2023年08月21日
おんばさら
観音勢至の遣水は、阿耨多羅(あのこたら 阿耨多羅)とぞ流れ出(い)づる、流れたる、育王太子(薬王大士とも)の前の池の波は、や、唵嚩羅(おんばさら)とぞ立ち渡る(梁塵秘抄)、
の、
斡嚩囉、
は、
おん ばさら たらま きりく そわか、
の意で、
唵 斡嚩囉 塔囉痲 紇哩 薩婆訶(蘇婆訶)
等々と当てる、
千手観音の真言、
である。
オン(帰命する)
バサラ(vajra 跋闍羅、伐折羅 金剛 金中最剛の意)
タラマ(dharma ダルマ 法)
キリク(hrih 観音 千手観音のこと)、
とあり(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12102381997)、
そわか(そばか svāhā 蘇婆訶・薩婆訶)、
は、
円満・成就、
などと訳し、
幸あれ、
祝福あれ、
といった意を込めて、陀羅尼・呪文(じゅもん)などのあとにつけて唱える語、
で(デジタル大辞泉)、
あなた(千手観音)は、価値の高い法の下に導く者、
と、
千手観音、
をたたえ、
千手観音からの祝福がありますように、
とか、
千手観音からの幸がもたらされますように
という言葉になる(仝上)。
「千手の呪い」で触れたように、普通には、
密教における仏菩薩(ぶつぼさつ)などの本誓(ほんぜい)(人々を救済しようとするもとの願い)を表す秘密語、
である、
密呪(みつじゅ)、
呪(しゅ)、
神呪(しんしゅ)、
は、
長句のものを陀羅尼、
数句からなる短いものを真言(しんごん)、
一字二字などのものを種子(しゅじ)
と区別し(日本大百科全書)、
頭初には帰依(きえ)を表すオームom((おん))またはナマスnamas(南無)を冠し、末尾には吉祥(きっしよう)を意味するスバーハsvh(蘇婆訶(そわか))の語を用いる、
ことが多い(https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000175490)とある。
陀羅尼、
は、「加持」で触れたように、
サンスクリット語ダーラニーdhāraīの音写、
で、
陀憐尼(だりんに)、
陀隣尼(だりんに)、
とも書き、
保持すること、
保持するもの、
の意で、
総持、
能持(のうじ)、
能遮(のうしゃ)、
と意訳し、
能(よ)く総(すべ)ての物事を摂取して保持し、忘失させない念慧(ねんえ)の力、
をいい(仝上)、仏教において用いられる呪文の一種で、比較的長いものをいう。通常は意訳せず、
サンスクリット語原文を音読して唱える、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%80%E7%BE%85%E5%B0%BC)。
其の用、聲音にあり。これ佛、菩薩の説ける呪語にして、萬徳を包蔵す。呪は、如来真言の語なれば真言と云ひ、呪語なれば、誦すべく解すべからず、故に翻訳せず、
とある(大言海)。ダーラニーとは、
記憶して忘れない、
意味なので、本来は、
仏教修行者が覚えるべき教えや作法、
などを指したが、これが転じて、
暗記されるべき呪文、
と解釈され、一定の形式を満たす呪文を特に陀羅尼と呼ぶ様になった(仝上)。だから、
一種の記憶術、
であり、一つの事柄を記憶することによってあらゆる事柄を連想して忘れぬようにすることをいい、それは、
暗記して繰り返しとなえる事で雑念を払い、無念無想の境地に至る事、
を目的とし(仝上)、
種々な善法を能く持つから能持、
種々な悪法を能く遮するから能遮、
と称したもので、
術としての「陀羅尼」の形式が呪文を唱えることに似ているところから、呪文としての「真言」そのものと混同されるようになった
