淡路はあな尊(たうと)、北には播磨の書冩をまもらへて、西には文殊師利、南え南海補陀落(ふだらく)の山(せん)に向ひたり、東(ひんがし)は難波の天王寺に、舎利(さり)まだおはします(梁塵秘抄)、
の、
文殊師利(もんじゅしり)、
は、
サンスクリット語マンジュシュリーMañjuśrī、
の音訳、詳しくは、
文殊師利法王子(青年たるマンジュシュリー)菩薩、
つまり、
文殊菩薩、
の意である。
(石仏・文殊菩薩像(9世紀のインド・パーラ朝) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E6%AE%8A%E8%8F%A9%E8%96%A9より)
文殊は誰が迎へ來し、奝然(ちょうねん)聖(ひじり)こそ迎へしか、迎へしかや、伴には優塡國(うてんこく)るわうやらう正老人、善財童子の佛陀波利(はり)さて十六羅漢諸天衆(梁塵秘抄)、
の、
文殊、
は、
梵語Majur、
の音訳、
文殊師利の略、
で、
妙徳菩薩、
妙吉祥菩薩、
法王子、
と訳す(精選版日本国語大辞典)。
奝然(ちょうねん)、
は、
平安時代中期の東大寺の僧。永観1(983)年東大寺と延暦寺の信書をたずさえて、宋商船に便乗して入宋し、翌年太宗に謁し、紫衣を賜わり、法済大師の号を受けた、
という。五台山その他を巡拝して、寛和2(986)年『釈迦如来像』や大蔵経 5048巻および『十六羅漢画像』をもって帰朝。現在清涼寺に安置されている『釈迦如来像』は、その将来仏で、国宝に指定されている、
とある(ブリタニカ国際大百科事典)。
善財童子、
は、華厳経の説く、
求道の菩薩、
の名。この菩薩の生まれたとき、室内に自然に財宝がわき現われたところから名づけられた(精選版日本国語大辞典)。福城長者の子であったが、発心(ほっしん)して、
愛着に執(とら)われ、疑いで智慧(ちえ)の目が曇り、苦しみ、煩悩(ぼんのう)の海に沈殿している私の目を覚ましてほしい、
と文殊菩薩に願い、文殊の教えを受け、
55か所・53人の善知識(ぜんちしき 各自の道を究め、解脱(げだつ)への道を勧めるのにふさわしい人物)を歴訪して教えを受け、先入観なしに謙虚に教えを受け、最後に弥勒(みろく)、文殊、普賢(ふげん)の三菩薩のところへ行き、真実の智慧を体得した、
とされ(日本大百科全書)、最後の普賢菩薩によって仏となることを約束される(精選版日本国語大辞典)。
観音菩薩などの脇士、
としてまつられることが多い(仝上)とある。
仏陀波利、
は、
仏陀波利三蔵(ぶっだはりさんぞう)、
の謂いで、
釈迦の弟子の一人、
で、
尊勝陀羅尼の梵本を中国にはじめて将来した僧、
であり、自らも『仏頂尊勝陀羅尼経』を翻訳している(佐々木大樹「仏頂尊勝陀羅尼の研究―特に仏陀波利の取経伝説を中心として」)とある。
優塡國、
の、
優填(うでん)、
もしくは、
于闐(うでん)、
また、
優陀延(うだえん)、
と音写する、
ウダヤナ(Skt:udayana、訳:出愛・日子など)、
のことで、インドのコーサンビー(憍賞弥国)の王、
であり、
釈迦在世中の仏教を保護した王、
として知られる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%80%E3%83%A4%E3%83%8A)。以上の、
優填王、
仏陀波利三蔵、
善財童子、
大聖老人(あるいは最勝老人(さいしょうろうじん)=婆藪)、
の四尊は、
文殊五尊図、
として、中国・日本などでよく描かれた(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E6%AE%8A%E8%8F%A9%E8%96%A9)とある。
(文殊五尊像(奈良・西大寺 侍者は向かって左から優填王、最勝老人、仏陀波利、善財童子) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E6%AE%8A%E8%8F%A9%E8%96%A9より)
さて、「文殊菩薩」は、
諸仏の智慧(般若)をつかさどる菩薩、
で、
釈迦如来の脇侍、
として左に侍し、普賢菩薩とともに三尊を形成する。普通、
右手に知剣を持ち、左手に青蓮華を持つ、
が、経軌(密教の経典と儀軌)によっては種々の持物あるいは像形が説かれ、時に、
智慧の威徳を示す獅子に乗る、
とあり(広辞苑)、眷属として、
八大童子、
を従える場合もある(ブリタニカ国際大百科事典)。密教の胎蔵界曼荼羅(たいぞうかいまんだら)では、
中台八葉院、金剛界(こんごうかい)曼荼羅の賢劫(けんごう)十六尊、
のなかにそれぞれ位置づけられ、中台八葉院では、
五髻を戴き、左手に五鈷杵の立った蓮華、右手に梵篋を持った姿、
に表わされている(仝上)。
なお、『華厳経』に東方清涼山に住むとあるところから、中国では五台山が文殊の浄土とみなされ(日本大百科全書)、日本では葛城山(かつらぎさん)が聖地とされる(日本人名大辞典+Plus)
(文殊菩薩 精選版日本国語大辞典より)
初期の大乗仏教経典において、
堅固な精神統一(首楞厳三昧 しゅりょうごんざんまい)の体現者、
仏に説法を請願し対話の相手役を務める菩薩の代表者、
などとして現れ、とくに般若(はんにゃ)経典との関係が深く、
仏滅後に実在した菩薩、
または、
無限の過去にすでに悟りを得た仏の現れ、菩薩の父母、
とされ、初期般若経典の形成に直接関与した実在の人物を背景として理想化された菩薩であると推定されている(仝上)とある。
(八字文殊菩薩及び八大童子像(鎌倉時代) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E6%AE%8A%E8%8F%A9%E8%96%A9より)
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95