心の澄むものは、秋は山田の庵(いを)毎に、鹿驚(おど)かすてふ引板(ひた)の聲、衣(ころも)しで打つ槌(つち)の音(梁塵秘抄)、
の、
引板、
は、
「ひきいた(引板)」の変化した語(精選版日本国語大辞典)、
で、
ヒキタの音便ヒイタの約(広辞苑)、
ともあるので、
ヒキイタ→ヒキタ→ヒイタ→ヒタ、
と転訛したもののようである。だから、
ひきいた、
ひきた、
とも訓む(仝上)。
衣手(ころもで)に水渋(みしぶ)つくまで植えし田を引板(ひきた)我れ延(は)へ守れる苦し(万葉集)、
と、
田や畑に張りわたして鳥などを追うためのしかけ、
で、
細い竹の管を板にぶらさげ、引けば鳴るようにしかけたもの、
をいい、
鳴子、
と同じで、
おどろかし、
とりおどし、
などともいう(精選版日本国語大辞典)が、また、竹筒などで水を引き入れたり、流水を利用して音を立てる、
ばったり、
ししおどし、
にもいう(仝上)。この、
引板(ひた)、
を鳴らすために引く縄、
を、
秋果つる引板の懸縄引き捨てて残る田面の庵のわびしさ(玉葉集)、
と、
引板の懸縄(ひたのかけなわ)、
という(広辞苑)。
(鳴子(狩野常信「鳴子稲田雀図(部分)」) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%B4%E5%AD%90_(%E9%9F%B3%E5%85%B7)より)
鳴子(なるこ)、
も、
田畑が鳥獣に荒らされるのを防ぐためのしかけ、
であることは同じで、
小さき板に、小さき竹管を、糸にて掛けて連ねたるを、縄にて張り、(遠くから縄や綱を引けば、管、板に触れて、音を発するもの、
で(大言海・精選版日本国語大辞典)、また、
竹ざおの先につけ綱をつけたり、
棒の先に付けたり、
するものもあり、これは、
鳴竿(ナルサオ)、
といい(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%B4%E5%AD%90_(%E9%9F%B3%E5%85%B7))、人が手に持って追う。農家ではおもに、
子どもや老人がこの綱の一端を引いてこれを鳴らす役目にあたる、
とある(世界大百科事典)が、田畑に鳥が来たら鳴子を鳴らす人を、
鳴子守(なるこもり)、
鳴子引(なるこひき)、
鳴子番(なるこばん)、
といった(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%B4%E5%AD%90_(%E9%9F%B3%E5%85%B7))。
(鳴子 精選版日本国語大辞典より)
また、
隠居から鳴子を引けばたばこ盆(雑俳「たからの市(1705)」)、
と、
鳴子、
に似せて小さい板に竹筒や鈴などをつるし、綱を引くと鳴るしかけの、人を呼んだり合図を送ったりするもの、
にもいい、さらに、
鳴子(ナルコ)の音に神(しん)を飛し、一切(ひときり)遊びは対面の三方のごとく扱れ(洒落本「仕懸文庫(1791)」)、
と、
江戸、深川の岡場所で、舟着き場に置いて、客を乗せた舟が着くと茶屋へ合図のために鳴らしたもの、
についても、似た仕掛けなので、
鳴子、
と呼んだらしい(精選版日本国語大辞典)。
上述のように、「引板」は万葉集にも歌われているが、平安時代後期以降は、引板の操作などしたこともないような層が歌に詠むにあたって、
宿ちかき山田の引板(ひた)に手もかけで吹く秋風にまかせてぞ見る(後拾遺和歌集)、
と、
「引板」が風によって鳴らされているとすることに趣を感じて「引板」を「人が引かないのに鳴る=鳴子」と詠むことが増えてくる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%B4%E5%AD%90_(%E9%9F%B3%E5%85%B7))とある。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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