2023年06月07日

大夫


今は昔、大蔵の丞より冠(かうぶり)給はりて、藤原清廉云ふものありき。大蔵の大夫(たいふ)となむ云ひし(今昔物語)、

の、

大蔵の大夫、

は、

大蔵官の三等官(六位相当)で、その労を以て五位を給わった。大夫は五位の称、

とある(佐藤謙三校注『今昔物語集』)。

冠(かうぶり)給はる、

は、

冠(かうぶり)賜る、

とも当て、

位階を授けられる、
五位に叙せられる、

意である(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)。

大夫、

は、

たいふ、
だいぶ、
たゆう、

などと訓み方があり、意味が変わる。

大夫(たいふ)、

は、漢語で、

中国の周代から春秋戦国時代にかけての身分を表す言葉で領地を持った貴族、

をいいhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%A4%AB、周代に王や諸侯に仕えた卿・大夫・士の家臣団のうち、

三公九卿、二十七大夫、八十一元士(周禮)、
大夫死衆、士死制(仝上)、

と、「大夫」は、

夫は扶なり、卿の下、士の上に位す、

とある(字源)。しばしば、士とあわせ、代表的支配層として、

士大夫、

と称されるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%A4%AB。また、

小天門有秦時五大夫松(泰山記)、

と、

松の異名、

としても使われるが、これについては後述する(字源)。

日本では、中国のそれを取り入れ、律令制では、

大夫(たいふ)、

は、

太政官に於いては三位以上は大夫と称せよ、……司及び中国以下には五位は大夫と称せよ(公式令)、

とあり、

一位以下五位以上の総称、

で、一般には、

大夫は五位の唐名(からな)なり、武家にて諸大夫と云ふも五位の称、

とあるように、

五位の通称、

とされ(岩波古語辞典・大言海)、例えば、

式部丞(相当正六位下)、左近衛将監(従六位上)、左衛門尉(従六位下)などが五位に叙せられたる時は、他より敬して式部大夫、左近大夫、左衛門大夫などと称する、

とある。また、堂上の息の五位に叙して、官なきを、

無官大夫、

という(大言海)。「大夫」が、

五位の通称、

とされるについては、

一位から五位に通ずる尊称ともされるが、三位以上が、卿と称されるのに対して、四位・五位をさすことが多くなり、大夫が本来、尊称であるところから、五位の場合はとくに多用され、五位の別称ともなった、

