履物どもは皆車に取り入れ、三人、袖も出さずして乗りぬれば、心にくき女車に成りぬ(今昔物語)、
の、
心にくき女車、
は、
ゆかしい女車、
とある(佐藤謙三校注『今昔物語集』)。
心にくし、
は、
心憎し、
と当て、
ニクシは親しみ・連帯感・一体感などの気持の流れが阻害される場合の不愉快な気持ちをいう語。ココロニクシは、対象の動きや状態が思うように明らかにならず、もっとはっきりしたい、もっと知りたいと関心を持ち続ける意、
とあり(岩波古語辞典)、同趣旨で、「心にくし」は、
対象の挙動・状態が思うように明らかにならないので、それをもっとよく知りたいと関心を持ち続ける意、
が含まれ(精選版日本国語大辞典)、
底知れないものに、あこがれ、賞賛、期待、不安、不審などの感情を抱いて、気をもむ意、
とある(仝上)が、
他の内心(ナイシン)に心置(こころお)きせらる、
の意が、
心、測りがたき意より転じて、おくゆかし、
という意味の幅の方がわかりやすい(大言海)。具体的には、
はっきりしないものに、すぐれた資質を感じ、心ひかれ、近づき、知りたく思う気持を表わす、
意で、
いとあてに、……式部卿の君よりもこころにくくはづかしげにものし給へり(宇津保物語)、
と、
人柄、態度、美的な感覚などに上品な深みを感じ、心ひかれる、
奥ゆかしい、
意や、
そらだきもの、いと心にくくかほりいで(源氏物語)、
と、
情緒が豊かであったり風情があったりして、心ひかれるさまである、
意や、
心にくきもの。ものへだてて聞くに、女房とはおぼえぬ手の、しのびやかにをかしげに聞えたるに、こたへ若やかにして、うちそよめきて参るけはひ(枕草子)、
と、
間接的なけはいを通して、そのものに心ひかれるさまである、
意で使う(精選版日本国語大辞典)。枕草子の「心にくきもの」は、続けて、
ものの後ろ、障子などへだてて聞くに、御膳(おもの)参るほどにや、箸・匙(かひ)など、取りまぜて鳴りたる、をかし。ひさげの柄の倒れ伏すも、耳こそとまれ、
と、間接的な気配への、
(よくわからないもの、はっきりしないものに)関心をそそられる。心をひかれる、
様子が具体的である。ここまではどちらかというと、
心惹かれるさま、
の、
状態表現、
である。それが、さらに、
こころにくく思ひて、盗人いりまうできて、一二侍し装束なども、みなさがしとりて(宇津保物語)、
と、
はっきりしないものに対して大きな期待をいだき、心がそそられるさまである、
気持をそそるさまである、
期待に気をもませる、
意や、
対象の状態・性質などがはっきりとわからないので、不安、警戒心、不審感などをいだくさまをいう、
意の、
さだめて打手むけられ候はんずらん。心にくうも候はず。三井寺法師、さては渡辺のしたしいやつ原こそ候らめ(平家物語)、
と、
おぼつかなくて不安である、
警戒し、心すべきさまである、
意や、
小おとこのかたげたる菰づつみを心にくし、おもきものをかるう見せたるは、隠し銀にきわまる所とて(世間胸算用)、
と、
対象の挙動・様子を不審に感じ、とがめたく思う、
あやしい、
どこやらわけありげである、
意や、
己が附前の句知りながら、句案数刻にして、脇より玉句御つけといへば、是はしたり、しばらくは案ずべしなどいへる、いと心にくけれ(一茶手記)、
と、
にくらしく思う、
こづらにくい、
こしゃくにさわる、
意や、
定めて討手向けられ候はんずらん。心にくうも候はず(平家物語)、
と、
(底が知れず)何となく恐ろしい、
意へと、明らかに、
価値表現、
へとシフトしており、今日では、
巧妙さは心憎い程だった、
とか、
心憎い出来栄え、
というように、
欠点がなく、むしろねたましさを感じるほどにすぐれている、
にくらしいほど完璧である、
憎らしい気がするほど、みごとだ、
という意で使われるに至っている(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典・広辞苑)。
この、
状態表現から価値表現へのシフト、
は、
「にくむ」で触れた、
にくい、
と同じである。「にくい」は、
憎い、
悪い、
と当て、
いやな相手として何か悪いことがあればよいと思うほど嫌っている、気に入らない、にくらしい、
腹立たしい、しゃくにさわる、けしからぬ、
みにくい、
無愛想であ、そっけない、
(癪にさわるる程)あっぱれだ、感心だ、
と意味が広い。さらに、
難い、
と当てて、
(動詞の連用形について、「むずかしい」「たやすくない」の意を表す)
という意味にもなる。
自分の相手への感情という状態表現、
であったものが、いつの間にかシフトして、
相手の価値表現、
へと、意味が転換していっているようである。その価値表現は、
みにくい、見苦しい、みっともない、
である一方、
(癪にさわるる程)あっぱれだ、感心だ、
と、両価性がある。その意味の幅は、
心にくし、
にもほぼ重なっている。
心にくし、
の、
にくし、
は、
無情(つれな)し、不愛相なり、枕草子、心羞(ハヅカ)しき人、いと憎し、
とある(大言海)。
(「心」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%BF%83より)
「心」(シン)は、
象形。心臓を描いたもの。それをシンというのは、沁(シン しみわたる)・滲(シン しみわたる)・浸(シン しみわたる)などと同系で、血液を細い血管のすみずみまでしみわたらせる心臓の働きに着目したもの、
とある(漢字源)。別に、
象形。心臓の形にかたどる。古代人は、人間の知・情・意、また、一部の行いなどは、身体の深所にあって細かに鼓動する心臓の作用だと考えた、
ともある(角川新字源)。
(「憎(憎)」 https://kakijun.jp/page/1434200.htmlより)
(「憎」 中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎) https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%86%8Eより)
「憎(憎)」(漢音呉音ソウ、慣用ゾウ)は、
会意兼形声。曾(ソウ 曽)は、こしきの形で、層をなして何段も上にふかし器を載せたさま。憎は「心+音符曾」で、いやな感じが層をなしてつのり、簡単に除けぬほどいやなこと、
とある(漢字源)。別に、
会意兼形声文字です(忄(心)+曽(曾))。「心臓」の象形(「心」の意味)と「蒸気を発するための器具の上に重ねた、こしき(米などを蒸す為の土器)から蒸気が発散している」象形(「重なる」の意味)から重なり積もる心、「にくしみ」を意味する「憎」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji1538.html)。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95