頭の鐙頭(あぶみがしら)なりければ、纓(えい)は背に付かずして離れてなむふられける(今昔物語)、
の、
鐙頭(あぶみがしら)、
は、
後頭部の突き出たでこあたま、
とある(佐藤謙三校注『今昔物語集』)。なお「纓(えい)」は、「帞袼(まかう)」で触れたが、
冠の後ろに垂れた細長い布、
で(佐藤謙三校注『今昔物語集』)、
古くは、髻(もとどり)を入れて巾子(こじ)の根を引き締めたひもの余りを後ろに垂らした。のちには、幅広く長い形に作って巾子の背面の纓壺(えつぼ)に差し込んでつけた、
とある(デジタル大辞泉)。
鐙頭、
は、いわゆる、
さいづちあたま、
の謂いで、
さいづちがしら、
ともいい、
後頭・前頭のつき出て、木槌の頭部のような形をした頭、
をいう(広辞苑)。
さいづち、
は、
才槌、
木椎、
とも当て、
小形の木の槌(つち)、
である(精選版日本国語大辞典)。
(さいづち 精選版日本国語大辞典より)
しかし、「鐙頭」という以上、
さいづち頭、
とは異なり、「鐙(あぶみ)」の形状から見て、
後ろの部分が出っ張った頭、
なのだと思われる。
(鐙(和鐙) https://www.touken-world.jp/tips/64453/より)
「鐙」は、天治字鏡(平安中期)に、
鐙、阿不彌、
和名類聚抄(平安中期)に、
鐙、鞍兩邊承脚具也、阿布美、
とあり、「移し鞍」で触れたように、
足蹈(アシフミ)の略(足掻(アシカキ)、あがき。足結(アシユヒ)、あゆい)(大言海)、
足(あ)で踏むもの(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)、
足(あ)踏みの意(精選版日本国語大辞典・名語記・和句解・東雅)、
足踏(あぶみ)の意(広辞苑)、
等々ほぼ、
足踏、
の意としている。「移し鞍」で触れたように、「鞍」は、
狭義には鞍橋(くらぼね)、
をいう(広辞苑)。「鞍橋」は、
鞍瓦、
とも当て、
前輪(まえわ)、後輪(しずわ)を居木(いぎ)に取り付け、座の骨組みをなす部分、
をいい(仝上)、近代以前は、
馬の背に韉(したぐら 鞍)をかけ、鞍褥(くらしき)を重ねて鞍橋(くらぼね)をのせ、鞍覆(くらおおい)を敷いて両側に障泥(あおり 泥除け)を下げる、
という形で馬具を整える(世界大百科事典)。この、
鞍橋、
を一般に、
鞍、
という。本来革製であったが、木製の鞍は中国の漢代に現れ(百科事典マイペディア)、日本へは古墳時代に中国から、
木製の地に金銅製や鉄製の覆輪および地板などを施した鞍、
が伝来、そこから生まれた鞍が、
唐鞍(からくら)、
で、平安時代になると、儀礼用の、
唐鞍(からくら)、
移鞍(うつしくら)、
日常用の、「水干」を着るような場合に用いる、
水干鞍、
などと、多様な発展をとげた(世界大百科事典)。
唐鞍(からくら)、
は、
唐風の鞍、
の意で、飾り鞍の一種、
平安時代以来、晴れの儀式の行幸などの飾り馬に用いた唐様の鞍、
で、
朝儀の出行列の正式の馬、
であり、
銀面、頸総(くびぶさ)、雲珠(うず)、杏葉(ぎょうよう)などの飾りがあり、蕃客の接待、御禊(ごけい)、供奉(ぐぶ)の公卿、賀茂の使いなどが使用した、
とある(広辞苑・日本国語大辞典)。
(唐鞍 広辞苑より)
これに対するのが、
大和鞍(やまとぐら)、
倭鞍(わぐら)、
で、
唐様の鞍に対して和様化した鞍、
をいい、
唐鞍(からくら)の皆具(かいぐ)に対して、皆具の和様の鞍の一式、
をいう(日本国語大辞典)。
中心となる鞍橋(くらぼね)は、前輪と後輪(しずわ)の内側にそれぞれ切込みを設けて、居木先(いぎさき)をはめこみ、鐙(あぶみ)の袋には舌をつけたのを用い、韉(下鞍 したぐら)を二枚重ねにして、装束の汚れをふせぐ障泥(あおり)を加え、糸鞦(いとしりがい)には総(ふさ)などをつけて装備し、布手綱(ぬのたづな)に差縄を合わせて使用するのを特色とする、
という(仝上)。
(大和鞍 広辞苑より)
最も古い鐙は、
金属製で輪の形状をした、
輪鐙」(わあぶみ)、
で(https://www.touken-world.jp/tips/64453/)、
輪鐙の上方には力韋(ちからがわ:鐙を取り付ける革)を結ぶための穴が空けられ、他の馬具に取り付けることができます、
とある(仝上)。
「壺鐙」(つぼあぶみ)、
は、
古墳時代末期に完成した鐙。足先のみを金属で覆う様式、
で、輪鐙よりも馬からの乗り降りがしやすいように工夫がされ、また、落馬の際などに足を鐙から抜けやすくし、事故を防ぐ効果があるとされる(https://www.touken-world.jp/tips/64453/)。「法隆寺」や「正倉院」に多くの壺鐙が収蔵されている。
半舌鐙(はんしたあぶみ)、
は、奈良時代から平安時代末期に流行し、「移し鞍」でも触れたが、
馬上で武器を扱うため、より踏ん張れる機能が求められるようになり「半舌鐙」(はんしたあぶみ)を考案。半舌鐙は、壺鐙の後方に10cmほどの踏板を伸ばした形状、
が用いられる(https://www.touken-world.jp/tips/64453/)。
武士達が力を付けはじめた平安時代末期に登場したのが、
「舌長鐙」(したながあぶみ)、
で、武士達が、戦場で鞍立(くらたち 馬上で鐙を踏ん張って立ち上がること)をしながら槍や弓を使用するようになったからとされる(https://www.touken-world.jp/tips/64453/)。
舌長鐙、
は、鐙を吊り下げたときに前部が傾いてしまうのを防ぐため、随所に金属などの重りを装着して、常に水平になるよう工夫が施されている(仝上)という。機能面の高さから、江戸時代末期に「洋鐙」(ようあぶみ:海外で使用されている輪鐙)が導入されるまで、利用された(仝上)。
(鐙の各部名称 https://www.touken-world.jp/tips/64453/より)
「鐙」(トウ)は、
会意兼形声。「金+音符登(トウ のぼる、のせる)」
とあり(漢字源)、別に、
形声。「金」+音符「登 /*TƏNG/」。「たかつき」「ランプ(の台)」を意味する漢語{燈 /*təəng/}を表す字。のち仮借して「あぶみ」を意味する漢語{鐙 /*təəngs/}に用いる、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%90%99)。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95