内(宇治)に神おはす、中をば菩薩御前たちはな(橘)こしま(小嶋)のあたぬし(縣主)、七寶蓮華はをしつるぎ(梁塵秘抄)、
の、
七寶、
は、
爾時佛前有七寶塔、高五百由旬、縱廣二百五十由旬、從地湧出、住在空中、種種寶物而莊校之。五千欄楯、龕室千萬、無數幢幡以為嚴飾、垂寶瓔珞寶鈴萬億而懸其上。四面皆出多摩羅跋栴檀之香、充遍世界。其諸幡蓋、以金、銀、琉璃、硨磲、瑪瑙、真珠、玫瑰、七寶合成、高至四天王宮、
と、「妙法蓮華經」(法華経)見寶塔品に説かれている宝塔を飾る、
金(こん)、銀(ごん)、瑠璃(るり)、碼碯(めのう)、硨磲(しゃこ)、真珠(しんじゅ)、玫瑰(まいえ)、
などの七種の宝石類をいい(http://monnbutuji.la.coocan.jp/yougo/4/470a.html・大言海)、無量寿経では、
金・銀・瑠璃・玻璃(はり)・硨磲(しゃこ)・珊瑚・瑪瑙(めのう)、
をいい(日本国語大辞典)、仏説阿弥陀経は、
金(こん)・銀(ごん)・瑠璃(るり)・玻瓈(はり)・硨磲(しゃこ)・赤珠(しゃくしゅ)・碼碯(めのう)、
をいい(https://www.otani.ac.jp/yomu_page/b_yougo/nab3mq0000000rwn.html)、
瑠璃は青色の玉(ぎょく)、玻瓈は水晶、硨磲は白い珊瑚または美しい貝殻、赤珠は赤い真珠で、碼碯は今の碼碯ではなくエメラルド、
とある(仝上)。「硨磲(しゃこ)」は、
車渠、
とも当て、
シャコガイの貝殻、
で、
インド洋・西太平洋までのサンゴ礁にすみ、外套(がいとう)膜にゾーキサンテラという藻類が共生してあざやかな黒、青、緑等の色になる、
とあり(マイペディア)、
七珍(しっちん)、
ともいう(広辞苑)が、転輪聖王が所持するという、
輪・象・馬・珠・女・居士・主兵臣、
の七宝をもいう(仝上・日本国語大辞典)。
転輪聖王(てんりんじょうおう、転輪王とも)、
は、
古代インドの思想における理想的な王を指す概念。地上をダルマ(法)によって統治し、王に求められる全ての条件を備えるという、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BB%A2%E8%BC%AA%E8%81%96%E7%8E%8B)。
(転輪聖王の石レリーフ(紀元前1世紀 アショーカ王と思われる) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BB%A2%E8%BC%AA%E8%81%96%E7%8E%8Bより)
「法華経」提婆達多品には、法華経に信順するものは、その結果として、
どの仏国土に生をうけようとも、彼は如来の面前で、自然に生じた七宝づくりの蓮華のなかに生まれるであろう、
とある(塚本啓祥「蓮華生と蓮華座」https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk1952/28/1/28_1_1/_pdf/-char/ja)とか。
蓮華(れんげ)、
は、
仏教の伝来とともに中国からやってきた言葉で、「法華経五の巻」で触れたように、
法華経は、サンスクリット原典は、
サッダルマ・プンダリーカ・スートラSaddharmapundarīka-sūtra、
といい、
妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう)の略称、
だが、原題は、
「サッ」(sad)は「正しい」「不思議な」「優れた」、「ダルマ」(dharma)は「法」、「プンダリーカ」(puṇḍarīka)は「清浄な白い蓮華」、「スートラ」(sūtra)は「たて糸:経」の意、
で(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E8%8F%AF%E7%B5%8C)、
白蓮華のごとき正しい教え、
の意となる(世界大百科事典)ように、古来より、
仏の悟りをあらわす仏教のシンボル、
として親しまれてきたもののようである。インド人にとって、「蓮華」は、
