妻戸


其の居たりける後の方にありける妻戸(つまど)を、にはかに内より押し開けければ、内に人のありて開くなめりと思ふ程に、何ともおぼえぬ物のきと手を差し出して(今昔物語)、

の、

妻戸、

は、

簷(のき)の戸、

とあり(大言海)、

舞戸(まいど 枢(くるる)や蝶番(ちょうつがい)などによって開閉する開き戸)にて両方へ開くもの、

で、

寝殿造などの廂(ひさし)の四隅にありて、主客共に出入りする戸口、戸は厚板にて作り、両開きにして、内外に金具あり、外の方へ開き、閉づる時、繫金(かけがね)す、

とある(仝上)。

寝殿造では、周囲の建具は蔀(しとみ)が主で、必要に応じて柱間全部を開け放てる利便があるが、夜間や風雨の強い日にひとたび閉じてしまうと開けるのが容易でない。そこで建物の端の隅に、開閉のたやすい両開きの板戸を設けていた、

とある(日本大百科全書・世界大百科事典)。一名、

小脇戸(こわきど)、

とも(仝上)。

妻戸.bmp

(妻戸 精選版日本国語大辞典より)


二つ折りの妻戸(つまど).jpg

(二つ折りの妻戸(『慕帰絵詞』 http://www.ktmchi.com/SDN/SDN_012-2.htmlより)

妻戸図面.jpg

(妻戸・図面(西明寺) 柱の芯々で9.4尺(2.84m)、内法長押と下長押の間は8.1尺(2.4m)。建物によって若干変わりはするが、平均的なサイズである。幣軸(へいじく 板唐戸の周辺にある繰形付の化粧木で、一種の額縁)や方立(ほうだて 門などに、扉を受けるために両側に立てる小柱または細長い板。ほこだち)があるので戸自体は高さ2.16m、幅は二枚で約2m、一枚1mぐらいである http://ppnetwork.seesaa.net/article/443211797.htmlより)

ちなみに、「しとみ」とは、

蔀、

と当て、

柱の間に入れる建具の一つ、

で、

板の両面あるいは一面に格子を組んで作る。上下二枚のうち上を長押(なげし)から釣り、上にはねあげて開くようにした半蔀(はじとみ)が多いが、一枚になっているものもある。寝殿造りに多く、神社、仏閣にも用いる、

とある(精選版日本国語大辞典)。

しとみ.bmp

(しとみ 精選版日本国語大辞典より)

「妻戸」の語源は、

端戸(つまど)の意(広辞苑・大言海・学研全訳古語辞典・岩波古語辞典・日本語源広辞典・類聚名物考)、

が大勢である。その「端(つま)」は、

妻は端を意味し、端にある扉であるために妻戸とよばれた、

と(日本大百科全書)、「端(はし)」の意味もあるが、

棟木と直角の面を、

妻、

平行の面を、

平(ひら)、

といい、妻に入口のある建物を妻入りというが、平安時代に寝殿の、

妻(妻入り) に用いた、

ところからこの名がある(ブリタニカ国際大百科事典・世界大百科事典)とする説もある。そして、

寺院建築や神社建築では板扉を板唐戸(いたからと)という。妻戸は板唐戸の形式の扉であったため、この形式の扉は建物の端に設けられなくても、すべて妻戸の名でよばれるようになった、

とある(日本大百科全書)。つまり、「端(はし)」ではなく、

建物の妻(棟の両端の側面)、

つまり、

棟と直交する方向の側面に設けられたためこの名があり、そこから、

家の端(つま)にある両開き戸、

をも「妻戸」というようになった、というわけである。

年中行事絵巻 妻戸.jpg

(妻戸(『年中行事絵巻』) 六月祓に描かれる寝殿。右側面(妻)に両開戸が開いている。だから妻戸(つまど)である http://www.ktmchi.com/SDN/SDN_012-2.htmlより)

しかし、「つま」で触れたように、「つま」は、

妻、
夫、
端、
褄、
爪、

と当て、

爪、

を当てて、「つま」と訓むのは、「つめ」の古形で、

爪先、
爪弾き、
爪立つ、

等々、他の語に冠して複合語としてのみ残る「爪」は別として、

端(ツマ)、ツマ(妻・夫)と同じ、

の(岩波古語辞典)、

端、

は、

物の本体の脇の方、はしの意。ツマ(妻・夫)、ツマ(褄)、ツマ(爪)と同じ、

とある。「つま(妻・夫)」は、

結婚にあたって、本家の端(つま)に妻屋を立てて住む者の意、

つまりは、「妻」も、「端」につながる。で、「つま(褄)」も、やはり、

着物のツマ(端)の意、

とあり、結局「つま(端)」につながるのであるが、『大言海』は、「つま(端)」について、

詰間(つめま)の略。間は家なり、家の詰の意、

とあり、「間」には、もちろん、いわゆる、

あいだ、

の意と、

機会、

の意などの他に、

家の柱と柱との中間(アヒダ)、

の意味がある。さらに、「つま(妻・夫)」は、

連身(つれみ)の略転、物二つ相並ぶに云ふ、

とあり、さらに、「つま(褄)」も、

二つ相対するものに云ふ、

とあり、

「つま(妻・夫)」の語意に同じ、

とある。こう見ると、「つま」には、

はし(端)説、

あいだ説、

があるということになる。つまり、

「ツマ(物の一端)」が語源で、端、縁、軒端、の意、
と、
「ツレ(連)+マ(身)」で、後世のツレアイです。お互いの配偶者を呼びます。男女いずれにも使います。上代には、夫も妻も、ツマと言っています、

と(日本語源広辞典)、多少の異同はあるが、

はし、

関係(間)、

の二説といっていい。僕には、上代対等であった、





が、時代とともに、「妻」を「端」とするようになった結果、

つま(端)

語源になったように思われる。三浦佑之氏は、

あちこちに女を持つヤチホコ神に対して、「后(きさき)」であるスセリビメは、次のように歌う。
 やちほこの 神の命(みこと)や 吾(あ)が大国主
 汝(な)こそは 男(を)に坐(いま)せば
 うちみる 島の崎々(さきざき)
 かきみる 磯の崎落ちず
 若草の つま(都麻)持たせらめ
 吾(あ)はもよ 女(め)にしあれば
 汝(な)を除(き)て 男(を)は無し
 汝(な)を除(き)て つま(都麻)は無し

と紹介する。どうも、ツマは、

対(つい)、

と通じるのではないか、という気がする。「対」は、中国語由来で、

二つそろって一組をなすもの、

である。『大言海』は、「つゐ(対)」について、

「むかひてそろふこと」

と書く。この「つま」の意味から見ると、

建物の端(はし)、

ではなく、

妻(棟の両端の側面)、

の意味を併せ考えると、

関係(間)、

の意味があり、対をなしている、

両開き、

の含意もあったのではないか、という気がしてならない。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95


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