2023年09月01日

おらが一茶句集


小林 一茶(玉城司訳注)『一茶句集』を読む。

一茶句集.jpg


一茶の発句総数、

約二万、

と言われている。その中から、

千句、

を選んだ編者は、

「紀行や日記類に書き残された夥しい一茶句も、実に面白い。等類・類 想・同意・同巣の句が多いが、それもまた楽しい。そこで、恣意的な選択だと非難されても致し方ないと腹をくくって千句にしぼった。」

という(解説)。で、

「それぞれに『おらが一茶句集』を編んで、楽しんでいただきたい。」

という。すべてには当たれないので、本書の千句の中から、幾つか選択してみた。五分の一位の、170句程.。

本書は、

春、
夏、
秋、
冬、
雑、

と区分して、句を載せているので、年代順ではない。

「春」から、

又ことし娑婆塞(しゃばふさぎ)ぞよ草の家
あら玉のとし立かへる虱哉
我春も上々吉よ梅の花
すりこ木のやうな歯茎も花の春
あれ小雪さあ元日ぞ元旦ぞ
こんな身も拾ふ神ありて花の春
影ぼしもまめ息才(そくさい)でけさの春
瘦蛙まけるな一茶是に有
つくねんと愚を守る也引がへる
七転び八起の花よ女郎花(をみなへし)
目出度さもちう位也おらが春
草の戸やどちの穴から来る春か
門の春雀が先へ御慶(ぎょけい)哉
正夢や春早々の貧乏神
里しんとしてづんづと凧上りけり
大凧(おほだこ)のりんとしてある日暮哉
温石(をんじやく)のさめぬうち也わかなつみ
長閑(のどか)さや浅間のけぶり昼の月
しなのぢや雪が消れば蚊がさわぐ
雪とけて村一ぱいの子ども哉
とくとけよ貧乏雪とそしらるゝ
うそうそと雨降中を春のてふ
ぼた餅や地蔵のひざも春の風
茹汁(ゆでじる)の川にけぶるや春の月
すつぽんも時や作らん春の月
かすむ日の咄(はなし)するやらのべの馬
ほくほくとかすみ給ふはどなた哉
烏メにしてやられけり冷やし瓜
さむしろや銭と樒(しきみ)と陽炎と
ねはん像銭見ておはす顔も有
初午を無官の狐鳴にけり
雀子や仏の肩にちよんと鳴
狙(さる)も来よ桃太郎来よ草の餅
山焼の明りに下る夜舟哉
ざくざくと雪かき交ぜて田打哉
猫の恋打切棒(ぶつきらぼう)に別れけり
五六間烏(からす)追(おひ)けり親雀
雀の子そこのけそこのけ御馬が通る
うぐひすの腮(あご)の下より淡ぢ島
瘦藪(やせやぶ)の下手鶯もはつ音哉
鶯や今に直らぬ木曾訛(きそなまり)
鳴く雲雀(ひばり)人の顔から日の暮るゝ
草蔭にぶつくさぬかす蛙哉
夕不二に尻を並べてなく蛙
瘦蛙まけるな一茶是に有
蝶とぶや此世に望みないやうに
白魚のどつと生るゝおぼろ哉
大仏の鼻で鳴也雀の子
地車におつぴきがれし菫哉
なの花のとつぱづれ也ふじの山
木々おのおの名乗り出たる木の芽哉
銭からから敬白(つつしんでまうす)んめ(梅)の花
梅さくや地獄の門も休み札
花の月のとちんぷんかんのうき世哉
有様(ありやう)は我も花より団子哉
人に花大からくりのうき世哉
ゆさゆさと春が行(ゆく)ぞよのべの草

「夏」から、

大空の見事に暮る暑(あつさ)哉
あつき夜や江戸の小隅のへらず口
暑き夜をにらみ合たり鬼瓦
短夜を継(つぎ)たしてなく蛙哉
短夜に竹の風癖(かぜくせ)直(なほ)りけり
がい骨の笛吹やうなかれの哉
大の字にふんぞり返る涼(すずみ)哉
芭蕉翁の臑(すね)をかぢって夕涼(ゆふすずみ)
てんでんに遠夕立の目利(めきき)哉
むだ雲やむだ山作る又作る
投出した足の先也雲の峰
瘦松(やせまつ)も奢(おごり)がましや夏の月
寝むしろや尻を枕に夏の月
夏山や一人きげんの女郎花(おみなえし)
白雲を袂(たもと)に入て袷(あはせ)かな
蒲公(たんぽぽ)は天窓(あたま)そりけり更衣(ころもがへ)
泣虫と云れてもなく袷哉
身一ッや死(しな)ば簾の青いうち
満月に隣もかやを出たりけり
此世をば退屈顔よ渋うちは
朔日(ついたち)のしかも朝也時鳥(ほととぎす)
三日月に天窓(あたま)うつなよほとゝぎす
吉日の卯月八日もかんこ鳥
づ(ず)ぶ濡(ぬれ)の仏立けりかんこ鳥
念仏の口からよばる蛍哉
おゝさうじや逃るがかちぞやよ蛍
行け蛍手のなる方へなる方へ
はつ蛍つひとそれたる手風哉
馬の屁に吹とばされし蛍哉
方々(はうぼう)から叩き出されて来る蚊哉
明がたに小言いひいひ行蚊哉
孑孑(ぼうふら)が天上するぞ三ケの月
蠅一ツ打てはなむあみだ仏哉
やれ打な蠅が手をすり足をする
一ぱしの面魂(つらだましひ)やかたつむり
夕月のさらさら雨やあやめふく
露の世や露のなでしこ小なでしこ
露の世は得心ながらさりながら
御地蔵や花なでしこの真中に
野なでしこ我儘咲(わがままざき)が見事也
萍(うきくさ)や花咲く迄のうき沈(しずみ)
笋(たけのこ)のうんぷてんぷの出所(でどこ)哉
人来たら蛙になれよ冷し瓜

