打出(うちで)の太刀をはきて、節黒の胡簶(やなぐい 矢を入れ、右腰につけて携帯する道具)の、雁股(かりまた)に幷(ならび)に征矢(そや 戦闘に用いる矢。狩矢・的矢などに対していう)四十ばかりをさしたるを負ひたり(今昔物語)、
の、
打出の太刀、
は、
金銀を延べて飾った太刀、
と注記があり(佐藤謙三校注『今昔物語集』)、
節黒、
は、
矢柄(がら)の節の下を黒く漆で塗った物、
とある(仝上)。
打出、
は、
うちいで、
うちだし、
とも訓み、
打出の太刀、
は、
金銀を打ち延ばした薄板で柄・鞘を包み飾った太刀、
をいう(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。なお、「矢」については、「弓矢」、「矢の部位名」については、「はず」、「乙矢」、「矢の種類」については、「鏑矢」、「雁股」については「雁股の矢」で、それぞれ触れた。
「かたな」、「太刀」で触れたように、「太刀(たち)」は、
太刀(たち)とは、日本刀のうち刃長がおおむね2尺(約60cm)以上で、太刀緒を用いて腰から下げるかたちで佩用(はいよう)するもの、
で(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E5%88%80)、
腰に佩くもの、
を指す。腰に差すのは、
打刀(うちがたな)、
と言われ、打刀は、
主に馬上合戦用の太刀とは違い、主に徒戦(かちいくさ:徒歩で行う戦闘)用に作られた刀剣、
とされる(仝上)。馬上では薙刀などの長物より扱いやすいため、南北朝期~室町期(戦国期除く)には騎馬武者(打物騎兵)の主力武器としても利用されたらしいが、騎馬での戦いでは、
打撃効果、
が重視され、「斬る物」より「打つ物」であったという。そして、腰に佩く形式は地上での移動に邪魔なため、戦国時代には打刀にとって代わられた、
とある(仝上)。
(金無垢板打出葵紋散糸巻太刀拵え https://www.samurai-nippon.net/SHOP/V-1842.htmlより)
打刀(うちがたな)、
は、
反りは「京反り」といって、刀身中央でもっとも反った形で、腰に直接帯びたときに抜きやすい反り方である。長さも、成人男性の腕の長さに合わせたものであり、やはり抜きやすいように工夫されている、
とあり(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%93%E5%88%80)、やはり、これも、
太刀と短刀の中間の様式を持つ刀剣であり、太刀と同じく「打つ」という機能を持った斬撃主体の刀剣である、
という(仝上)。ちなみに、
「通常 30cmまでの刀を短刀、それ以上 60cmまでを脇差、60cm以上のものを打刀または太刀と呼ぶ。打刀は刃を上に向けて腰に差し、太刀は刃を下に向けて腰に吊る。室町時代中期以降、太刀は実戦に用いられることが少い、
とある(ブリタニカ国際大百科事典)。「太刀」と「打刀」の区別は、例外があるが、「茎(なかご)」(刀剣の、柄つかの内部に入る部分)の銘の位置で見分ける。
(打刀の差し方(江戸時代の武士。左の武士は落とし差し。右の武士は閂差し(もしくは素早く刀を抜けよう左手で握り鐺(こじり)も上げている) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%93%E5%88%80より)
「いかもの」で触れたように、
嚴物造(づく)り、
は、
嚴物作、
怒物作、
嗔物造、
等々と当てて、
鍬形打ったる甲の緒をしめ、いかものづくりの太刀を佩き(「平治物語(鎌倉初期)」)、
と、
見るからに厳めしく作った太刀、
を指し(岩波古語辞典)、
龍頭の兜の緒をしめ、四尺二寸ありけるいか物作りの太刀に、八尺余りの金(かな)さい棒脇に挟み(太平記)、
では、
金銀の装飾をしていかめしく作った太刀、
と注がある(兵藤裕己校注『太平記』)。
イカモノは、形が大きくて堂々としているもの、
とある(岩波古語辞典)だけでなく、
事々しく、大仰なさま、
をも言っているようである。
打出の太刀、
も、その一種、こけおどしに見える。
なお、刀については、「鎧通し」、「来国光」でも触れた。
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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