2023年03月31日

うへのきぬ


赤き上衣(うへのきぬ)を着、冠したる人の、いみじく気高くおそろしげなる(今昔物語)、

の、

うへのきぬ、

とは、

袍(はう)、

のことで、

貴族の正装、赤いのは高貴の人の着るもの、

とある(佐藤謙三校注『今昔物語集』)。

束帯.jpg

(束帯 日本大百科全書より)

うへのきぬ、

ともいわれる、

袍(ほう)、

は、「したうづ」で触れたように、

束帯や衣冠などの時に着る盤領(まるえり)の上衣、

で、

束帯や衣冠に用いる位階相当の色による、

位袍、

と、位色によらない、

雑袍、

とがあり、束帯の位袍には、

文官の有襴縫腋(ほうえき 衣服の両わきの下を縫い合わせておくこと)、



武官の無襴闕腋(けってき)、

の二種がある(精選版日本国語大辞典)。

袍.bmp

(袍 精選版日本国語大辞典より)


袍を着た聖武天皇.jpg

(袍を着た聖武天皇 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A2%8Dより)

袍の語の初見は養老(ようろう)の衣服令(りょう)にみられ、

イラン系唐風の衣、

で、詰め襟式の、

盤領(あげくび)、

で、奈良時代から平安時代初期にかけての袍は、

生地(きじ)の幅が広かったため、身頃(みごろ)が一幅(ひとの 鯨尺八寸(約三〇センチメートル)ないし一尺(約三八センチメートル)のはば)と二幅(ふたの)のもの、袖(そで)が一幅と、それに幅の狭いものを加えた裄(ゆき)の長いものがみられる、

とあり(日本大百科全書)、平安時代中期以後、服装の和様化とともに、

袍の身頃は二幅でゆったりとし身丈が長く、袖は、奥袖とそれよりやや幅の狭い端袖(はたそで 袖幅を広くするため、袖口にもう一幅ひとのまたは半幅つけ加えた袖)を加えた二幅仕立て、袖丈が長い広袖形式となった、

とある(仝上)。

縫腋の袍.jpg

(縫腋の袍 有職故実図典より)

闕腋の袍.jpg

(闕腋の袍 前後 広辞苑より)

したうづ」、「(あを)」で触れたように、「袍」には、文官用の、

縫腋(ほうえき)の袍、

と、武官用の、

闕腋(けってき)の袍、

があるが、「縫腋の袍」は、

前身と後身との間の腋下を縫い合わせている、

ことからくる名称で、

まつはしのきぬ、

訛って、

もとほしの袍、

とも呼ぶ(有職故実図典)。裾(すそ)に生地を横に用いた襴(らん)がつき、

有襴(うらん)の袍、

ともいわれる。襴の両脇は、古くはひだを畳んであったが、衣服の長大化とともに、そのひだを解いて外に引き出し、

蟻先(ありさき)、

とよんでいる。縫腋の袍の前身頃をたくし上げて、懐(ふところ)をつくる分だけ、あらかじめ後ろ腰の部分をたくし上げて縫い留めたものを、

はこえ、

とか、

格袋(かくぶくろ)、

とよんでいる(日本大百科全書)。「闕腋の袍」は、

わきあけのころも、
わきあけのきぬ、

というように、

袖から下、両腋すべてあけ開いた行動に便利なもの、

で、

襴(らん)、

がなく、

無襴(むらん)の袍、

ともいわれ、

(あを)、

ともいう(有職故実図典)。因みに、「襴」は、

裾に足さばきのよいようにつける横ぎれ。両脇にひだを設けるのを特色とし、半臂(はんぴ)や袍に付属するが、袍はひだを設けずに外部に張り出させて蟻先(ありさき)といい、ひだのあるのを入襴(にゅうらん)と呼んで区別した、

とある(精選版日本国語大辞典)。半臂(はんぴ)は、「したうづ」で触れた。

令義解(718)に、「襖」は、

謂無襴之衣也、

とある。「襖」を、

狩衣、

の意とするのは、狩衣が、

狩襖(かりあお)、

といったため、「狩」が略されて、「襖」と呼んだためである(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。

