咒師


天魔が八幡(やはた)に申(まう)すこと、頭(かしら)の髪こそ前世の報(ほう)にて生(を)いざらめ、そは生いずとも、絹葢(きぬがさ)長幣(ながぬさ)なども奉らん、咒師の松犬(まついぬ)とたたひせよ、しないたまへ(梁塵秘抄)、

の、

咒師(呪師)、

は、

じゅし、

とも、

しゅし、
すし、
ずし、

とも訓み、

大法会で、陀羅尼(だらに)を誦して加持祈祷をした法師、

をいい(広辞苑・精選版日本国語大辞典)、

呪禁(じゅごん)の師、

ともいう(仝上)、

仏教行事における僧侶の役名、

で、

旧年の罪障を懺悔(ざんげ)して穢れを払い、当年の安穏豊楽を祈願する古代からの伝統行事に、

悔過会(けかえ)、

があり、呪師はその悔過会において重要な位置を占める役柄で、密教的な局面あるいは神道的な局面などを宰領し、

法会の場への魔障の侵入を防ぎ、護法善神を勧請(かんじよう)して、法会の円満成就のための修法、

を行う(世界大百科事典)とある。

加持祈祷、

は、「加持」で触れたが、

陀羅尼(だらに)、

は、

サンスクリット語ダーラニーdhāraīの音写、

で、

陀憐尼(だりんに)、
陀隣尼(だりんに)、

とも書き、

保持すること、
保持するもの、

の意で、

総持、
能持(のうじ)、
能遮(のうしゃ)、

と意訳し、

能(よ)く総(すべ)ての物事を摂取して保持し、忘失させない念慧(ねんえ)の力、

をいい(日本大百科全書)、仏教において用いられる呪文の一種で、比較的長いものをいう。通常は意訳せず、

サンスクリット語原文を音読して唱える、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%80%E7%BE%85%E5%B0%BC。ダーラニーとは、

記憶して忘れない、

意味なので、本来は、

仏教修行者が覚えるべき教えや作法、

などを指したが、これが転じて、

暗記されるべき呪文、

と解釈され、一定の形式を満たす呪文を特に陀羅尼と呼ぶ様になった(仝上)。だから、

一種の記憶術、

であり、一つの事柄を記憶することによってあらゆる事柄を連想して忘れぬようにすることをいい、それは、

暗記して繰り返しとなえる事で雑念を払い、無念無想の境地に至る事、

を目的とし(仝上)、

種々な善法を能く持つから能持、
種々な悪法を能く遮するから能遮、

と称したもので、

術としての「陀羅尼」の形式が呪文を唱えることに似ているところから、呪文としての「真言」そのものと混同されるようになった、

とある(精選版日本国語大辞典)のは、原始仏教教団では、呪術は禁じられていたが、大乗仏教では経典のなかにも取入れられた。『孔雀明王経』『護諸童子陀羅尼経』などは呪文だけによる経典で、これらの呪文は、

真言 mantra、

といわれたから(日本大百科全書)だが、普通には、

長句のものを陀羅尼、
数句からなる短いものを真言(しんごん)、
一字二字などのものを種子(しゅじ)

と区別する(仝上)。この呪文語句が連呼相槌的表現をする言葉なのは、

これが本来無念無想の境地に至る事を目的としていたためで、具体的な意味のある言葉を使用すれば雑念を呼び起こしてしまうという発想が浮かぶ為にこうなった、

とする説が主流となっている(仝上)とか。その構成は、多く、

仏や三宝などに帰依する事を宣言する句で始まり、次に、タド・ヤター(「この尊の肝心の句を示せば以下の通り」の意味、「哆地夜他」(タニャター、トニヤト、トジトなどと訓む)と漢字音写)と続き、本文に入る。本文は、神や仏、菩薩や仏頂尊などへの呼びかけや賛嘆、願い事を意味する動詞の命令形等で、最後に成功を祈る聖句「スヴァーハー」(「薩婆訶」(ソワカ、ソモコなどと訓む)と漢字音写)で終わる、

とある(仝上)。

『大智度論(だいちどろん)』には、

聞持(もんじ)陀羅尼(耳に聞いたことすべてを忘れない)、
分別知(ふんべつち)陀羅尼(あらゆるものを正しく分別する)、
入音声(にゅうおんじょう)陀羅尼(あらゆる音声によっても左右されることがない)、

