2023年04月23日

あながち


父(賀茂)忠行が出でけるに、あながちに戀ひければ、其の兒を車に乗せて具してゐて行きにける(今昔物語)、
其の女の泣きつる聲は、内の心に違ひたりと聞きしかば、あながちに尋ねよとは仰せられしなり(仝上)、

にある、

あながちに、

の、

あながち、

は、

強ち、

と当て、

アナは自己、カチは勝ちか、自分の内部の衝動を止め得ず、やむにやまれぬさま、相手の迷惑や他人の批評などに、かまうゆとりをもたないさまをいうのが原義、自分勝手の意から、むやみに程度をはずれての意(岩波古語辞典)、
自分勝手に、自分の思うまま、したいままをやっていく状態をいうのが原義と思われる(日本国語大辞典)、
他人の迷惑をかえりみず、自分勝手にしたいままにするというのが原義。「あな」は「おのれ(己)」の意で、「己(アナ)勝ち」に由来するか(大辞林)、

などからみると、外から見ると、

あながちなる好き心は更にからはぬを(源氏物語)、

と、

身勝手、
いい気、

の意や、

稀には、あながちにひきたがへ(人の予想に反し)心づくしなること御心におぼしとどむる癖なむあやにくくて(源氏物語)、

と、

衝動を止め得ぬさま、

の意になるが、翻って、内から見れば、

にくきもの、……あながちなる所に隠し伏せたる人の、いびきしたる(枕草子)、

と、

やむにやまれないさま、
人の思惑などかまっていられないさま、

の意となり、

あながちに心ざしを見せありく(竹取物語)、
など斯くこの御学問のあながちならむ(源氏物語)、

と、

一途、
ひたむき、

の意となり、それを価値表現にすれば、

あながちに丈高き心地ぞする(源氏物語)、

と、

むやみ、
無理に、
殊に際立つさま、

の意となる(岩波古語辞典)。しかし、こうした形容動詞としての使い方が、平安時代末期には、

打ち消しの語を伴って用いる、打消、禁止、反語の意が生じ、

時々入取(いりとり)せむは何かあながち僻事ならむ(平家物語)、

と、

必ずしも……でない、

意や、

範頼・義経が申状、あながち御許容あるべからず(平家物語)、

と、

決して、

の意が生じ(大辞林)、次第に「に」を脱落させた、

あながち無理とも言えない、
あながち悪くはない、
あながち嘘とは言い切れない、

などというような、

一概に、
まんざら、
かならずしも、

の意での、副詞としての用法が主流となっていった(仝上)とある。

「あながち」の類義語に、

しひて(強ひて)、
せめて、

がある。「しひて」は、

動詞「し(強)いる」の連用形に接続助詞「て」が付いてできた語、

で(デジタル大辞泉)、

ものごとの流れに逆らって、無理にことをすすめる意、

とあり(岩波古語辞典)、「せめて」は、

動詞「責む」の連用形に接続助詞「て」が付いてできた語、

で(広辞苑)、

セメ(攻・迫)テの意。物事に迫め寄って、無理にもと心をつくすが、及ばない場合には、少なくともこれだけはと希望をこめる意。また、力をつくすところから、極度にの意、

とあり(岩波古語辞典)、

しひて、

が、

ものごとの流れに逆らって、無理にことをすすめる、

意、

あながち(に)、

が、

人のことなどかまっていられず動く、

意、

せめて、

が、相手に肉薄して、少しでも自分の思うようにことを運ぶ、

意(仝上)と、三者外見には、強引さに変わりはないが、自分勝手度からいえば、

せめて→しひて→あながち、

と増していくという感じであろうか。「せめて」には、他の二者に比して、少し引き気味の希望的な含意がある。

また、

あながち悪くはない、

と、

必ずしも悪くはない、

の、

あながち、

かならずしも、

の違いは、

「あながち~ない」は「断定しきれない」という気持ちをあらわし、「必ずしも~ない」は「必ず~というわけではない」「必ず~とは限らない」という気持ちをあらわす、

としている(大辞泉)が、際立つ差異はない。強いて区別すると、

「必ずしも~ない」という言葉は「ある推論や結論を論理的に否定できる可能性がある」という意味に解釈できます。たとえば「必ずしも良いとはいえない」は「論理的に『悪い』と判断できそうな部分もある」という意味になります。
一方、「あながち」は「強ち」と書くことからもわかるように「強引な」「身勝手な」ことを意味する言葉です。したがって「あながち良いとはいえない」といえば、「良い」という判断や結論に固執しないほうがいい、という意味になります。

との解釈もできるhttps://docoic.com/57426だろうが。

「强」 漢字.gif


「強(强)」(漢音キョウ、呉音ゴウ)は、「屈強」で触れた。

会意兼形声。彊(キョウ)はがっちりとかたく丈夫な弓、〇印はまるい虫の姿。強は「〇印の下に虫+音符彊の略体」で、もとがっちりしたからをかぶった甲虫のこと。強は彊に通じて、かたく丈夫な意に用いる、

とある(漢字源)。中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)には、

強、蚚也、从虫弘聲……

とあり、「蚚」は、

コクゾウムシという、固い殻をかぶった昆虫の一種を表す漢字だ、とされています。つまり、「強」とは本来、コクゾウムシを表す漢字であって、その殻が固いことから、「つよい」という意味へと変化してきた、

とありhttps://kanjibunka.com/kanji-faq/mean/q0435/

会意兼形声文字です。「弓」の象形と「小さく取り囲む文字と頭が大きくてグロテスクなまむし」の象形(「硬い殻を持つコクゾウムシ、つよい、かたい」の意味)から、「つよい」を意味する「強」という漢字が成り立ちました、

とあるhttps://okjiten.jp/kanji205.htmlのは、その流れである。

しかし、白川静『字統』(平凡社)によれば、

「強」に含まれる「虫」はおそらく蚕(かいこ)のことで、この漢字は本来、蚕から取った糸を張った弓のことを表していた、その弓の強さから転じて「つよい」という意味になった

とあるhttps://kanjibunka.com/kanji-faq/mean/q0435/。だから、「強」については、

会意。「弘」+「虫」で、ある種類の虫の名が、「彊」(強い弓)を音が共通であるため音を仮借した(説文解字他)、

または、

会意。「弘」は弓の弦をはずした様で、ひいては弓の弦を意味し、蚕からとった強い弦を意味する(白川)、

と、上記(漢字源)の、

会意形声説。「弘」は「彊」(キョウ)の略体で、「虫」をつけ甲虫の硬い頭部等を意味した(藤堂)、

と諸説がわかれることになるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%BC%B7#%E5%AD%97%E6%BA%90

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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