暗くなる程に、此の太郎介が宿したる所に行きて、おほけなく伺ひけるに(今昔物語)、
の、
おほけなし、
は、
大胆にも、
と注記がある(佐藤謙三校注『今昔物語集』)。
「おほけなし」は、
あながちに有るまじくおおほけなき心ちなどはさらに物し給はず(源氏物語)、
おほけなく憂(う)き世の民におほふかなわが立つ杣(そま)にすみぞめの袖(そで)(千載集)、
と、
身の程知らずである、
身の程をわきまえず、
の意や、
おほけなくいかなる御仲らひにかありけむ(源氏物語)、
と、
(歳など)似合わしくない、
意で使う(岩波古語辞典)が、
身分、能力、年齢などから考えて、心・態度・ふるまいがふさわしくなく、出過ぎているさま、分不相応、
というのが原義のようである(日本語源大辞典)。そこから、
大将殿の、宣ふらむ状(さま)に、おほけなくとも、などかは思ひ絶たざらまし(源氏物語)、
おほけなくも琉球(りうきう)国の世子と仰がれ(椿説弓張月)、
と、
おそれ多い、
意(学研全訳古語辞典)など、どちらかというと相手に対する主体の、
劣位を表す、
価値表現から、逆に、その埒を破ることで、
(小男が親の仇討をしようと)おほけなく伺ひけるに……やはら寄りて喉笛を掻き切りて(今昔物語)、
と、
果敢である、
不敵、
というように、主体の価値表現が180度ひっくり返った意味でも使われる。
恐れ多い相手、
だから、
身の程知らず、
分不相応、
だが、にもかかわらず、踏み出すことで、
果敢、
大胆、
へと価値表現が転換した、というように。
そう考えると、「おほけなし」の語源は、
大気甚(おほけな)しの義、大胆なりの意、
とある(大言海)のは、いささか腑に落ちない。「おほけ」は、
大気、
と当て、
あなおほけなること莫言(ない)ひそ、様にも似ず、いまいまし(宇治拾遺物語)、
と、
大いなること、
大胆、
の意だが、
身の程知らず、
恐れおおい、
の含意からは遠い。また、
オフケナシ(負気無)の義(言元梯・名言通・和訓栞)、
も、
「負ふ気甚(な)し」の意という説があるが、古くは「おふけなし」という本文はない、
とあり(岩波古語辞典)、退けられる。また、
覚悟も無しということで、覚束なきという義(燕居雑話)、
アフケナシ(仰気無)の義(柴門和語類集)、
も、
大胆、
果敢、
の意から考えられた語源説のように見え、
恐れおおい、
身の程知らず、
の含意からは程遠い気がする。また、
「おほ」はいいかげんに、だいたいにの意の「おほに」の「おほ」と同じものであろう。「け」は気の意の体言(講談社古語辞典)、
も、ちょっとずれている違う気がする。憶説だが、単純に、
おほき・なし、
なのではないか、という気がする。
おほきなし→おおけなし、
と転訛したのではないか、と。
おほき、
は、
すくな(少・小)の対、
で、
もとオホシ(大・多)の連体形として、分量の大きいこと、さらに、質がすぐれ、正式、第一位であることをあらわした。また、オホキニとして、程度の甚だしさもいった。平安時代に入ってオホシの形は数の多さだけに用い、量の大きさ、偉大などの意はオホキニ・オホキナルの形で表し、正式・第一位の意は、オホキ・オホイで接頭語のように使った、
とある(岩波古語辞典)ので、あるいは、
オホキニナシ→オホキナシ、
の転訛もあり得る。もちろん憶説に過ぎないが、
「おおけ」は分不相応に大きい意、「なし」は甚だしいの意か、
との説(広辞苑)もある。この場合、
なし、
は、
甚し、
と当てる、
痛しの略なる、甚(た)しに通ず、
とある「なし」で、
苛(いら)なし、
荒けなし、
思つかなし、
はしたなし、
等々、
他語に接して、接続詞の如くに用ゐる語、
とある(大言海)のは、
状態を表す語についてク活用の形容詞をつくり、程度の甚だしい意を表わす、
語で、
うつなし、
いらなし、
おぎろなし、
など、
実に……である、
甚だ……である、
意を表わすとする(岩波古語辞典)のと同じである。
「大」(漢音タイ・タ、呉音ダイ・ダ)は、「大樹」で触れたように、
象形。人間が手足を広げて、大の字に立った姿を描いたもので、おおきく、たっぷりとゆとりがある意。達(タツ ゆとりがある)はその入声(ニッショウ つまり音)に当たる、
とある(漢字源)。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
ラベル:おほけなし