狩襖、

と呼んだのは、狩衣が、

闕腋(けってき)、

つまり、

両方の腋(わき)を縫い合わせないで、あけ広げたままのもの、

だからである。

位袍と称される、

束帯(「したうづ」で触れた)、
布袴(文官の束帯に準ずるもの。表袴(うえのはかま)と大口(おおぐち)のかわりに指貫(さしぬき 「」で触れた)と下袴(したばかま 「」で触れた)を用いる)、
衣冠(「宿直」)で触れた)、

などの袍は、位階相当の色、すなわち、

当色(とうじき)、

が定められている。その色は、

一位は深紫(又は濃き紫とも云ひ黒し)、二位、三位は浅紫(又は薄紫とも云ふ)、四位は深緋、五位は浅非、六位は深緑、七位は浅緑、八位は深縹(ふかはなだ)、初位は浅縹、無位は黄色、

とある(大言海)が、時代の下降とともに若干の変化をみせ、平安時代初期に、

紫、緋(ひ)、緑、縹(はなだ)、

などの深浅の区別がなくなって、すべて深い色とし、中期以降、

深紫は黒にかわり、四位も黒を用い、六位以下はみな深縹、

を用い、

緑袍(ろくほう)、
緑衫(ろうそう)、

とよんだ(日本大百科全書)。なお、天皇着用として、

帛(はく)の袍、
黄櫨染(こうろぜん)の袍、
青色の袍、

があり、上皇着用に、

赤の袍、

皇太子用には、

黄丹(おうだん)の袍、

がある(ブリタニカ国際大百科事典)。

」(はなだ)で触れたように、

養老の衣服令(りょう)(大宝元年(701)制定、養老二年(718)改撰)で、

八位を深縹、初位(しょい)を浅縹、

としている(仝上)が、平安後期になると、七位以下はほとんど叙せられることがなく、名目のみになったため、六位以下の地下(じげ)といわれる下級官人は、みな緑を用いた。そこで縹は当色から外されたが、12世紀より緑袍(りょくほう)と称しても縹色のものを着ている。縹は当色ではなくなったため、日常も用いられる色となった(仝上)。なお、「袍の色」については、http://www.kariginu.jp/kikata/5-1.htmに詳しい。

また、袍の地質は、五位以上が冬に表地を綾(あや)、裏地を平絹、夏に縠か顕文紗(けんもんしゃ)。六位以下は表地・裏地とも平絹、夏に無文縠か生絹(すずし)とし、公卿(くぎょう 太政大臣・左大臣・右大臣・大納言・中納言・参議(もしくは従三位以上)以上の者が着用する日常衣の直衣も縫腋の袍で、当色による位袍ではないため、

雑袍(ざっぽう)、

といわれる(仝上)。また、五位以上は家流による有紋、地下は無紋、である(精選版日本国語大辞典)。

なお、「衣冠」は、「宿直」で触れたように、

参朝用の束帯の略装、

で、束帯を、

晝装束(ひるのしょうぞく)、

と称したのに対して、宿直装束に属したので、

宿衣(とのいぎぬ)、

という(有職故実図典)。直衣(のうし)と同様、内々に用いられていたが、鎌倉時代になると、宮中出仕のときにも用いられるようになった、

「直衣(なほし)」は、「いだしあこめ」で触れたように、

衣冠が宿衣(とのいぎぬ)なのに対して、直(ただ)の衣の意で、平常の服であることからきた名、

である。束帯、衣冠のように当色(とうじき 位階に相当する服色)ではなく、好みの色目を用いたことにより、

雜袍(ざつぽう)、

と呼ばれた。

「水干」「狩衣」については、「水干」で触れたように、「水干」は、

水干の袍(ほう 束帯、それを略した布袴(ほうこ)、衣冠、日常着の直衣(のうし)などの上着)、
水干の狩衣(かりぎぬ)、

と言うように、

糊を用いず水張りにて干し、乾いてから引きはがして張りをもたせて仕立てた衣、

の意である(広辞苑・大言海・日本大百科全書)。しかし、専ら、

水干の狩衣(かりぎぬ)の略称、

として使われ、製法は、

狩衣と異ならず、

とある(大言海)。その形式は、

盤領(あげくび 首紙(くびかみ)の紐を掛け合わせて止めた襟の形式、襟首様)、身一幅(ひとの)仕立て、脇あけで、襖(あお)系の上着。襟は組紐(くみひも)で結び留め、裾は袴(はかま)の中に着込める、

