塗籠(ぬりごめ)


夜半(よなか)ばかりに西の對(たい)の塗籠(ぬりごめ)を開きて、人のそよめきて渡る気色のありければ(今昔物語)、

などとある、

塗籠、

は、

室内をくぎって周囲を壁で囲った室、物置に使い、寝室にもした、

とある(佐藤謙三校注『今昔物語集』)。「對」は、

對の屋、宮廷貴族の邸宅の様式であった寝殿造の一部で、正殿(寝殿)の北、及び東西にあった、

とある(仝上)。

寝殿造.png

(寝殿造(東三条殿平面図(最も信頼性が高いとされている川本重雄『寝殿造の空間と儀式』より作成) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%9D%E6%AE%BF%E9%80%A0より)

寝殿造は、

主人が居住する寝殿という建物を中心に、東西に渡殿(わたどの)という廊下で結ばれた対屋(たいのや)を、南には池のある大きな庭園を設けたもの。東西の対屋からは中門廊(ちゅうもんろう)が南に向かって伸び、中ほどに中門を、先端の池に臨む場所には釣殿(つりどの)を設けた、

とあり(家とインテリアの用語がわかる辞典)、床は板敷き、畳は人が座るところにのみ置かれ、部屋を区切る建具はほとんどなく、仕切りには、

御簾(みす)、



几帳(きちょう)、

を用い、初期には、

塗籠(ぬりごめ)、

だけは独立した寝室として用いられたが、平安中期以降は母屋(もや)や北庇に帳台(ちょうだい)を置いて寝所とした(仝上)とある。

だから、「塗籠」は、

寝殿造りの母屋もやの一部を仕切って、周囲を厚く壁で塗りこめた閉鎖的な部屋、

なので(広辞苑)、

寝殿造の部屋の名、

というのが正確のようである(岩波古語辞典)。

四方をかべでかこみ、明取(あかりとり)をつけ、妻戸から出入りする、

とあり(仝上・大言海)、

土で厚く塗った壁に囲まれていた小さな部屋のことが塗込だったことから、

塗籠、

と呼ばれたhttps://www.token.co.jp/estate/useful/archipedia/word.php?jid=00016&wid=30046&wdid=01が、

衣服・調度など手近な器具を納めて置く所、

になったようである(仝上)。「妻戸」については触れた。

寝殿の指図(配置図).png

(寝殿の指図(配置図) http://www.ktmchi.com/SDN/SDN_013-3.htmlより)

『花鳥余情』(1472年 一条兼良)は、

寝殿の廂に、壁を塗りまはし、妻戸の如き開き戸を設け、調度を置く所、

としている。平安時代の寝殿造では、

寝殿や対屋(たいのや)の母屋(もや)の端2間四方をくぎって塗籠とした例がよくみられる、

とある(日本大百科全書)。御簾(みす)、障子(現在の襖(ふすま))、屏風(びょうぶ)など、開放的な間仕切りが中心となる寝殿造の中で、壁や妻戸(両開きの板戸)で囲まれた塗籠は、閉鎖的で暗い場所を寝室とする古くからの習慣が残ったものであろう、

とされる(仝上)が、平安中期には母屋や庇(ひさし)に、

帳台(ちょうだい)、

を置いて寝所とし、塗籠は納戸として使うようになった(仝上)。内裏(だいり)清涼殿で、天皇が用いるものは、

夜の御殿(おとど)、

と呼ばれたようだが、やはり江戸時代には、衣服・調度等の物品を収納する部屋にも使用した(マイペディア・世界大百科事典)とある。

宮はいと心憂く、なきけなくあはつけき、人の心なりけりと、ねたく、つらければ、若々しきやうには、いひ騒ぐともとおぼして、塗籠に御座(おまし)ひとつ敷かせ給いて、内より鎖して大殿籠もりけり、これもいつまでにかは。かばかりに乱れ立ちにたる人の心どもは、いと悲しうくちをしう思す、

と『源氏物語』(夕霧)では、女性が求婚者を避けるために、塗籠を寝所とする場面が描かれているが、平安中期には母屋や庇(ひさし)に帳台(ちょうだい)を置いて寝所とし、塗籠は納戸として使うようになったので、

塗籠他行(ぬりごめたぎょう)、

という、

人には外出と偽って、実は塗籠の中に隠れていること、

つまり、

居留守を使うこと、

のような用例があり、特殊の避難場所のような使い方と見られる(広辞苑)。

「帳台(ちょうだい)」というのは、

寝殿の母屋(もや)内で、風を避け寒さを防ぐため、四方に帳(とばり)を巡らし、このなかで座ったり寝たりする屏障具(へいしょうぐ)を兼ねた座臥具(ざがぐ)、

をいい(日本大百科全書)、

天皇・皇后とか上級貴族の寝室を、

帳(ちょう)、
御帳、
帷帳、

というが、鎌倉時代中期以降は、

帳台(ちょうだい)、
御帳台、

と呼ばれるhttp://www.ktmchi.com/SDN/SDN_013-3.html、本来「帳台」は、

帳の台、つまり浜床という高さ約二尺という台、

つまり、

ベッド、

のことであるが、鎌倉時代の中期以降、全て、

帳台、

というようになる(仝上)。

関白頼通の帳.jpg

(関白頼通の帳(『春日権現験記絵』) http://www.ktmchi.com/SDN/SDN_013-3.htmlより)

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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