金(かね)の御嶽(みたけ)は一天下、金剛蔵王釋迦彌勒、稲荷も八幡(やはた)も木島(このしま)も、人の参らぬ時ぞなき(梁塵秘抄)、
の、
彌勒、
は、「出世」で触れたように、
釈迦牟尼仏に次いで仏になると約束された菩薩、
で、
於是衆生。歴年累月。蒙教修行。漸漸益解。至下於王城始発中大乗機上、称会如来出世之大意(法華義疏)、
と、
兜率天(とそつてん)に住し、釈尊入滅後56億7千万年後この世に下生(げしょう)して、龍華三会(りゅうげさんね)の説法によって釈尊の救いに洩れた衆生をことごとく済度するために出世する(衆生済度のため世界に出現する)、
未来仏、
とされる(広辞苑)。
梵語Maitreya、
を、
慈氏、
慈尊、
と訳し、
慈氏菩薩、
弥勒菩薩、
弥勒仏、
ともいい(仝上)、
弥勒慈尊(みろくじそん)
ともいう(仝上)。
下生のときにはすでに釈迦仏の代りとなっているので菩薩ではなく仏となっており、そのために、
将来仏、
当来仏、
とも呼ばれる(ブリタニカ国際大百科事典)。
(弥勒 広辞苑より)
「兜率天」は、かつて釈迦がここにいて、ここから下界へ下ったが、
六欲天の第四なり、須弥山の頂上十二万由旬に在り、摩尼宝殿又兜率天宮なる宮殿あり、無量の諸天之に住(画題辞典)、
し、
内外二院あり(広辞苑)、内院は、
将来仏となるべき菩薩が最後の生を過ごし、現在は弥勒(みろく)菩薩が住む、
とされ、
弥勒はここに在して説法し閻浮提に下生成仏する時の来るのを待っている、
とされている(仝上)。日本ではここに四十九院があるという。外院は、
天人の住所、
である(広辞苑)。
六欲天の第四、
というのは、
欲界(kāma‐dhātu)、
色界(rūpa‐dhātu)、
無色界(ārūpa‐dhātu)、
の三種に分類した、
三界、
のひとつである「欲界」が、
他化自在天(たけじざいてん) 欲界の最高位。六欲天の第6天、天魔波旬の住処、
化楽天(けらくてん、楽変化天 らくへんげてん)六欲天の第5天。この天に住む者は、自己の対境(五境)を変化して娯楽の境とする、
兜率天(とそつてん、覩史多天 としたてん) 六欲天の第4天。須弥山の頂上、12由旬の処にある、
夜摩天(やまてん、焔摩天 えんまてん) 六欲天の第3天。時に随って快楽を受くる世界、
忉利天(とうりてん 三十三天 さんじゅうさんてん)六欲天の第2天。須弥山の頂上、閻浮提の上、8万由旬の処にある。帝釈天のいる場所、
四大王衆天(しだいおうしゅてん、四天王の住む場所) 六欲天の第1天。持国天・増長天・広目天・多聞天の四天王がいる場所、
からなる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E6%AC%B2%E5%A4%A9・精選版日本国語大辞典)、六欲天の、
第四天、
である。
「兜率天」は、
夜摩天の上にあり、この天に在るもの五欲の境に対し、喜事多く、聚集して遊楽す、故に喜楽集とも訳し、又兜卒天宮とは、此の兜率天にある摩尼宝殿をいふ、また三世法界宮ともいふ、この天に内院外院の二あり、外院は定寿四千歳にして内院にはその寿に限なく火水風の二災もこれを壊すこと能はざる浄土である、この内院にまた四十九院あり、補処の菩薩は弥勒説法院に居す、余の諸天には内院の浄土なく兜率には内院の浄土ありと『七帖見聞』に説かれている、
とあり(仏教辞林)、この天の一昼夜は、
人界の四百歳に当たる、
という(精選版日本国語大辞典)。この天は、
下部の四天王、忉利天、夜摩天三つの天が欲情に沈み、
また反対に、
上部の化楽天・他化自在天の二天に浮逸の心が多い、
のに対して、
沈に非ず、浮に非ず、色・声・香・味・触の五欲の楽において喜足の心を生ずる、
故に、弥勒などの、
補処の菩薩、
の止住する処となる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%9C%E7%8E%87%E5%A4%A9)。七宝で飾られた四九重の宝宮があるとされる、
兜率天の内院(ないいん)、
は、
一生補処(いっしょうふしょ)の位、
