千手観音を信仰し、日摩尼手(にちまにしゅ)をたたえ、眼が見えるように祈った(霊異記)、
にある、
日摩尼手、
は、
千手観音の多くの手の中で、日摩尼(日精摩尼ともいう)の玉を持つ手をいう。日摩尼の玉は一切の闇を除くと信じられていた、
とある(景戒(原田敏明・高橋貢訳)『日本霊異記』)。
日摩尼(にちまに)、
の、摩尼は、
maṇi、
日宮殿(太陽)の火珠、
からできていて、
自然に光熱を発する玉、
で、
太陽をかたどったもので、この玉は、
千手観音の四十手中、右の第八手が持ち、
衆生に光明を与えることを意味し、盲人の信仰が厚い(精選版日本国語大辞典)とある。日宮殿(太陽)の対が、
月宮殿(げっきゅうでん、がっきゅうでん)、
で、「須弥山」で触れたように、共に須弥山の中腹の高さで周回している。
「千手観音(せんじゅかんのん)」は、
千手千眼観自在菩薩、
の略称(精選版日本国語大辞典)、
千手、
千手千眼、
千手観世音、
千手千眼観世音菩薩、
千眼千臂観世音、
とも呼び(精選版日本国語大辞典)、観世音菩薩があまねく一切衆生を救うため、身に千の手と千の目を得たいと誓って得た姿である、
観音菩薩の変化(へんげ)像の一つ、
で、
五重二十七面の顔と一千の慈眼をもち、一千の手を動かして一切衆生(いっさいしゅじょう)を救うという大慈(だいじ)大悲の精神、
を具象している(日本大百科全書)。
(千手千眼観自在菩薩 精選版日本国語大辞典より)
「千手観音」の、
千は満数で、目と手はその慈悲と救済のはたらきの無量無辺なことを表わしている、
とある(精選版日本国語大辞典)。観音菩薩は大きな威神力をもち世間を救済するという期待が、この千手観音像を成立させたと考えられる(仝上)。千手のうち、四十二臂(ひ)には、
印契器杖(いんげいきじょう)、
を持ち、九五八臂より平掌が出て、
宝剣、宝弓、数珠(じゅず)、
などを持っている。ただ、造像のうえでは千手ではなく、四十二手像に省略されることが多い(仝上)。江戸時代に土佐秀信によって描かれた仏画集『佛像圖彙』(元禄3年(1690))の「千手観音」の註には、
千手、實ニハ、四十臂也、二十五有ニ、各々、四十臂コレアルヲ都合スレバ、千手ナリ、根本印、九頭龍印、又、大慈悲観音、
とある。また、
二十八部衆、
という大眷属を従え、これらは礼拝者を擁護するという(仝上)。
なお、「印契(いんげい)」とは、
Mudrā、
の意訳、
で、
牟陀羅、
と音訳し、
印相、
密印、
印、
等々とも意訳する(精選版日本国語大辞典)。
「印」は標幟(ひょうし)、「契」は契約不改、
の意で、
指を様々の形につくり、また、それを組み合わせて、諸仏の内証を象徴したもの、
で、もとは、
釈尊のある特定の行為の説明的身ぶりから生れたもの、
であったが、密教の発展に伴って定型化した。顕教と密教では印契の意味についてかなり異なった解釈をし、顕教はこれを、
しるし、
の意味としているが、密教では、
諸尊の悟り、誓願、功徳の象徴的な表現、
と解し(ブリタニカ国際大百科事典)、
三密(身密(しんみつ 身体・行動)、口密(くみつ 言葉・発言)、意密(いみつ こころ・考え)との「身・口・意(しんくい)」)、
のうちの「身密」であるとされる。
施無畏印(せむいいん)、
法界定印(ほっかいじょういん)、
施願印(せがんいん)、
智拳印(ちけんいん)、
引声印、
などがある(精選版日本国語大辞典)。印契のうち持物を用いる象徴を、
契印、
手の形による象徴を、
手印、
という(仝上)。
「千手観音」は、六道に対応する、
六観音の一つ、
とされ、
餓鬼道または天道、
に配し、形像は、
立坐の二様、
で、
一面三目または十一面(胎蔵界曼荼羅では二十七面)、四十二の大きな手をそなえ、各手の掌に一眼をつけ、それぞれ持物を執るか、印を結ぶ、
とある。この菩薩の誓いは、
一切のものの願いを満たすことにあるが、特に虫の毒・難産などに秀でており、夫婦和合の願いをも満たす、
という(仝上)。因みに、六観音とは、
六道それぞれの衆生を救済するために、姿を七種に変える観音、
を言い、
衆生を救う六体の観音、
で、密教では、
地獄道に聖(しよう)観音、餓鬼道に千手観音、畜生道に馬頭観音、修羅道に十一面観音、人間道に准胝(じゆんでい)または不空羂索(ふくうけんじやく)観音、天道に如意輪観音、
を配する(広辞苑)。
七観音(しちかんのん)、
という呼び方もする。
(木造千手観音坐像 妙法院蔵(三十三間堂安置) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E6%89%8B%E8%A6%B3%E9%9F%B3より)
千手観音の眷属である、二十八部衆は、『千手経二十八部衆釈』には、
密迹金剛士・烏芻君荼央倶尸・摩醯那羅延・金毘羅陀迦毘羅・婆馺婆楼那・満善車鉢真陀羅・薩遮摩和羅・鳩蘭単吒半祇羅・畢婆伽羅王・応徳毘多薩和羅・梵摩三鉢羅・五部浄居炎摩羅・釈王三十三・大弁功徳天・提頭頼吒王・神母女等大力衆・毘楼勒叉・毘楼博叉・毘沙門天・金色孔雀王・二十八部大仙衆・摩尼跋陀羅・散脂大将弗羅婆・難陀跋難陀・大身阿修羅・水火雷電神・鳩槃荼王・毘舎闍、
等々の各神とされるが、神名は必ずしも一定しない(精選版日本国語大辞典)とある。
なお、小児の遊戯の一つに、
小いさき児を背合せに負いて、千手観音と呼びあるくもあれば(「東京風俗志(1899~1902)」)、
と、
小さな児を背中合わせにおぶって「千手観音、千手観音」と呼び歩く遊び、
というのがある(精選版日本国語大辞典)という。
(子供の遊戯、千手観音 精選版日本国語大辞典より)
なお千手観音の持ち物についてはhttps://butsuzo-nyumon.com/senju-kannon-bosatsu#jimotsuに詳しい。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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