較的長いものをいう。通常は意訳せず、
サンスクリット語原文を音読して唱える、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%80%E7%BE%85%E5%B0%BC)。
其の用、聲音にあり。これ佛、菩薩の説ける呪語にして、萬徳を包蔵す。呪は、如来真言の語なれば真言と云ひ、呪語なれば、誦すべく解すべからず、故に翻訳せず、
とある(大言海)。ダーラニーとは、
記憶して忘れない、
意味なので、本来は、
仏教修行者が覚えるべき教えや作法、
などを指したが、これが転じて、
暗記されるべき呪文、
と解釈され、一定の形式を満たす呪文を特に陀羅尼と呼ぶ様になった(仝上)。だから、
一種の記憶術、
であり、一つの事柄を記憶することによってあらゆる事柄を連想して忘れぬようにすることをいい、それは、
暗記して繰り返しとなえる事で雑念を払い、無念無想の境地に至る事、
を目的とし(仝上)、
種々な善法を能く持つから能持、
種々な悪法を能く遮するから能遮、
と称したもので、
術としての「陀羅尼」の形式が呪文を唱えることに似ているところから、呪文としての「真言」そのものと混同されるようになった
とある(精選版日本国語大辞典)のは、
原始仏教教団では、呪術は禁じられていたが、大乗仏教では経典のなかにも取入れられた。『孔雀明王経』『護諸童子陀羅尼経』などは呪文だけによる経典で、これらの呪文は、
真言 mantra、
といわれたからだが、普通には、
長句のものを陀羅尼、
数句からなる短いものを真言(しんごん)、
一字二字などのものを種子(しゅじ)
と区別する(日本大百科全書)。この呪文語句が連呼相槌的表現をする言葉なのは、
これが本来無念無想の境地に至る事を目的としていたためで、具体的な意味のある言葉を使用すれば雑念を呼び起こしてしまうという発想が浮かぶ為にこうなった、
とする説が主流となっている(仝上)とか。その構成は、多く、
初に那謨(なも)、或は唵(おん)の如き、敬礼を表す語を置き、諸仏の名號を列ね、二三の秘密語を繰返し、末に婆縛訶(そはか)の語を以て結ぶを常とす、又、阿鎫覧唅欠(アバンランガンケン)の五字は、大日如来の真言にて、五字陀羅尼とも云ひ、この五字は阿鼻羅吽欠(アビラウンケン)の如く、地、水、火、風、空、の五大にして、大日如来の自体となす(大言海)、
とか、
仏や三宝などに帰依する事を宣言する句で始まり、次に、タド・ヤター(「この尊の肝心の句を示せば以下の通り」の意味、「哆地夜他」(タニャター、トニヤト、トジトなどと訓む)と漢字音写)と続き、本文に入る。本文は、神や仏、菩薩や仏頂尊などへの呼びかけや賛嘆、願い事を意味する動詞の命令形等で、最後に成功を祈る聖句「スヴァーハー」(「薩婆訶」(ソワカ、ソモコなどと訓む)と漢字音写)で終わる(日本大百科全書)、
とかとある。因みに、「阿毘羅吽欠蘇婆訶」(あびらうんけんそわか)となると、
阿毘羅吽欠、
は、
梵語a、vi、ra、hūṃ、khaṃ、
の音写で、
地水火風空、
を表し、
大日如来に祈るときの呪文、
である(デジタル大辞泉)。
蘇婆訶、
は、
梵語svāhā、
の音写で、
成就の意を表す(仝上)。『大智度論(だいちどろん)』には、
聞持(もんじ)陀羅尼(耳に聞いたことすべてを忘れない)、
分別知(ふんべつち)陀羅尼(あらゆるものを正しく分別する)、
入音声(にゅうおんじょう)陀羅尼(あらゆる音声によっても左右されることがない)、
の三種の陀羅尼を説き、
略説すれば五百陀羅尼門、
広説すれば無量の陀羅尼門、
があり、『瑜伽師地論(ゆがしじろん)』は、
法陀羅尼、
義陀羅尼、
呪(じゅ)陀羅尼、
能得菩薩忍(のうとくぼさつにん)陀羅尼(忍)、
の四種陀羅尼があり、『総釈陀羅尼義讃(そうしゃくだらにぎさん)』には、
法持(ほうじ)、
義持(ぎじ)、
三摩地持(さんまじじ)、
文持(もんじ)、
の四種の持が説かれている(仝上)。しかし、日本における「陀羅尼」は、
原語の句を訳さずに漢字の音を写したまま読誦するが、中国を経たために発音が相当に変化し、また意味自体も不明なものが多い、
とある(精選版日本国語大辞典)。
なお、「陀羅尼」は、訛って、
寺に咲藤の花もやまんたらり(俳諧「阿波手集(1664)」)、
と、
だらり、
ともいう。
陀羅尼、
は、結句、
すべてのことを心に記憶して忘れない力、または修行者を守護する力のある章句、
をいい(日本国語大辞典)、特に、
密教では一般に長文の梵語を訳さないで梵文の呪文を翻訳しないで、原語のまま音写されたものを、そのまま読誦するので(仝上)、
一字一句に無辺の意味を蔵し、これを誦すればもろもろの障害を除いて種々の功徳を受ける、
とされ(仝上)、
秘密語、
密呪、
呪、
明呪、
ともいい(広辞苑)。
呪、
を、
陀羅尼、
と名づけるところから、呪を集めたものを、
陀羅尼蔵、
明呪蔵(みょうじゅぞう)、
秘蔵(ひぞう)、
等々といい、経蔵、律蔵、論蔵、般若(はんにゃ)蔵とともに、
五蔵、
の一つとされる。密教では、
祖師の供養(くよう)や亡者の冥福(めいふく)を祈るために尊勝(そんしょう)陀羅尼を誦持するが、その法会(ほうえ)を、
陀羅尼会(だらにえ)、
といい(日本大百科全書)、
陀羅尼を誦する時につく鐘、特に、京都建仁寺の
百八陀羅尼鐘、
を、
陀羅尼鐘、
といい、陀羅尼のこと、また、密教の呪文を、
陀羅尼呪(だらにじゅ)、
また、吉野・大峰・高野山などで製造する、
もと陀羅尼を誦する時、睡魔を防ぐために僧侶が口に含んだ苦味薬で、ミカン科のキハダの生皮やリンドウ科のセンブリの根などを煮つめて作る黒い塊、
を、
陀羅尼助(だらにすけ)、
という(仝上)。
苦味が強く腹痛・健胃整腸剤、
に用いる(日本国語大辞典)。訛って、
だらすけ、
ともいう(仝上)。
なお、真言密教の「加持」、「求聞持法」については触れた。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95