2023年06月26日
鬢だたら
歌を作りて歌はむとするなり。其の作りたるやうは、
鬢(びん)だたらを、あゆかせばこそ、ゆかせばこそ、愛敬(あいぎやう)づきたれ
と、此のびんだたらと云ふは、守(かみ)のけぎよく鬢の落ちたるを、かかる鬢だたらして、五節所に若き女房の中にまじり居給ひたるを歌はむずるなり(今昔物語)、
にある、
鬢だたら、
について、
此は五節の間にきまって歌われる歌謡の一つで、「びんだたら」と呼ばれていた。びんざさら(楽器)をゆるがしてならせばこそ、おもしろやの意で、元は田楽の歌謡か、
と注記がある(佐藤謙三校注『今昔物語集』)。また、
五節所、
は、
新嘗會の五節の舞姫の控室、
とあり(仝上)、
毎年十一月の新嘗會に五節の舞姫を四人、公卿や受領階級から(公卿の娘二人、受領・殿上人の娘二人)、
出させた(仝上・https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E7%AF%80%E8%88%9E)。
鬢だたら、
は、殆どどこにも載らないが、
鬢だだら、
は、
五節の舞に歌ふ謡物の名、
とある(大言海)。室町時代の有職故実書『公事根源』(一条兼良)五節帳臺試に、
亂舞あり、びんたたらなど歌ふ、
とある。
鬢だたら、
は、
鬢萎(びんたたなは)るの意にて、舞姫の髪の美(うるは)しき状に云ふ、
とある(大言海)。
五節(ごせち)、
は、その謂れを、
「春秋左伝‐昭公元年」の条に見える、遅・速・本・末・中という音律の五声の節に基づく、
とも(精選版日本国語大辞典・芸能辞典)、
天武天皇が吉野宮で琴を弾じた際、天女が舞い降り、五度歌い、その袖を五度翻しそれぞれ異なる節で歌った、あるいは、天女が五度袖を挙げて五変した故事による、
とも(壒嚢抄・理齋随筆)いわれる(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典・日本語源大辞典)、
新嘗祭(にいなめまつり・しんじょうえ)・大嘗会(おおなめまつり・だいじょうえ)に行われた少女舞の公事、
をいい、毎年、
十一月、中の丑・寅・卯・辰の四日間にわたる、
とされ(岩波古語辞典)、丑の日に、
五節の舞姫の帳台の試み(天皇が直衣・指貫を着て、常寧殿、または官庁に設けられた帳台(大師の局)に出て、舞姫の下稽古を御覧になる)、
があり、寅の日に、
殿上の淵酔(えんずい・えんすい 清涼殿の殿上に天皇が出席し、蔵人頭以下の殿上人が内々に行う酒宴。《建武年中行事》などによると、蔵人頭以下が台盤に着し、六位蔵人の献杯につづいて朗詠、今様、万歳楽があったのち装束の紐をとき、上着の片袖をぬぐ肩脱ぎ(袒褐)となる。ついで六位の人々が立ち並び袖をひるがえして舞い、拍子をとってはやす乱舞となる)、
があり、その夜、
舞姫の御前の試み(天皇が五節の舞姫の舞を清涼殿、または官庁の後房の廂(ひさし)に召して練習を御覧になる)、
があり、卯の日の夕刻に、
五節の童女(わらは 舞姫につき添う者)御覧(清涼殿の孫廂に、関白已下大臣両三着座。その後、童女を召す。末々の殿上人、承香殿の戌亥の隅のほとりより受け取りて、仮橋より御前に参るなり。下仕、承香殿の隅の簀子、橋より下りて参る。蔵人これに付く。殿上人の付くこともある)、
があり、辰の日に、
豊明(とよのあかり)節会の宴(豊明は宴会の意で、豊明節会とは大嘗祭、新嘗祭(にいなめさい)ののちに行われる饗宴。新嘗祭は原則として11月の下の卯の日に行われ、大嘗祭では次の辰の日を悠紀(ゆき)の節会、巳の日を主基(すき)の節会とし、3日目の午の日が豊明節会となる。新嘗祭では辰の日に行われ、辰の日の節会として知られた。当日は天皇出席ののち、天皇に新穀の御膳を供進。太子以下群臣も饗饌をたまわる。一献で国栖奏(くずのそう)、二献で御酒勅使(みきのちよくし)が来る。そして三献では五節舞(ごせちのまい)となる)、
があり、正式に、
五節の舞、
が、
吉野の国栖が歌笛を奏し、大歌所の別当が歌人をひきいて五節の歌を歌い、舞姫が参入して庭前の舞台で五度袖をひるがえして舞う(大歌所の人が歌う大歌に合わせて、4~5人(大嘗祭では5人)の舞姫によって舞われる)、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E7%AF%80%E8%88%9E・https://dictionary.sanseido-publ.co.jp/column/emaki45・大言海・精選版日本国語大辞典)。後世、大嘗会にだけ上演され、さらにそれも廃止された。
豊明(豊の明かり とよのあかり)、
は、
豊は称辞なり、あかりは、御酒(みき)にて顔の照り赤らぶ義と云ふ(大言海)、
夜を日をついてせ酒宴するところから(和訓栞)、
タユノアケリ(寛上)またはタヨナアケリ(手弥鳴挙)の義か(言元梯)、
アカリは供宴に酔いしれて顔がほてっている様子から、トヨはそれを賛美する語(国文学=折口信夫)、
と諸説あるが、素直に、
御酒(みき)にて顔の照り赤らぶ義、
を採りたい。
昨日神ニ手向奉リシ胙ヲ、君モ聞食シ、臣ニモ賜ハン為ニ、節会ヲ行ハルルナリ(塵添壒嚢鈔(じんてんあいのうしょう 室町時代))、
と、
祭祀の最後に、神事に参加したもの一同で神酒を戴き神饌を食する行事(共飲共食儀礼)、
である、
直会(なおらい)、
の性格があり、
大嘗祭の祝詞の「千秋五百秋に平らけく安らけく聞食して、豊明に明り坐さむ」や中臣神寿詞の「赤丹の穂に聞食して、豊明に明り御坐しまして」などの例を引き、「豊明に明り坐す」という慣用句が、宴会の呼称として固定したものであり、「豊は例の称辞、明はもと大御酒を食て、大御顔色の赤らみ坐すを申せる言」と説く本居宣長『古事記伝』の解釈が最も妥当とみられる、
とある(国史大辞典)。
「鬢」(慣用ビン、漢音呉音ヒン)は、
会意兼形声。賓は、すれすれにくっつく意を含む。鬢は「髟(かみの毛)+音符賓」で、髪の末端、ほほとすれすれの際に生えた毛、
とある(漢字源)。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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