にある菩薩が住むとされ、かつて釈迦もこの世に現れる前世に住し(釈迦はここから降下して摩耶夫人の胎内に宿り、生誕したとされている)、今は弥勒菩薩が住し、法を説く(仝上)とされ、日本では古くよりこの内院を、
彌勒菩薩の浄土、
つまり、
兜率浄土、
と見てきた(仝上・ブリタニカ国際大百科事典)。弥勒の兜率天での寿命が、
4000年、
とされ、兜率天の1日は地上の、
400年、
に匹敵するという説から、下生までに、
4000年×12ヶ月×30日×400年=5億7600万年かかるという計算になるはずだか、後代、
5億7600万年、
が、
56億7000万年、
に入れ替わったと考えられている(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A5%E5%8B%92%E8%8F%A9%E8%96%A9)。
(弥勒(マイトレーヤナータ、マイトレーヤ) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A5%E5%8B%92_(%E5%83%A7)より)
後世「弥勒菩薩」と同一視されたのは、
インド大乗仏教の瑜伽行派(いっさいは唯だ識の表れにすぎないという唯識説を説く学派)の始祖とされる、
弥勒(みろく)、
と音訳された、
マイトレーヤナータMaitreyanātha、
または、
マイトレーヤMaitreya、
で、
慈氏、
と意訳される。瑜伽行派の論書では、
マイトレーヤは兜率天(とそつてん)に住する当来仏で、《摂大乗論》などを著したアサンガ(無著 むぢやく)に唯識の教理を伝授した菩薩である、
とされる(世界大百科事典)が、このような伝説は後世の創造であり、弥勒は実在した史的人物であるとみなされている(日本大百科全書)
弥勒菩薩を本尊とする信仰である、
弥勒信仰(みろくしんこう)、
は、死後、
弥勒の住む兜率天(とそつてん)へ往生しようとする上生(じょうしょう)思想、
と、
仏滅後、
五六億七千万年ののち、再び弥勒がこの世に現れ、釈迦の説法にもれた衆生を救うという下生(げしょう)思想、
の二種の信仰から成り、
インドに始まり、日本には推古朝に伝来し、奈良・平安時代には貴族の間で上生思想が、戦国末期の東国では下生思想が特に栄えた、
とある(大辞林)。その、
弥勒菩薩が兜率天(トソツテン)から天降って人間世界に現れ、衆生(シユジヨウ)を救うという未来の世、
を、
弥勒の世、
といい、釈迦入滅後、五六億七千万年後の、弥勒菩薩がこの世に現れ、竜華樹の下で衆生教化の説法をする時を、
弥勒竜華の朝(みろくりゅうげのあした)、
といい(広辞苑・大辞林)、そのとき、
華林園の竜華樹下で説法するという会座、
を、
竜華会(りゅうげえ)、
といい、3回にわたって行うので、
竜華三会(りゅうげさんえ・りゅうげさんね)、
弥勒三会(みろくさんえ・みろくさんね)、
という(仝上)。
弥勒菩薩の住する浄土は、
兜率天(とそつてん)、
だが、
阿弥陀仏の西方極楽浄土、
と共に浄土思想の二大潮流をなしている。
弥勒菩薩の像容は、
菩薩形(ぼさつぎょう)、
と、
如来形(にょらいぎょう)、
に大別される(ブリタニカ国際大百科事典)とある。「菩薩形」は、
菩薩とは、本来悟りを求める者、修行者の意味なので、釈迦の出家以前の姿を基本として、インドの当時の貴族の形容、
であり(https://seihou8.sakura.ne.jp/art/kouza/002.html)、「如来形」は、
如来とは、悟りに至った者の意味なので、悟りに至った釈迦の姿を基本として、仏相三十二相八十種好にそった表現、
となる(https://seihou8.sakura.ne.jp/art/kouza/001.html)。
(木造弥勒菩薩半跏像(国宝・広隆寺蔵) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A5%E5%8B%92%E8%8F%A9%E8%96%A9より)
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95