2023年09月13日
耆闍崛山(ぎじゃくっせん)
浄飯王帚を持ち、耆(き)闍崛山(せん)には聖者(そうじゃ)居りとかやな、五臺山の深きより、一乗となつて出でたまふ(梁塵秘抄)、
の、
耆闍崛山、
は、
きじゃくっせん、
とも訓ませ、
サンスクリット語 Gṛdhrakūṭa、
の音写
祇闍崛山、
とも移されるが、
霊鷲山(りょうじゅせん)、
鷲峰山(じゅほうせん・じゅぶせん)、
鷲山(じゅせん)、
霊頭山、
鷲頭山、
鷲台、
等々と訳され、
霊山(りょうぜん)、
と略す(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9C%8A%E9%B7%B2%E5%B1%B1)。
霊鷲山で触れたように、
禿鷲の頂という山、
という意(原語のグリドラはハゲワシのこと)で、
耆闍崛山、此翻靈鷲、亦曰鷲頭(法華文句)、
とあるように、
この山のかたちが、空に斜めに突き出すようになっており、しかも頂上部がわずかに平らになっていてハゲワシの首から上の部分(頭)によく似た形をしているので、
山の頂が羽を拡げた鷲の形に見えるところから、
とも、
山形が鷲の頭に似るから、
とも、あるいは、
鷲が多くすむから、
ともいわれる(http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E8%80%86%E9%97%8D%E5%B4%9B%E5%B1%B1・ブリタニカ国際大百科事典)。
インド古代マガダ国の主都王舎城を囲む五山の一つチャッター山の南面にある山、
で、
釈迦が法華経や無量寿経などを説いた所、
として著名である(仝上)。『無量寿経』上の序分に、
我れ聞ききかくの如きを。一時、仏、王舎城の耆闍崛山の中に住して、大比丘衆万二千人と俱なりき、
とあり、『観経』『大品般若経』『法華経』『金光明経』などの多くの大乗諸経典がこの山で説かれ(仝上)、
妙法蓮華經(卷第一序品第一)では、
如是我聞。一時佛住王舍城耆闍崛山、
妙法蓮華經如來壽量品(第十六)では、
時我及衆僧 倶出靈鷲山 我時語衆生……於阿僧祇劫 常在靈鷲山 及餘諸住處、
などとある(http://tobifudo.jp/newmon/seichi/ryoju.html)。
ビンビサーラ王が釈尊の説法を聞くために登ったとされる小路が今も用いられている、
とあり(http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E8%80%86%E9%97%8D%E5%B4%9B%E5%B1%B1)、
灌木がとりまく中腹には、出家者が修行にはげんだ多くの洞窟が残る、
とある(仝上)。
仏典上、
摩掲陀國、
とされる、
マガダ国、
は、古代インドにおける十六大国の一つ。ナンダ朝のもとでガンジス川流域の諸王国を平定し、マウリヤ朝のもとでインド初の統一帝国を築いた。王都はパータリプトラ(現パトナ)、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%AC%E3%83%80%E5%9B%BD)。
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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