常に此の五節所の邊(あたり)に立ち寄り気色(けしき)ばみけるに、此の五節所の内に(今昔物語)、
の、
気色ばむ、
は、
何となくそれらしい様子が現れる、
とか、
気持の片端を現わす、
とか、
何となく様子ありげなふりをする、
といった含意になる(岩波古語辞典)。
「気色」でふれたように、
気色、
は、
けしき、
とも
きしょく、
とも訓ますが、ほぼ意味は重なる。
けしき、
は、
気色の呉音訓み、
で、
「色」はきざし。ほのかに動くものが目に見えるその様子。古くは自然界の動きに言う。転じて、人のほのかに見える機嫌・顔色・意向などの意。類義語ケハヒは匂い、冷やかさ、音など、目に見えるよりは、辺りに漂って感じられる雰囲気、
とあり(岩波古語辞典)、
和文中では、はやく平安初期から用いられているが、自然界の有様や人の様子や気持ちを表す語として和語化していった、
とある(日本語源大辞典)。
けはひ、
とほぼ同義語であるが、
けはひ(けわい)、
は、
雰囲気によって感じられる心情や品性といった内面的なものの現われを表わすのに傾く、
のに対して、
けしき、
は、
顔色や言動といった一時的な外面を表すことにその重心がある、
とする(仝上)。ちなみに、
けはひ、
は、
ケ(気)ハヒ(延)の意。ハフは辺り一面に広がること、何となくあたりに感じられる空気、
とあり、
気配、
と当てとるのは、
後世の当て字、
とある(岩波古語辞典)。「気色」で触れたように、
気色(ケシキ)、
と、
気色(キショク)、
は意味がかなり重なるが、ただ、「気色(キショク)」には、風景の意はない。だから、
ケシキは、人事、自然などのようすを言っていたのですが、人間の心の様子の場合は、しだいに「気色」を使うようになり、自然物の眺めには、中国語源の「景色」を使うようになった、
とある(日本語源広辞典)ように、
ケシキ(気色)→ケシキ(景色)、
と使い分けが進んだが、「気色(キショク)」は、元の意の幅のまま使われた、と見ることができる。たとえば、
気色(きしょく)悪い、
とはいうが、
気色(ケシキ)悪い、
とは言わず、逆に、
気色ばむ、
は、
けしきばむ、
だが、
きしょくばむ、
とも訓ませ、前者が、岩波古語辞典が、
何となくそれらしい様子が現れる、
気持の片はしをあらわす、
何となく様子ありげなふりをする、気取る、
広辞苑が、
意中をほのめかす、
気取る、
怒ったさまが現れる、
懐妊の兆候が現れる、
で、いくらか表に現れるニュアンスが残るが、後者が、
得意になって意気込む、
怒りの気持を顔色に出す、
で(広辞苑)、少し、後者が、気持ちの表現に収斂しているが、ほぼ意味が重なる。
これは、他の言い回しで比較してみると、「気色(けしき)」系は、
気色有り(ひとくせある、何かある。趣がある)
気色酒(ご機嫌取りに飲む酒)、
気色立つ(自然界の動きがはっきり目に見える、きざす。心の動きが態度にはっきり出る)、
気色付く(どこか変わっている、ひとくせある)、
気色取る(その事情を読み取る、察する。機嫌を取る)、
気色給(賜)わる(「気色取る」の謙譲語。内意をお伺いする、機嫌をお取りする)、
気色ばまし(「ムシキバム」の形容詞形。何か様子ありげな感じである。思わせぶりである)
気色許り(かたちばかり、いささか)、
気色覚ゆ(情趣深く感じる。不気味に感じる)、
気色に入る(気に入る)、
であり(広辞苑・岩波古語辞典)、「気色(きしょく)」系は、
気色顔(けしきばんだ顔つき、したりがお)、
気色す(顔つきを改める、(怒りや不快などの)感情を強く表に現わす)、
気色ぼこ(誇)り(他人の気受けのよいのを自慢すること)、
等々であり、
きしょく、
けしき、
両方で使う言葉は、
気色ばむ、
だけだが、両者は、例外的なものを除いて、殆ど人の様子・気持の表現にシフトしていることがわかる。これは、
