柳田國男『蝸牛考(かぎゅうこう)』を読む。
本書は、実地調査から、日本の方言が、
九州のはしと東北のはしが似ている、
という直観から、仮説として、「蝸牛」という方言について、東北地方の北部と九州の西部で、
ナメクジ、
であり、東北と九州で、
ツブリ、
であり、関東や四国で、
カタツムリ、
であり、
中部や中国などで、
マイマイ、
で、近畿地方が、
デデムシ、
というように、京都を中心に同心円に分布することから、
方言周圏説(方言周圏論)、
として、蝸牛を表す言葉が、
「文化的中心地を中心に同心円状に分布する場合は、外側から内側に向けて順次変化してきた」(解説・柴田武)
と推定した。柳田は、
「もし日本がこのような細長い島でなかったなら、方言はおおよそ近畿をぶんまわしの中心として、段々に幾つかの圏を描いたことであろう。」
と述べ、仮説として、
方言周圏説(方言周圏論)、
を提起した。つまり、かつて文化的中心地であった京都では、古い順から、
ナメクジ→ツブリ→カタツムリ→マイマイ→デデムシ、
のように変化したことから、その時系列と比例して東西南北へ放射状に拡がったものと推定したものである。
(「蝸牛考」による蝸牛方言の周圏分布 本書解説より)
必ずしも、この仮説がすべてに妥当するわけでもないが、かつて中心地で流行ったものが、周辺で生き残っているという実感もあり、
方言周圏説、
あるいは、
方言領域連続の法則、
で解釈できる現象が、全国レベルでも地方レベルでも確認されている(前掲・柴田)というので、文化的な伝播の一つのパターンを示していることは確かのようだ。「アホ・バカ分布図」で触れた、「あほ」「ばか」の分布も、この説と重なるところがあるようだ(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%9B%E3%83%BB%E3%83%90%E3%82%AB%E5%88%86%E5%B8%83%E5%9B%B3)。
しかし、読み終わってみると、本書の意図は、
方言周圏説、
の主張よりは、文化の堆積層を単純化してしまう、
方言匡正運動、
というような、一律の標準語化への警鐘に見えてくる。
なお、「カタツムリ」、「ナメクジ」については、触れたことがある。
また、柳田國男の『遠野物語・山の人生』、『妖怪談義』、『海上の道』、『一目小僧その他』、『桃太郎の誕生』、『不幸なる芸術・笑の本願』、『伝説・木思石語』、『海南小記』、『山島民譚集』、『口承文芸史・昔話と文学(柳田国男全集8)』、「妹の力」については別に触れた。
参考文献;
柳田國男『蝸牛考』(岩波文庫)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95