若き侍の兵(つはもの)だちたる二人、南面の放出の間に居て、宿直(とのゐ)しけるに、此の二人、本より心ばせあり(今昔物語)、
東三條殿の長宿直(ながとのゐ)に召し上げたりけるが、その宿直はてにければ(仝上)、
とある、
宿直、
は、
「殿居」の意で、宮中などにいること、
とあり(日本国語大辞典)、
里居、夜居の如し、
とある(大言海)。
晝仕ふるを直と云ひ、夜仕ふるを宿と云ふ、
とあり(仝上)、定家仮名遣には、
とのゐ、宿直、殿居、
金剛般若集験記(11世紀)には、
宿衛(とのゐ)、
とある。なお、
長宿直、
は、
長期間の宿直で、これは地方野臥が務めた、
とある(佐藤謙三校注『今昔物語集』)。令制における宿直は、
夜仕曰宿、昼仕曰直、
とあって(令集解・職員)、宿と直が区別されているが、一般に「とのゐ」(「殿居」とも書く)という場合は、
夜の勤務をのみさしている、
ようである(精選版日本国語大辞典)。で、
故彼の宮に詣(まう)でて宿(とのゐ)に侍(はへ)らむと将(す)(日本書紀(720)皇極三年正月)、
と、
内裏や宮司に事務をとったり警護するために宿泊すること、
意で、
令制では内舎人は帯刀して宿衛し、大舎人、中宮舎人、東宮舎人もまた分番して、それぞれ天皇、中宮、東宮の警衛をするため宿直した。平安時代には大臣、納言、蔵人頭、近衛大将などの高官も宿直した、
とある(仝上)。さらに、
新中納言など、殿ゐには、など、さぶらはれぬ(「夜の寝覚(1045~68頃)」)、
と、
夜間、貴人の身近にあって守護すること、
不寝番、
の意や、
御方々の御とのゐなども、たえてし給はず(源氏物語)、
と、
天皇の寝所で女性が近侍すること、
夜とぎすること、
の意でも使う(仝上)。本来、類聚名義抄(11~12世紀)に、
直、トノヰ、
とあるように、
職制律(在官応直不直条)においては昼の警備を「宿」、夜の警備を「直」と書いて「とのい」と読ませ、
宮中・官司あるいは貴人の警備を行うこと、
の意味であり(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%BF%E7%9B%B4)、大納言以上及び八省卿を除く全ての官人は、その所属する官司に対して交代で、
分番して宿直(とのい 宿直と日直)すること、
を義務づけられていて(仝上・世界大百科事典)、平安時代、内裏や院御所では公卿・殿上人などの当番宿直が行われ、
6日ごとの勤番と5日連続の勤番、
が多い(仝上)とある。宿直の時間割作成は、
各官司の判官(太政官では少納言・弁官、八省では大丞・少丞、国司では掾がこれに相当する)が行い、毎日弁官に対してその名簿を提出した、
し、また、別に、
職務として兵衛・内舎人は宮中を、大舎人・東宮舎人・中宮舎人は、それぞれ天皇・東宮・中宮を警備するために交代で宿直した、
が、平安時代には、近衛府が内裏及び大蔵・内蔵の夜間警備を担い、『延喜式』によれば、
亥の刻・子の刻は左近衛府が、丑の刻・寅の刻は右近衛府が担当、
し、近衛の官人は巡回の際に自らの姓名を叫びながら見回りを行った。これを、
宿奏(とのいもうし)、
といい、律令の規定に関わらず大臣・大納言は中納言・蔵人頭・近衛大将とともに内裏内に置かれた宿直所(とのいどころ)・直廬(じきろ)に宿直して緊急事態に備えた(仝上)とある。しかし、後世においては、夜の警備を、広く、
宿直、
もしくは、
殿居、
と書いて「とのい」といったようである(仝上)。
なお、「宿直」は、
以顒有辞儀、引入殿内、親近宿直(齊書・周顒傳)、
と、
シュクチョク、
と訓ませ、
役所などに更代にてとまる、
官吏がとのゐする、
意の漢語である(字源・大言海)。
また、官人が宮中に宿直するときの服装、
を、
昼(ひ)の装束(しょうぞく)、
に対して、
宿直装束(とのいしょうぞく)、
宿装束
宿直衣(とのいぎぬ)、
といい、その姿を、
宿直姿、
といい(大言海・日本大百科全書)、枕草子に、
うへのきぬの色いときよらにて革の帯のかたつきたるを宿直姿にひきはこえて紫の指貫(さしぬき)も雪に冴え映えて、
とあるように、文官も武官も、