鎌倉時代以降、人の気分や気持ちを表す意は漢音読みの「きそく」「きしょく」に譲り、「けしき」は、現在のようにもっぱら自然界の様子らを表すようになって、表記も近世になって、「景色」が当てられた、
とある(日本語源大辞典)ことが背景にある。
きしょく、
けしき、
の両方の訓みで使う、
気色ばむ、
の、
「ばむ」は接尾語で、
規則ばむ、
というような、
得意げに意気ごむ、
気負いこんだ顔つきをする、
意で使い、
未然形 けしきば・ま{ズ}
連用形 けしきば・み{タリ}
終止形 けしきば・む{。}
連体形 けしきば・む{トキ}
已然形 けしきば・め{ドモ・バ}
命令形 けしきば・め{。}
と活用する、
マ行四段活用、
で(日本国語大辞典・学研国語大辞典)、
梅はけしきばみほほ笑みわたれる、とりわきて見ゆ(源氏物語)、
と、
始まる、
(季節が)きざす、
何となくそれらしい様子が現れる、
意から、それをメタファに、
この子生まるべくなりぬ。きしきばみて悩めば(宇津保物語)、
と、
出産のきざしが現れる、
意で、
大臣(オトド)けしきばみ聞こえ給(タマ)ふことあれど(源氏物語)、
と、
気持の片端を現わす、
(思いが)外に現れる、
ほのめかす、
意、さらに、
けしきばみ、やさしがりて、知らずとも言ひ(枕草子)、
と、
何となく様子ありげな様子をする、
気取る、
へ、状態表現から価値表現へとシフトしていく(学研全訳古語辞典・岩波古語辞典・大辞林)。今日は、
気色ばんで席を立つ、
というように、
怒ったさまが表れる、
意で使うことが多い。
曾丹かく問はれて、気色だちて、さに候と答ふ(今昔物語)、
の、
気色(けしき)だ(立)つ、
の、
だつ、
も、
接尾語、
で、
気色ばむ、
と、似た意味の変化を示し、
花もやうやうけしきだつほどこそあれ(徒然草)、
と、
自然界の動きがはっきりと目に見える、
きざす、
(その季節)らしくなる、
の意、それをメタファに、
けしきだちて悩しうおぼしたれば(栄花物語)、
と、
懐妊、出産の徴候をみせる、
意に、
心恥づかしう思(おぼ)さるれば、けしきだち給(たま)ふことなし(源氏物語)、
と、
(思いを)ほのめかす、
意に、そして、
女房に歌よませ給へば皆けしきたちゆるがしいだすに(枕草子)、
と、
気どる、
改まった様子をみせる、
様子ぶる、
となり、
見物人が気色だつ、
と、
物音や話し声がして活気づく、
意へと、やはり、状態表現から価値表現へとシフトしていく流れである(広辞苑・岩波古語辞典・日本国語大辞典)。
「気」については、「気」、「気」(宇佐美文理『中国絵画入門』)で触れた。
(「氣(気)」 https://kakijun.jp/page/ke10200.htmlより)
(「氣」 簡牘(かんどく)文字(「簡」は竹の札、「牘」は木の札に書いた)・戦国時代 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%B0%97より)
「氣(気)」(漢音キ、呉音ケ)は、
会意兼形声。气(キ)は、いきが屈折しながら出てくるさま。氣は「米+音符气」で、米をふかす時に出る蒸気のこと、
とある(漢字源)。別に、
形声。意符米(こめ)と、音符气(キ)とから成る。食物・まぐさなどを他人に贈る意を表す。「餼(キ)」の原字。転じて、气の意に用いられる、
とも(角川新字源)、
会意兼形声文字です(米+气)。「湧き上がる雲」の象形(「湧き上がる上昇気流」の意味)と「穀物の穂の枝の部分とその実」の象形(「米粒のように小さい物」の意味)から「蒸気・水蒸気」を意味する「気」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji98.html)。
参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95