2023年09月03日

常楽我浄


近江の湖(みずうみ)は海ならず、天台薬師の池ぞかし、何ぞの海、常楽我浄の風吹けば、七宝蓮華の波ぞ立つ(梁塵秘抄)、

常楽我浄(じょうらくがじょう)、

は、大乗仏教において、

涅槃(ねはん)や如来に備わる四つの徳、

をいい(涅槃経)、すなわち、

永遠であり(常)、安楽であり(楽)、絶対であり(我)、清浄である(浄)こと、

を言う(広辞苑)。

四徳(しとく)、
または、
四波羅蜜(しはらみつ)、

ともいわれる(岩波仏教辞典)。さらに、

四つの誤った考え、

つまり、

四顛倒(してんどう)、

にもいい、真の仏智から見れば、世間の一切のものは、

無常・苦・無我・不浄、

であるのに、これを、

常・楽・我・浄、

ととらわれていること。また、仏の涅槃は、

常・楽・我・浄、

であるのに、これを、

無常・苦・無我・不浄、

と誤り解することをいい、

四倒(しとう)、

ともいい(仝上・精選版日本国語大辞典)、合わせて、

八顛倒、

という(仝上)。つまり、

顛倒の妄見を四つに分類したもの、

をいう(精選版日本国語大辞典)。教行信証(1224)に、

如風能鄣静、土能鄣水、湿能鄣火、五黒十悪鄣人天、四顛倒鄣声聞果、

とある。ここから転じて、

げにや喜見城の都常楽我浄(ジャウラクガジャウ)とたわれしもことはりや(洒落本「交代盤栄記(1754)」)、

と、

何の心配もない安楽な生活、のんびりしていること、

の意で使うに至る(仝上)。

常楽我浄、

の、

「常」とは、

仏や涅槃の境地が永遠不変であること、

「楽」とは、

仏や涅槃の境地が人間の苦を離れたところに真の安楽があること、

「我」とは、

仏や涅槃の境地が人間本位の自我を離れ如来我(仏性)があること、

「浄」とは、

仏や涅槃の境地が煩悩を離れ浄化された清浄な世界であること、

をいうとあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%B8%E6%A5%BD%E6%88%91%E6%B5%84。なお、

四波羅蜜(しはらみつ)、

には、

涅槃(ねはん)にそなわる常・楽・我・浄の四種のすぐれた特徴、

の意の他に、

此の無常苦空無我の四波羅蜜を観して菩提の道を求むるを、声聞四諦の法と云ふ(「快馬鞭(1800)」)、

と、

凡夫の常楽我浄の四顛倒に対して、それが無常であり苦であり空無我であるとみること、

の意もある(精選版日本国語大辞典)。

なお、「七宝蓮華」については触れた。

「常」 漢字.gif

(「常」 https://kakijun.jp/page/1143200.htmlより)

「常」(漢音ショウ、呉音ジョウ)は、

形声。「巾(ぬの)+音符尚(ショウ)」。もとは裳(ショウ)と同じで、長いスカートのこと。のち時間が長い、いつまでも長く続く、の意となる、

とある(漢字源)。

「もすそ」(下半身の着衣の意)を意味する漢語、

から、仮借して、

「つね」を意味する漢語、

に用いる(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B8%B8・角川新字源)とある。別に、

形声文字です(尙+巾)。「神の気配を示す文字と家屋の象形と口の象形」(屋内で祈る意味だが、ここでは「長(ジョウ)」に通じ(同じ読みを持つ「長」と同じ意味を持つようになって)、「ながい」の意味)と「頭に巻く布にひもをつけて帯にさしこむ」象形から、長い布を意味し、それが転じて(派生して・新しい意味が分かれ出て)、「長く変わらない」、「つね」を意味する「常」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji894.html

「樂」 漢字.gif

(「樂(楽)」 https://kakijun.jp/page/gaku15200.htmlより)

田楽」で触れたように、「樂(楽)」(ガク、ラク)は、

象形。木の上に繭のかかったさまを描いたもので、山繭が、繭をつくる櫟(レキ くぬぎ)のこと。そのガクの音を借りて、謔(ギャク おかしくしゃべる)、嗷(ゴウ のびのびとうそぶく)などの語の仲間に当てたのが音楽の樂。音楽で楽しむというその派生義を表したのが快楽の樂。古くはゴウ(ガウ)の音があり、好むの意に用いたが、今は用いられない、

とある(漢字源)。音楽の意では「ガク」、楽しむ意では、「ラク」と訓む。しかし、この、

「木」に繭まゆのかかる様を表し、櫟(くぬぎ)の木の意味。その音を仮借、

とする説(藤堂明保)、

に対し、

木に鈴をつけた、祭礼用の楽器の象形、

とする説(白川静)があるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%A5%BD。また別に、

象形。木に糸(幺)を張った弦楽器(一説に、すずの形ともいう)にかたどり、音楽、転じて「たのしむ」意を表す、

とも(角川新字源)、

象形文字です。「どんぐりをつけた楽器」の象形から、「音楽」を意味する「楽」という漢字が成り立ちました。転じて(派生して・新しい意味が分かれ出て)、「たのしい」の意味も表すようになりました、

とするものもあるhttps://okjiten.jp/kanji261.html

「我」  漢字.gif



「我」 甲骨文字・殷.png

(「我」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%88%91より)

「我」(ガ)は、

象形文字。刃がぎざぎざになった戈(ほこ)を描いたもので、峨(ガ ギザギザと切り立った山)と同系。「われ」の意味に用いるのは、我(ガ)の音を借りて代名詞をあらわした仮借、

とある(漢字源)。

刃がぎざぎざになった戈又はのこぎりを象る。「のこぎり」を意味する漢語、

から、

仮借して「われ」を意味する一人称代名詞、

ともある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%88%91・角川新字源・https://okjiten.jp/kanji1020.html)。

「浄」 漢字.gif

(「浄(淨)」 https://kakijun.jp/page/09130200.htmlより)

「浄」(漢音セイ、呉音ジョウ)は、

形声。「水+音符爭」で、爭(争)の原義とは関係ない、

とある(漢字源)が、

形声。水と、音符爭(サウ、シヤウ→セイ、ジヤウ)とから成る。もと、魯国にあった池の名。古くから、瀞(セイ、ジヤウ)の略字として用いられている。常用漢字は俗字による、

とも(角川新字源)、

会意兼形声文字です(氵(水)+争(爭))。「流れる水」の象形と「ある物を上下から手で引き合う象形と力強い腕の象形が変形した文字」(「力を入れて引き合う」の意味)から、力を入れて水を「清める」を意味する「浄」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1938.html

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 03:46| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
コチラをクリックしてください