とある(精選版日本国語大辞典)のは、
原始仏教教団では、呪術は禁じられていたが、大乗仏教では経典のなかにも取入れられた。『孔雀明王経』『護諸童子陀羅尼経』などは呪文だけによる経典で、これらの呪文は、
真言mantra、
といわれたからである、とされる。
この呪文語句が連呼相槌的表現をする言葉なのは、
これが本来無念無想の境地に至る事を目的としていたためで、具体的な意味のある言葉を使用すれば雑念を呼び起こしてしまうという発想が浮かぶ為にこうなった、
とする説が主流となっている(仝上)とか。その構成は、多く、
初に那謨(なも)、或は唵(おん)の如き、敬礼を表す語を置き、諸仏の名號を列ね、二三の秘密語を繰返し、末に婆縛訶(そはか)の語を以て結ぶを常とす、又、阿鎫覧唅欠(アバンランガンケン)の五字は、大日如来の真言にて、五字陀羅尼とも云ひ、この五字は阿鼻羅吽欠(アビラウンケン)の如く、地、水、火、風、空、の五大にして、大日如来の自体となす(大言海)、
とか、
仏や三宝などに帰依する事を宣言する句で始まり、次に、タド・ヤター(「この尊の肝心の句を示せば以下の通り」の意味、「哆地夜他」(タニャター、トニヤト、トジトなどと訓む)と漢字音写)と続き、本文に入る。本文は、神や仏、菩薩や仏頂尊などへの呼びかけや賛嘆、願い事を意味する動詞の命令形等で、最後に成功を祈る聖句「スヴァーハー」(「薩婆訶」(ソワカ、ソモコなどと訓む)と漢字音写)で終わる(日本大百科全書)、
とかとある。
千手観音、
は、
「日摩尼手(にちまにしゅ)」で触れたように、
千手千眼観自在菩薩、
の略称(精選版日本国語大辞典)、
千手、
千手千眼、
千手観世音、
千手千眼観世音菩薩、
千眼千臂観世音、
とも呼び(精選版日本国語大辞典)、観世音菩薩があまねく一切衆生を救うため、身に千の手と千の目を得たいと誓って得た姿である、
観音菩薩の変化(へんげ)像の一つ、
で、
五重二十七面の顔と一千の慈眼をもち、一千の手を動かして一切衆生(いっさいしゅじょう)を救うという大慈(だいじ)大悲の精神、
を具象している(日本大百科全書)。
「千手観音」の、
千は満数で、目と手はその慈悲と救済のはたらきの無量無辺なことを表わしている、
とある(精選版日本国語大辞典)。観音菩薩は大きな威神力をもち世間を救済するという期待が、この千手観音像を成立させたと考えられる(仝上)。千手のうち、四十二臂(ひ)には、
印契器杖(いんげいきじょう)、
を持ち、九五八臂より平掌が出て、
宝剣、宝弓、数珠(じゅず)、
などを持っている。ただ、造像のうえでは千手ではなく、四十二手像に省略されることが多い(仝上)。江戸時代に土佐秀信によって描かれた仏画集『佛像圖彙』(元禄3年(1690))の「千手観音」の註には、
千手、實ニハ、四十臂也、二十五有ニ、各々、四十臂コレアルヲ都合スレバ、千手ナリ、根本印、九頭龍印、又、大慈悲観音、
とある。また、
二十八部衆、
という大眷属を従え、これらは礼拝者を擁護するという(仝上)。
なお、「印契(いんげい)」とは、
Mudrā、
の意訳、
で、
牟陀羅、
と音訳し、
印相、
密印、
印、
等々とも意訳する(精選版日本国語大辞典)。
「印」は標幟(ひょうし)、「契」は契約不改、
の意で、
指を様々の形につくり、また、それを組み合わせて、諸仏の内証を象徴したもの、
で、もとは、
釈尊のある特定の行為の説明的身ぶりから生れたもの、
であったが、密教の発展に伴って定型化した。顕教と密教では印契の意味についてかなり異なった解釈をし、顕教はこれを、
しるし、
の意味としているが、密教では、
