柳田國男『口承文芸史・昔話と文学(柳田国男全集8)』を読む。
本書は、
口承文芸史考、
昔話と文学、
昔話覚書、
が収められている。この三篇は、
昔話研究への入門、あるいは最も基本的なテキスト、
と目されている(解説・野村純一)らしい。
口承文芸史考、
では、文字に書かれた「文芸」に対する文芸としての、
口承文芸、
を説き、自身の昔話分類案を提起して、
「自分は昔話が二つのかなりちがった種類に、大別し得られると思っている。その一つは西洋人のいう本格説話、これを私はかりに完成昔話と呼ぶつもりである。通例主人公の生い立ちをもって始まるものであるが、それが少しずつ省略せられるようになっても、なお結末があらゆる願望の充足、あらゆる障害の解除に帰着することだけは変わらない。言わばある非凡なる一人の伝記、もしくはある一門の鼻祖の由来を、説くかと思われる形を具えたものである。これに対してある時の一つの出来事、またはある一人の若干の挙動のみを、取り立てて話題にしたものを、笑話はもとより古風な鳥獣草木譚までも引きくるめて、私はこれを派生説話、もしくは不完形昔話とでもいおうかと思っている。双方がともに昔話であるわけは、話者の相手に知らせたいと念ずる単一の目的、核とも名づくべきものがそれぞれにふくまれているだけでなく、外形はすべてムカシムカシをもって起こり、コレバッカリ等の句をもって結ばれている点が同じだからである。」
と記している(口承文芸考)。
(「昔話分類案」(柳田國男案「その一・その二を解説者が合体させたもの) 本書より)
昔話と文学、
では、昔話の、
神話のひこばえ、
として、
神話→(伝説)→昔話→(笑話)→童話、
と退縮していく中で、
竹取翁、
竹取爺、
花咲爺、
猿地蔵、
カチカチ山、
藁しべ長者と蜂、
うつぼ舟、
蛤女房・魚女房、
笛吹き爺、
笑われ聟、
はてなし話、
と、上代から中世までたどりながら、
「交通往来の最も想像しにくい遠隔の土地に、偶然とは言えない一致」(昔話と文学)、
が見出される、
通時性、
と同時に、例えば、
「我々の『竹取物語』が、必ずこの羽衣説話のいずれかの段階を。足場にして立っている」(仝上)、
というような、昔話の、
出自と系譜、
を質していく。
昔話覚書、
では、昔話の、諸民族の説話との、たとえば、
「糠福米服や姥皮の話のごとくに、そっくりそのままをどこの国でも、それぞれに自分の言葉の芸術としてもてはやしている」(昔話覚書)、
というような、
「二つ以上の懸け離れた民族の間に、どうしてこのような一致または類似があるのかを、考えてみようとした」(仝上)、
という
共時性、
を考証している。
こうした柳田國男の仮説に満ちた論考を、今日どうなっているかはわからないが、
「現今の昔話研究の方向とはいささか傾向を異にする」(解説)、
という方向が、柳田がいつも再三言っているように、横文字を縦文字に移し替えるだけのような、西洋の学説の丸移しでないことを祈るのみである。
なお、柳田國男の『遠野物語・山の人生』、『妖怪談義』、『海上の道』、『一目小僧その他』、『桃太郎の誕生』、『不幸なる芸術・笑の本願』、『伝説・木思石語』、『海南小記』、『山島民譚集』については別に触れた。
参考文献;
柳田國男『口承文芸史・昔話と文学(柳田国男全集8)』(ちくま文庫)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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