とある(日本大百科全書)。「狩衣」と「水干」の違いは、

狩衣は、袴の上に着したが、水干は袴の下に着こめて行動の便をはかったこと、

菊綴(きくとじ)を胸に一ヵ所、背面・左右の袖の縫い目に四ヵ所、ほころび易いところに、特に太い組糸を通して結び、時には結び余りを糸総(いとふさ)として、いずれも二つずつつけた(その形から菊綴という)、

胸紐の、前は領(えり)の上角にあり、後は領の中央にあり、二条を、右肩の上にて打ち違え捩(もじ)りて、胸にて結ぶ、

等々といったところにある(有職故実図典・広辞苑・大言海)。

ついでながら、「盤領(あげくび)」の「袍」から外れるが、正面の領(えり)の左側と右側とを垂らし引き違えて合わせる着用法になる、

直垂(ひたたれ)、

は「素襖」で触れたように、(水干と同様)袴の下に着籠めて着用する、のが普通で、もともとは、

上衣、

の名称で、袴は別に、

直垂袴、

と言っていたが、袴に共裂(ともぎれ)を用いるに及んで、袴も含めて、

直垂、

と呼ぶに至り、単に、

上下(かみしも)、

とも呼んだ(有職故実図典)。

垂領(タリクビ)・闕腋(ケツテキ 衣服の両わきの下を縫いつけないで、開けたままにしておくこと)・広袖で、組紐(クミヒモ)の胸紐・菊綴(キクトジ)があり、袖の下端に露(ツユ)がついている上衣と、袴と一具となった衣服。古くは切り袴、のちには長袴、

を用いた(大辞林)。直垂(ひたたれ)の一種の、

素襖

は、

素袍、

とも当て、

素は染めず、裏なき意あり、誤りて、素袍とも書す、然れども、襖も、袍も、うへのきぬなれば、借りて用ゐたるにや、

とし(大言海)。

狩襖(かりおう 狩衣)の、表、布にて、裏絹なるものの、裏をのぞきたるものと云ふ、されば布製にて、即ち、布衣(ほうい)なり、

とある(大言海)。江戸後期の武家故実書『青標紙』(あおびょうし)に、

素袍は、上古、京都にて、軽き人の装束にして、布にて拵へて、文柄も無く、ざっとしたる物故、素とも云ふ、襖は、袍と同じ、上に著たる装束の一體の名なり、

あるように、

もと庶人の常服であったが、江戸時代には平士(ひらざむらい)・陪臣(ばいしん)の礼服となる。麻布地で、定紋を付けることは大紋と同じであるが、胸紐・露・菊綴きくとじが革であること、袖に露がないこと、文様があること、袴の腰に袴と同じ地質のものを用い、左右の相引と腰板に紋を付け、後腰に角板を入れることなどが異なる。袴は上下(かみしも)と称して上と同地質同色の長袴をはくのを普通とし、上下色の異なっているのを素襖袴、半袴を用いるのを素襖小袴という、

とある(広辞苑)。

「袍」 漢字.gif

(「袍」 https://kakijun.jp/page/E5DA200.htmlより)

「袍」(漢音ホウ、呉音ボウ)は、

会意兼形声。「衣+音符包(すっぽりそとからつつむ)」、

で、「褞袍(おんぽう)」で、「わたいれ」、「戦袍(せんぽう)」で、「戦士が着る外衣」の意である。

うえのきぬ、

の意で、衣冠・束帯の上着の意で使うのはわが国独自である。

『礼記』「玉藻篇」に、

纊爲繭、縕爲袍、襌爲絅、帛爲褶(纊(新しいまわた)を入れた服を繭といい、縕(古いまわた)を入れたのを袍という。また襌(ひとえ)に仕立てた衣服を絅といい、綿を入れないのを褶という)、

とあり、唐においては「袍」というのは、

冬の常服の上衣、

で、夏の裏無しは「衫」と称したhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A2%8Dとある。日本の朝服は、

唐の「常服」、

を祖型とし、北朝の胡服の系統を引き、元来は腋のあいたものであった(仝上)らしい。

参考文献;
鈴木敬三『有職故実図典』(吉川弘文館)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 04:26| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする
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