涼しさの象徴、
であると同時に、
清浄さの象徴、
とされ、釈迦は、
ハスの生き方に、人としての生き方を学びなさい、
というのは、
沼地にしっかり根を張り、泥の中から養分を吸収し、立派に花を咲かせます。の花も泥に染まる事なく、本来自分の持っている色「白や青、薄ピンクなど」を咲かせます。それは、まさに人としての姿勢を示しています、
という象徴的なものとみなされている(https://www.nichiren.or.jp/glossary/id28/)ようである。
(白い蓮の花。蓮は、泥の中に生まれても、泥に染まらず、清浄な花を咲かせる https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E8%8F%AF%E7%B5%8Cより)
なお、日蓮の『御義口伝』には、七宝とは、
聞(もん)・信(しん)・戒(かい)・定(じょう)・進(しん)・捨(しゃ)・慙(ざん)なり。……今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉るは有七宝の行者なり、
とある(http://monnbutuji.la.coocan.jp/yougo/4/470a.html)とするのは、「七宝」をメタファにして説いているものと思われる。
浄土に開花した蓮台の上に忽然と往生すること、
を意味する、
蓮華化生(れんげけしょう)、
という言葉がある。
無量寿仏の智慧を信じて善行の功徳を浄土往生のために振り向ける者は、蓮台に化生し不退転の位に立ち浄土の菩薩と同等となる、
これに対し、
無量寿仏に疑いを持ち仏の智慧を信じないながらも、浄土に往生することを願い善行を積む者は浄土の辺地にある宮殿に生まれる。これを辺地往生または胎生という、
とある(http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E8%93%AE%E8%8F%AF%E5%8C%96%E7%94%9F)。
胎生、
とは、蓮華の中に往生するが華が開かず500年間三宝を見聞きすることができない闇を経なければならないことを表現した語である、
とある(仝上)。「化生」は、
無而忽現、名化生(瑜加論)、
と、仏語の、
四生の一つ、
で、
湿生化生(ケシャウ)はいさ知らず体を受けて生るる者、人間も畜生も出世のかどは只一つ(浄瑠璃「釈迦如来誕生会(1714)」)、
と、
母胎や卵殻によらないで、忽然として生まれること、
をいい、
天界や地獄などの衆生の類、
を指す(精選版日本国語大辞典)。
「四生」(ししょう)は、「六道四生」で触れたように、生物をその生まれ方から、
胎生(たいしょう 梵: jarāyu-ja)母胎から生まれる人や獣など、
卵生(らんしょう 梵: aṇḍa-ja)卵から生まれる鳥類など、
湿生(しっしょう 梵: saṃsveda-ja)湿気から生まれる虫類など、
化生(けしょう upapādu-ka)他によって生まれるのでなく、みずからの業力によって忽然と生ずる、天・地獄・中有などの衆生、
の四種に分けた(岩波仏教語辞典)。その意味から、「化生」は、
後時命終。悉生東方。宝威徳上王仏国。大蓮華中。結跏趺坐。忽然化生(「往生要集(984~85)」)、
と、
極楽浄土に往生する人の生まれ方の一つ、
として、
弥陀の浄土に直ちに往生すること、
の意、さらに、
其の柴の枝の皮の上に、忽然に彌勒菩薩の像を化生す(「異記(810~24)」)、
化身、
化人、
の意で、
仏・菩薩が衆生を救済するため、人の姿をかりて現れること、
の意として使うが、ついには、
まうふさが打ったる太刀もけしゃうのかねゐにて有間(幸若「つるき讚談(室町末‐近世初)」)、
と、
ばけること、
の意となり、
化生のもの、
へんげ、
妖怪、
の意で使われるに至る(精選版日本国語大辞典・広辞苑・大辞林)。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95