縫腋(ほうえき)の袍(ほう)のはこえ(後ろ腰の袋状にたくし上げた部分)を外に出して着る、すなわち、
衣冠(いかん)姿、
であった(仝上)。ただ、平安時代末期の仮名文の平安装束の有職故実書『雅亮(まさすけ)装束抄』(源雅亮)には、
とのゐそうぞくといふは、つねのいくはんなり、さしぬきしたはかまつねのことし、そのうへにわきあけをきて、かりぎぬのをびをするなり、
とあって闕腋(けってき 衣服の両わきの下を縫い合わせないであけておくこと)の袍も用いたようである。なお「狩衣(かりぎぬ)」については「水干」で触れた。
「袍(ほう)」は、「したうづ」で触れたように、
束帯や衣冠などの時に着る盤領(まるえり)の上衣、
で、
束帯や衣冠に用いる位階相当の色による、
位袍、
と、位色によらない、
雑袍、
とがあり、束帯の位袍には、文官の有襴縫腋(ほうえき 衣服の両わきの下を縫い合わせておくこと)と武官の無襴闕腋(けってき)の二種がある(精選版日本国語大辞典)。
(束帯 日本大百科全書より)
「束帯」は、「したうづ」、「いだしあこめ」)で触れたように、
飾りの座を据えた革の帯で腰を束ねた装束、
の意(有職故実図典)で、『論語』の公冶長篇の、公西華(字は赤)についての孔子の、
赤也何如(赤や何如)、
子曰、赤也、
束帯立於朝(赤(せき)は束帯して朝に立ち)、
可使與賓客言也(賓客と言(ものい)わしむべし)、
の言葉にある、
束帯立於朝、
に由来するとされ(仝上)、
公家(くげ)男子の正装。朝廷の公事に位を有する者が着用する。養老(ようろう)の衣服令(りょう)に規定された礼服(らいふく)は、儀式のときに着用するものとされたが、平安時代になると即位式にのみ用いられ、参朝のときに着る朝服が礼服に代わって儀式にも用いられ、束帯とよばれるようになった、
とある(有職故実図典・日本大百科全書)。
「衣冠」は、
参朝用の束帯の略装、
で、束帯を、
晝装束(ひるのしょうぞく)、
と称したのに対して、宿直装束に属したので、
宿衣(とのいぎぬ)、
という(有職故実図典)。直衣(のうし)と同様、内々に用いられていたが、鎌倉時代になると、宮中出仕のときにも用いられるようになった、
が、直衣(のうし)は、宿直用にも用いられたが、これは平服で正装とはされなかった(世界大百科事典)。なお、「直衣」は、「いだしあこめ」で触れたように、
衣冠が宿衣(とのいぎぬ)なのに対して、直(ただ)の衣の意で、平常の服であることからきた名、
である。束帯、衣冠のように当色(とうじき 位階に相当する服色)ではなく、好みの色目を用いたことにより、
雜袍(ざつぽう)、
と呼ばれた。ただ、
雜袍聴許、
を蒙っての参内、あるいは院参などの場合は、一定の先例にしたがった(有職故実図典)、とある。
(直衣 デジタル大辞泉より)
(衣冠姿・正面(法然上人絵伝) 『有職故実図典』より)
(衣冠姿・背面 仝上)
「衣冠」の構成は、
束帯より半臂(はんぴ)、下襲(したがさね)、石帯(せきたい)を省き、表袴(うえのはかま)のかわりに指貫(さしぬき)をはく形式で、
冠(かんむり)、
袍(ほう 「したうづ」で触れた)、
衣(晴の所用)、
袙(あこめ 略すこともある)、
単(ひとえ 「単(ひとえぎぬ)」については「帷子」で触れた)、
指貫(「袴」lで触れた)、
下袴(時によって省略 「したのはかま」については「犢鼻褌(たふさき)」で触れた)、
檜扇、
帖紙(たとう 「畳紙(たとうがみ)」で触れた)
浅沓(「水干」で触れた)、
である(仝上・日本大百科全書)。「石帯」(せきたい)については「したうづ」で、「表袴(うえのはかま)」については「袴」で触れた。
束帯や布袴の袍と同様に位袍であるが、通常は帯剣することがなく、闕腋(けってき)の袍は用いられない。また着装に石帯を用いないため、それにかわる絹の帯で腰を締めることにより、その衣文(えもん)や着装姿は束帯と異なる、
とある(仝上)。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
鈴木敬三『有職故実図典』(吉川弘文館)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95