「秋」から

鰯めせめせとや泣子負ながら
娵(よめ)入りの謡(うたひ)盛りや小夜時雨
うしろから大寒小寒夜寒哉
たばこ盆足で尋る夜寒哉
盆の灰いろはを習ふ夜寒哉
秋の夜や旅の男の針仕事
秋の夜やしやうじの穴が笛を吹
長き夜や心の鬼が身を責る
をり姫に推参したり夜這星(よばひぼし)
我星はどこに旅寝や天の川
草花やいふもかたるも秋の風
うつくしやせうじの穴の天の川
雨降やアサツテの月翌(あす)の萩
名月をとつてくれろと泣子哉
草花やいふもかたるも秋の風
秋の風一茶心に思ふやう
白露のかた袖に入(いる)朝日哉
露ちるやむさい此世に用なしと
ばかいふな何の此世を秋の風
露の世ハ露の世ながらさりながら
姨捨(をばすて)はあれに候とかがし哉
立鴫(しぎ)の今にはじめぬゆふべ哉
雁わやわやおれが噂を致す哉
なくな雁けふから我も旅人ぞ
喧嘩すなあひみたがひの渡り鳥
夕日影町一ぱいのとんぼ哉
又人にかけ抜れけり秋の暮
蛼(こほろぎ)のふいと乗けり茄子(なすび)馬
寝返りをするぞそこのけ蛬(きりぎりす)
蟷螂(とうろう)や五分の魄(たなしひ)見よ見よと
きりきりしやんとしてさく桔梗哉
くやしくも熟柿仲間の坐につきぬ
さぼてんにどうだと下る糸瓜哉
栗おちて一ツ一ツに夜の更る
梟(ふくろふ)の一人きげんや秋の暮
活(いき)て又逢ふや秋風秋の暮
青空に指で字を書く秋の暮
膝抱て羅漢顔して秋の暮

「冬」から、

よい連ぞ貧乏神も立給へ
義仲寺へいそぎ候はつしぐれ
有様は寒いばかりぞはつ時雨
而(しかうして)後何が出る時雨雲
寒き夜や我身をわれが不寝番(ねずのばん)
あら寒し寒しといふも栄(え)よう哉
ウス壁にづんづと寒が入にけり
ひいき目に見てさへ寒き天窓(あたま)哉
寒月や喰つきさうな鬼瓦
北壁や嵐木がらし唐がらし
山寺や雪の底なる鐘の声
わらの火のへらへら雪はふりにけり
はつ雪をいまいましいと夕(いふべ)哉
ほちやほちやと雪にくるまる在所哉
是がまあつひの栖(すみか)か雪五尺
掌(てのひら)へはらはら雪の降りにけり
む(う)まさうな雪がふうはりふはり哉
はつ雪や駕をかく人駕の人
三絃(さみせん)のばちで掃きやる霰哉
炉のはたやよべの笑ひがいとまごひ
屁くらべが又始るぞ冬籠
婆ゝどのや榾(ほだ)のいぶるもぶつくさと
枯菊に傍若無人の雀哉
何として忘れませうぞかれ芒
猫の子がちよいと押へるおち葉哉
正月の待遠しさも昔哉
行としや馬にもふまれぬ野大根
六十の坂を越るぞやつこらさ
喰(くつ)て寝てことしも今(こ)よひ一夜哉
羽生(は) へて銭がとぶ也としの暮

「雜」から

便(たより)なくば一花(いつくわ)の手向情(なさけ)あれや
花の月のとちんぷんかんのうき世哉

僭越かもしれないが、一茶の句は、
奇を衒う、
ところがあって、面白いのだが、ちょっといかがかと思わせるところもあり、時に、
マイナス感情、
が強く出過ぎ、芭蕉の、
品格、
とまではいわないが、
風格、
に及ばないかもしれない。しかし、それは、
下世話風、
庶民感覚、
生活感満載、
という言い方もできる。
桃青霊神託宣(とうせいけいじんたくせん)に曰(いはく)はつ時雨、
と、一茶が皮肉るように、別に、芭蕉を神格化する必要はないが、一茶自身、

「我宗門(浄土真宗)にてはあながちに弟子と云ず、師といはず、如来の本願を我も信じ人にも信じさすことなれば、御同朋・御同行とて平坐にありて讃談するを常とす。いはんや俳諧においてをや。たゞ四時を友として造化にしたがひ、言語の雅俗より心の誠をこそのぶべけれ」(「あるがままの芭蕉会」)、

と述べ、

「実に仏法は出家より俗家の法、風雅も三五隠者のせまき遊興の道にあらず。諸人が心のやり所となすべきになん」

と、結ぶ(仝上)。そこを衒って、

風雅より心の誠、

と言い切り、

浄土真宗の理想が俳諧の馬でこそ実現できる、

と言っているのだから(解説)。

参考文献;
小林 一茶(玉城司訳注)『一茶句集』(角川ソフィア文庫)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 03:43| Comment(0) | 書評 | 更新情報をチェックする
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