の三種の陀羅尼を説き、

略説すれば五百陀羅尼門、
広説すれば無量の陀羅尼門、

があり、『瑜伽師地論(ゆがしじろん)』は、

法陀羅尼、
義陀羅尼、
呪(じゅ)陀羅尼、
能得菩薩忍(のうとくぼさつにん)陀羅尼(忍)、

の四種陀羅尼があり、『総釈陀羅尼義讃(そうしゃくだらにぎさん)』には、

法持(ほうじ)、
義持(ぎじ)、
三摩地持(さんまじじ)、
文持(もんじ)、

の四種の持が説かれている(仝上)。しかし、日本における「陀羅尼」は、

原語の句を訳さずに漢字の音を写したまま読誦するが、中国を経たために発音が相当に変化し、また意味自体も不明なものが多い、

とある(精選版日本国語大辞典)。

咒師、

には、

法義が家の犬悪(わろ)し。亦、呪師有て、呪神に令打しむ(今昔物語)、

の、

加持祈祷をした僧侶(そうりょ)の勤める仏教上の呪師、

の意の他に、

人々相共遊東光寺、令走呪師(「左経記(1017)」)、
今夜猿楽見物許之見事者。於古今未有。就中咒師(「新猿楽記(1061~65頃)」)、

とある、

猿楽(さるがく)者の勤める呪師、

がある。前者は、

法呪師、

といわれ、

修正会(しゅしょうえ)、
修二会(しゅにえ)、

において道場の結界(けっかい)や香水・護摩などの密教的行法(ぎょうぼう)をつかさどる(日本大百科全書)が、後者は、

呪師猿楽(じゅしさるがく)、

といい、

法会のあとに、法呪師の行法の威力を一般参詣(さんけい)人に対して内容を分かりやすく、猿楽や田楽に近い形で演劇化して演じた者、

で、その演技は、

走り(呪師走)、

とよばれ、その曲は一手、二手と数えられる(仝上)。公家の日記などの諸記録を抜粋・編集した歴史書『百練抄』(鎌倉時代後期)に、

延応元年(1239)七月五日、今日法成寺咒師、参入吉田社、施曲五手也、依太閤御祈也、

とあり、10余手あったとされるが、今日知られている曲は、

剣手、
武者手、
大唐文殊手、
とりばみ、

などがある。この呪師は寺院に属し貴族の庇護を受け、華美な装束に兜をつけて、鼓の囃子(はやし)で鈴を振りながら舞った。平安時代には華やかであった呪師も、鎌倉時代に入ると漸次衰運の道をたどるようになった(仝上)とある。この咒師は、

のろんじ

ともいった(仝上・精選版日本国語大辞典)。本来、

役僧である法呪師が担当した鎮魔除魔的な役を、散所法師と呼ばれる役者が代演するようになり、それが芸能化した、

とあるhttps://www.arc.ritsumei.ac.jp/artwiki/index.php/%E5%91%AA%E5%B8%AB

東大寺二月堂の修二会.jpg

(東大寺二月堂の修二会 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%AE%E4%BA%8C%E4%BC%9Aより)

因みに、修正会(しゅしょうえ)は、

毎年正月の始めに3日ないし7日間にわたって、国家・皇室の安泰、五穀豊穣などを祈願する法会、

で、

修正月会、

略して、

修正、

ともいう。修正会には一つには、

《金光明経》《金光明最勝王経》による年始の仏事として恒例化したもの、

と、いま一つには、

767年(神護景雲1)正月の国分寺や官大寺における吉祥天悔過(けか)が年中行事化したもの、

とがある(世界大百科事典)。

修二会(しゅにえ)は、

修二月会(しゅにがつえ)、

単に、

修二月、

ともいい(仝上)、

毎年2月の初めに国家の安泰、有縁の人々の幸福を祈願する法会、

をいう。インド由来で、インドでは、建卯すなわち2月を歳首とすることが《宿曜経》にみえ、日本では年頭の法会を修正会、2月に祈修する法会を修二会と称した(仝上)という。

此月の一日よりもしくは三夜・五夜・七夜、山里の寺々の大なる行也。つくり花をいそぎ、名香をたき、仏の御前をかざり(三宝絵詞)、

とあるように、寺々で盛んに行われた。最も大規模なものは、

東大寺二月堂の修二会十一面観音悔過、

で、

お水取り、

の名称で親しまれている(仝上)し、薬師寺の修二会は、

花会式、

の通称で知られるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%AE%E4%BA%8C%E4%BC%9A

「呪」  漢字.gif

(「呪」 https://kakijun.jp/page/ju08200.htmlより)


「咒」 漢字.gif


「咒(呪)」(慣用ジュ、漢音シュウ、呉音シュ)は、

会意文字。「口+兄(大きい頭の人)」。もと、祝と同じで、人が神前で祈りの文句を唱えること。のち、祝は幸いを祈る場合に、呪は不孝を祈る場合に分用されるようになった、

とある(漢字源)。別に、

形声。口と、音符祝(シウ 兄は省略形)とから成る。「のろう」、転じて、まじないの意を表す、

とも(角川新字源)、

形声文字です(口+兄)。「口」の象形と「口の象形とひざまずく人の象形」(上に立って弟妹の世話をやく人、「兄」の意味を表すが、ここでは、「祝(シュウ)」に通じ(「祝」と同じ意味を持つようになって)、「祈る」の意味)から、「祈る」、「のろう」を意味する「呪」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji2123.html

「師」 漢字.gif

(「師」 https://kakijun.jp/page/1056200.htmlより)

「師」(シ)は、𠂤は、隊や堆(タイ)と同系のことばをあらわし、集団を示す。帀は、ぐるぐるまわること、あまねしの意を含む。師は、このふたつを合わせた字で、あまねく、人々を集めた大集団のこと。転じて、人々を集めて教える人、

とある(漢字源)。別に、

会意。帀(そう めぐる)と、𠂤(たい おか)とから成る。小高い丘を取り巻く、二千五百人から成る兵士の集団、ひいて、指導者の意を表す、

とも(角川新字源)、

会意兼形声文字です。「神に供える肉」の象形と「刃物」の象形から、敵を処罰する目的で、祭肉を供えて出発する軍隊を意味し、それが転じて(派生して・新しい意味が分かれ出て)、「軍隊」を意味する「師」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji893.html

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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