諸尊の悟り、誓願、功徳の象徴的な表現、
と解し(ブリタニカ国際大百科事典)、
三密(身密(しんみつ 身体・行動)、口密(くみつ 言葉・発言)、意密(いみつ こころ・考え)との「身・口・意(しんくい)」)、
のうちの「身密」であるとされる。
施無畏印(せむいいん)、
法界定印(ほっかいじょういん)、
施願印(せがんいん)、
智拳印(ちけんいん)、
引声印、
などがある(精選版日本国語大辞典)。印契のうち持物を用いる象徴を、
契印、
手の形による象徴を、
手印、
という(仝上)。
「千手観音」は、六道に対応する、
六観音の一つ、
とされ、
餓鬼道または天道、
に配し、形像は、
立坐の二様、
で、
一面三目または十一面(胎蔵界曼荼羅では二十七面)、四十二の大きな手をそなえ、各手の掌に一眼をつけ、それぞれ持物を執るか、印を結ぶ、
とある。この菩薩の誓いは、
一切のものの願いを満たすことにあるが、特に虫の毒・難産などに秀でており、夫婦和合の願いをも満たす、
という(仝上)。因みに、六観音とは、
六道それぞれの衆生を救済するために、姿を七種に変える観音、
を言い、
衆生を救う六体の観音、
で、密教では、
地獄道に聖(しよう)観音、餓鬼道に千手観音、畜生道に馬頭観音、修羅道に十一面観音、人間道に准胝(じゆんでい)または不空羂索(ふくうけんじやく)観音、天道に如意輪観音、
を配する(広辞苑)。
七観音(しちかんのん)、
という呼び方もする。
なお、様々な種類の真言については、
光明真言 オン・アボキャ・ベイロシャノウ・マカボダラ・マニ・ハンドマ・ジンバラ・ハラバリタヤ・ウン(一心に唱えるとすべての禍(わざわい)を取り除けるとされる)
不動明王 ノウマク・サンマンダ・バザラダン・センダマカロシャダ・ソワタヤ・ウン・タラタ・カン・マン(
魔を払い災厄を砕く力を持ち、悪霊退散・立身出世・除災招福・商売繫盛などの利益がある)
普賢菩薩 オン・サンマヤ・サトバン(女性守護・修行者守護・息災延命の利益がある)
釈迦如来 ノウマク・サンマンダ・ボダナン・バク(魂を成長させ、悟りを開くための利益がある)
文殊菩薩 オン・アラハシャノウ(智慧を表す菩薩であることから、学業成就・合格祈願など学業にまつわる利益がある)
地蔵菩薩 オン・カカカビ・サンマエイ・ソワカ(安産・子授け・子供守護・先祖供養などの利益がある)
弥勒菩薩 オン・マイタレイヤ・ソワカ(衆生済度や極楽往生の利益がある)
阿弥陀如来 オン アミリタ テイセイ カラ ウン(亡くなった人を浄土に導く仏さまで、極楽往生の利益がある)
薬師如来 オン・コロコロ・センダリ・マトウギ・ソワカ(特に眼病の治癒に効果があるとされ、健康長寿・安産祈願・災難除去の利益がある)
観音菩薩 オン・アロリキャ・ソワカ(災難除けや運気好転の利益がある)
勢至菩薩 オン・サンザンサク・ソワカ(智慧明瞭・家内安全・除災招福の利益がある)
千手観音 ン・バザラ・タラマ・キリク・(ソワカ)(災難除け・病気平癒・苦難除去・開運など多くの現世利益がある)、
虚空蔵菩薩 ノウボウ・アキャシャキャラバヤ・オン・アリキャ・マリ・ボリ・ソワカ(頭脳明瞭・学業成就・記憶力向上・技巧向上の利益がある)
等々とある(https://www.eranda.jp/column/20508)。
なお、真言密教の「加持」、「求聞持法」については触れた。「千手観音」については「日摩尼手(にちまにしゅ)」で触れた。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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