うちまきの米を多(おほ)らかにかいつかみてうち投げたりければ、此の渡る者ども、さと散りて失せにけり。……されば、幼き兒どもの邊には、必ずうちまきをすべきことなりとぞ(今昔物語)、
とある、
うちまき、
は、
まよけの為に子供の枕もと等に米をまくのをいう。又その米をもいう、
とある(佐藤謙三校注『今昔物語集』)。
(うちまき 精選版日本国語大辞典より)
打撒き、
と当て、
散米(うちまき)、
とも書き(ブリタニカ国際大百科事典)、
打撒米(うちまきよね)の略、
とあり、
散米(さんまい)、
ともいう(広辞苑)。
陰陽師の祓に、粿(カシヨネ)を撒き散らすこと、禍津比(まがつび)の神の入り来たらむを、饗(あ)へ和めて、退かしむる、
という(大言海)、
供物供進の一方法、
で、
米をまき散らすこと、
だが、特に、
陰陽師が祓(はらい)、禊(みそぎ)、病気、出産、湯殿始めなどの時、悪神を払うために米をまき散らすこと、また、その米、
をいう(精選版日本国語大辞典)とある。「粿(カシヨネ)」は、
カシは淅(か)し(水に浸す)の意、
で、
水で洗った米、
洗米、
の意(岩波古語辞典)である。「禍津比(まがつび)の神」は、
神名の「禍」(マガ)は「災厄」、「ツ」は上代語の格助詞「の」、「日」(ヒ)は「神霊」の意味で、「マガツヒ」の名義は「災厄の神霊」、
という意味になり(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8D%E6%B4%A5%E6%97%A5%E7%A5%9E)、
神産みで、黄泉から帰った伊邪那岐命が禊を行って黄泉の穢れを祓った時に生まれた神、
である(精選版日本国語大辞典)。
祓に際してまくのは、
米のもつ霊力で悪霊や災厄を防除し、心身や四囲を清めようとするため、
である(ブリタニカ国際大百科事典)。
節分の夜の豆撒きは、これの名残、
とある(岩波古語辞典)。
しかし、「うちまき」の意は、転じて、
御幣紙(ごへいがみ)、うちまきの米ほどの物、慥(たしか)にとらせん(宇治拾遺物語)、
と、
祓の際や、神仏に参ったときなどに水に浸した米をまき散らすこと(ブリタニカ国際大百科事典)、
また、
神拝の時、神前にまく米(精選版日本国語大辞典)、
をも指すようになり、やはり、
散米、
ともいい、
散供(さんく)、
花米(はなしね)、
などともいい(大辞泉)、散供がなまって、
さんご(散供)、
お散供がなまって、
おさこ(御散供)、
おさご(御散供)、
ともいう(世界大百科事典・ブリタニカ国際大百科事典)。字鏡(平安後期頃)に、
糈、ウチマキヨネ、
とある(「糈(ショ)」は、神前に供える米、または餅)。この、
神仏に供える白米、洗い米、
は、
糈(くましね)、
といい、
糈稲(くはししね)の転、
とあり(大言海)、
神のカミはクマからきたとする、
説もある(世界大百科事典)
糈米、
供米、
奠稲、
とも当て(仝上・岩波古語辞典・デジタル大辞泉)、
おくま、
御洗米(おせんまい)、
おくまい(御供米)、
ともいい、
すごき山伏の好むものは……わさび、かしよね、みづしづく(梁塵秘抄)
と、
かしよね(粿米・淅米)、
ともいい、略して、
くま、
ともいう(大言海)。
社前にまくのは、
神供、
としてであり、
賽銭箱、
が普及して、そこに銭を奉財する習俗が一般化したのは近世になってからであるといわれ(仝上)、
散米の習俗、
は、その一つ以前の姿を伝ている(仝上)とされる。ただ、
後世、神社に詣で、神前に米を撒き奉りて、御散供(おさんごう)と云ふは、無禮なり、
ともあり(大言海)、賽銭は、
幣帛(みてぐら)に代えて供へ奉る錢、
で、
香花錢、
ともいう(大言海)。江戸後期の『松屋筆記』に、
聖福寺佛殿記に、錢幣之獻、材木之奉、……按ズルニ、コレ、今ノ賽銭也、
とある。「散米」、「産供」は、
散錢(さんせん)、
ともいい、
神前に奉る錢、
で、
散物(さんもつ)、
ともいう(仝上)。
花米(はなしね)、
は、
花稲、
とも当て、神供には違いないが、
山桜吉野まうでのはなしねを尋ねむ人のかてにつつまむ(古今著聞集)、
と、
神に供えるため、米を神に包んで木の枝などに結びつけたもの、
とあり(岩波古語辞典)、また、参拝のとき、
神前にまきちらす散米、
をもいう(精選版日本国語大辞典)とある。
はなよね、
ともいう(仝上)。もともと、白紙に米を包んで一方をひねったものを、
オヒネリ、
ともいうから、もとは神への供え物である米を意味したが、米の霊力によって悪魔や悪霊を祓うためにまき散らすこととなった、
ようである(世界大百科事典)。たとえば、『延喜式』記載の大殿祭(おおとのほがい)の祝詞の注に、
今世、産屋以辟木束稲、置於戸邊、乃以米散屋中之類、
と、
出産にあたって産屋に米をまき散らし、米の霊力によって産屋を清めたこと、
がみえている(仝上)。
神前にまきちらす散米、
の意からであろうか、「うちまき」は、さらに転じて、
御うちまきのふくろ二宮の御かたへまいる(御湯殿上日記)、
と、
米、
特に、
ついて白くしたものをいう女房詞、
としても使われた(精選版日本国語大辞典・広辞苑)。
「散供」(さんぐ)は、
清き砂を散供として、名句祭文を読みあげて、一時の祝(のっと)と申しけり(源平盛衰記)、
神祇官人……次南殿御膳宿、散供畢挿土銭以糸貫之(「江家次第(1111頃)」)
と、
米、金銭などをまき散らして、神仏に供えること、また、そのもの、
を言い、特に、
米、
にいい、
うちまき、
はなしね、
散米、
と同義に用いることが多い(精選版日本国語大辞典)とあり、やはり、
戌時帰小野宮、以陰陽允奉平令反閉、先是於小野宮令散供(「小右記」寛和元年(985)五月七日)、
と、
散米、
うちまき、
はなしね、
と同様に、
米、金銭などをまき散らして、悪、けがれ、災厄等を祓い、善、浄、吉祥等をあがなおうとすること、また、そのもの、
の意でも使う(仝上)。
因みに、節分の夜、鬼を追い払うためと称して煎豆(いりまめ)を撒く、
豆撒き、
は、食べ物を撒き散らす、
散供(さんぐ)、
からきているが、白米を撒く、
散米(うちまき)、
白米すこしを紙片に包んで神仏にあげる、
オサゴ、
とつながっている。、家屋新築の棟上げに餅(もち)や粢(しとぎ)団子を投げるのも同類の趣旨とみられる(日本大百科全書)とある。「豆撒き」については、「追儺」、「鬼門」で触れた。
(豆撒き(北斎漫画・節分の鬼) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AF%80%E5%88%86より)
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95