仏も昔は人なりき、我等も終(つゐ)には仏なり、三身仏性具せる身と、知らざりけるこそあはれなれ(梁塵秘抄)、
の、
三身仏性(さんじんぶっしょう)、
の、
三身(さんしん・さんじん)、
は、色葉字類抄(平安末期)に、
三身、法身、報身、応身、
とあり、大乗仏教で、
真如そのものである法身(ホツシン)、
修行をして成仏した報身(ホウジン)、
人々の前に出現してくる応身(オウジン)、
の総称(大辞林)、
三仏身、
三身仏、
ともいい、
仏の一体に具備する所を、三相に別ちて云ふ、
とあり(大言海)、
法身、
とは、
真如(一切存在の真実のすがた。この世界の普遍的な真理)の理解、如来(仏の尊称。「かくの如く行ける人」、すなわち修行を完成し、悟りを開いた人)自證の妙理にして、諸法の本体、萬法の所依となる仏身、
なり、
報身、
とは、
福徳、智慧の勝因に酬報して、佛の感得する相好円満なる色身、
なり、
応身、
とは、
衆生の機類(根機(機根とも 仏の教化を受けるとき発動することができる能力または資質)に隨応して、三業(さんごう 身業・口業(くごう)・意業)の化用を施す化身、
なり(仝上)とある。『撮壌集(さつじようしゆう)』(飯尾永祥(享徳三(1454)年)に、佛名について、
毘盧遮那仏、法身、廬舎那仏、報身、釈迦牟尼仏、応身、
とある。
法身(ほっしん)・報身・応身、
という言い方が、最も一般的であるが、
法身・応身・化身(合部金光明経)、
法身・解脱身・化身(解深密経)、
自性身・受用身・変化身(仏地経論)、
法身・報身・化身、
法身・智身・大悲身、
真身・報身・応身、
等々もあり(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E8%BA%AB・広辞苑)、法相宗では、
自性身・受用身・変化身、
といい、天台宗では、
衆生の心中に具足する正因・了因(報身因)・縁因(応身因)、
の、
三種の仏性、
をいう(精選版日本国語大辞典)。
三身円満の覚王なり(平家物語)、
と、
法・報・応の三身を完全に具有していること、
を
三身円満(さんじんえんまん)、
という(広辞苑)。
(「身」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%BA%ABより)
「身」(シン)は、
象形。女性が腹に赤子をはらんださまを描いたもの。充実する、いっぱいつまるの意を含み、重く筋骨のつまったからだのこと、
とあり(漢字源)、同趣旨で、
象形。女性がみごもったさまにかたどり、みごもる意を表す。転じて、からだの意に用いる(角川新字源)、
象形文字です。「人がみごもった(妊娠した)」象形から「みごもる」を意味する「身」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji17.html)、
等々とする説が多いが、
かつて妊婦を象る象形文字と解釈する説があったが、信頼できない説である、
と否定し、
腹部を強調して描かれた人の象形文字、
あるいは、
人の腹部に○印を加えた指事文字、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%BA%AB)。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95