法華経八巻(やまき)は一部なり、拡げて見たればあな尊(たうと)、文字毎に、序品第一より受學無學作禮而去(さらいにこ)に至るまで、讀む人聞くもの皆佛(梁塵秘抄)、
の、
作禮而去(さらいにこ)、
は、
法華経普賢菩薩勧発品第二十八、阿弥陀経等の経典の末尾にある句、
で、
礼(らい)を作(な)して去りにき、
と、
仏の説教が終わって聴衆が会場を退出するとき、教えに感謝し、仏に一斉に礼をして立ち去ること、
を意味する(広辞苑・https://www.kanjipedia.jp/kotoba/0002564500他)。仏教の経典は、
如是我聞も(是くの如ごとくく我聞きけり)、
に始まり、
作礼而去、
の語で終わるのが通例という。
法華経序品第一は、
如是我聞。一時。仏住。王舎城。耆闍崛山中、
と始まり(耆闍崛山(ぎしゃくせん)は霊鷲山(りょうじゅせん)のこと)、
法華経第二十八、普賢品の最後は、
佛説是經時
普賢等諸菩薩
舍利弗等諸聲聞
及諸天龍人非人等
一切大會皆大歡喜
受持佛語作禮而去、
でおわる(https://www.kosaiji.org/hokke/kaisetsu/hokekyo/8/28.htm)。
受學無學、
は、
法華経第九の、
授学無学人記品、
を指している(https://www.kosaiji.org/hokke/kaisetsu/hokekyo/4/09.htm)。
(法華経 白蓮のように最も優れた正しい教え https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E8%8F%AF%E7%B5%8Cより)
「法華経五の巻」で触れたように、法華経は、サンスクリット原典を、
サッダルマ・プンダリーカ・スートラSaddharmapundarīka-sūtra、
といい、
妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう)の略称、
だが、原題は、
「サッ」(sad)は「正しい」「不思議な」「優れた」、「ダルマ」(dharma)は「法」、「プンダリーカ」(puṇḍarīka)は「清浄な白い蓮華」、「スートラ」(sūtra)は「たて糸:経」の意、
で(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E8%8F%AF%E7%B5%8C)、
白蓮華のごとき正しい教え、
の意となる(世界大百科事典)。
この漢訳は、
竺法護(じくほうご)訳『正(しょう)法華経』10巻(286)、
鳩摩羅什(くまらじゅう)訳『妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう)』7巻(406)、
闍那崛多(じゃなくった)他訳『添品(てんぼん)妙法蓮華経』7巻(601)、
三種が存在する。『妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう)』が最も有名で、通常は同訳をさす。詩や譬喩・象徴を主とした文学的な表現で、一乗の立場を明らかにし、永遠の仏を説く(日本大百科全書)とある。
ただ、現行の『妙法蓮華経』は「提婆達多品(だいばだったぼん)」を加えているが、羅什訳原本にも他書にもなく、それを除くと、すべてのテキストが27章からなる(仝上)とある。
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コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
ラベル:作禮而去(さらいにこ)