とある(精選版日本国語大辞典)。なお、以上のように、位には、

たいふ、

と、清む読みで、官には、「大夫」を、

だいぶ、

と濁る(仝上)が、後者は、

中宮職・春宮職・大膳職・修理職などの職(しき)の長官、

をいい、

中宮大夫・春宮大夫・修理大夫、

などというが、

八省の次官、少輔(せう)の上位である、

大輔(たいふ)、

との混同をさけるため濁って訓む(岩波古語辞典)。また、摂関・諸大臣家に家司(けし)などとして仕えた四位・五位の家筋の者の総称として、

諸大夫(しょだいぶ)、

という言い方があり、その中で昇殿を許されぬ者を、

地下諸大夫、

といったりする(大言海・岩波古語辞典)。なお、

位階の場合の仮名表記は「たいふ」、

だが、

現代の発音では「たゆう」

となる(精選版日本国語大辞典)とある。また、

禰宜の大夫、
神主の大夫、

と言ったりするのは、

五位に叙せし神官を大夫と称した、

ことから、後には、全ての有位無位にかかわらず、

神主の俗称、

として使う(仝上)。この場合、

太夫、

ともあて、

たいふ、
たゆう、

とも訓ませ、

伊勢神宮の下級神官、

仮名、

御師(おし)、

にも使う(仝上)。

大夫、

を、

たゆう、

と訓ませ、

太夫、

とも当てるものに、

翁をば、昔は宿老次第に舞ひけるを、……大夫にてなくてはとて(申楽談義)、

と、

猿楽の座長(江戸時代以降は、観世、宝生、金剛、金春の四座の家元)、

を、

観世大夫、金春大夫、

などといったり(江戸時代に新しく成立した喜多流では、家元を大夫とは言わない)、

一切の能のつれ、大夫の前を通る。但、つれ、脇のかたへなほる時は、大夫のうしろを通る(童舞抄)、

と、

能のシテ、

あるいは、

浄瑠璃語りの長の称、

として、

摂津太夫、
播磨太夫、

などといったり、

後々は一座の大夫になる(評判・野郎虫)、

と、

歌舞伎の立女形、

太夫の御全盛はいともかしこし(評判・吉原失墜)、

と、

遊女の最上位、

の意味で使われる(岩波古語辞典)。

歌舞伎役者のトップ、

遊女のトップ、

の意味の重なりについて、

歌舞伎は出雲のお國の舞ひ始めしにて、京の六条の遊女など出演し、初はすべて女の技なりき。(芝居の女形の長を大夫とも云ひき)因りて遊女の上首のものをも、大夫と云ふこととなりたり、支那、秦の始皇、狩せし時、大雨に遭ひ、松の下に避くるを得て、松に大夫の位を授けたりと云ふ、この伝説に因りて、遊女の大夫を松の位などと云ふ(江戸吉にては、宝暦(1751~64年)の頃、大夫の称、絶へたり)、

とある(大言海)。これについては、

始皇東行郡県、乃遂上泰山、立石封祠祀、下、風雨暴至、休於松樹下、因封其樹為五大夫(史記・始皇紀)、

とあり、

五大夫、

とあり(字源)、

五大夫、

が、

秦の爵名、

である(仝上)。

なお、江戸時代、中国の諸侯・卿・大夫・士などになぞらえて、「大夫(たゆう)」を、

旗本、

をさしたり、「忠臣蔵」で大石内蔵助を、「大夫(たゆう)」と呼んだように、

家老の異称、

として使ったりもした(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)。「大夫」の、

五位は貴族の最下級であったが、門地のない地方の武士などにとっては、これに叙爵し、大夫を称することが栄光を意味した。遊芸人、神職、遊女の主なる者が大夫を称するのもこれに類した事情からであったと考えられる、

ともある(精選版日本国語大辞典)。ただ別に、芸能者が、

大夫(太夫)、

と称するには、元来は中国における五位にならって、日本でも、

五位の官人が芸能・儀式をとりしきるならわしが古代にあった、

とされ、五節舞(ごせちのまい)や踏歌(とうか)の舞妓を率いる役を、

楽前(がくぜん)の大夫、

と称し、太でなく大の字を用いた(世界大百科事典)とある。それが、転じて、

神事芸能を奉仕する神職や芸能人、

の称とり、

神事舞太夫、猿楽(さるがく)の太夫、幸若(こうわか)・説経・義太夫節などの語り手、
常磐津(ときわず)・富本(とみもと)・清元(きよもと)・新内(しんない)など豊後浄瑠璃(ぶんごじょうるり)の語り手、
さらに、
歌舞伎(かぶき)の女方(おんながた)、
大道芸人(万歳(まんざい)・猿回し・鳥追い・軽業(かるわざ)・放下(ほうか)師など)、

等々にも太夫の称を名のる者があった(仝上)、という流れのようだ。

「大」 漢字.gif

(「大」 https://kakijun.jp/page/0321200.htmlより)

「大」(漢音タイ・タ、呉音ダイ・ダ)は、「大樹」で触れたように、

象形。人間が手足を広げて、大の字に立った姿を描いたもので、おおきく、たっぷりとゆとりがある意。達(タツ ゆとりがある)はその入声(ニッショウ つまり音)に当たる、

とある(漢字源)。

「夫」 漢字.gif

(「夫」 https://kakijun.jp/page/0442200.htmlより)

「夫」(漢音呉音フ、慣用フウ)は、「夫子」で触れたように、

象形。大の字に立った人の頭に、まげ、または冠のしるしをつけた姿を描いたもので、成年に達した男をあらわす、

とある(漢字源)。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 03:39| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
コチラをクリックしてください