太子の御幸(みゆき)には、犍陟駒(こんでいこま)に乘りたまひ、車匿(しゃのく)舎人に口とらせ、檀特山(だんとくせん)にぞ入りたまふ、
の、
犍陟駒、
とは、
Kaṇṭhaka、
の音訳、
金泥駒、
とも当て、
悉達太子(しったたいし)が王宮を去って出家した時に乗った馬の名(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)、
とある。
悉達、
は、
Siddhãrtha、
の音訳。
悉達多(しったるた)、
とも当て、
目的を完成している者、
の意で、
一切事成、
等々とも訳す、
釈尊、
の名である(仝上)。
インド・ネパール国境沿いの小国カピラバストゥKapilavastuを支配していた釈迦(シャーキャ)族の王シュッドーダナŚuddhodana(浄飯(じようぼん)王)とその妃マーヤーMāyā(麻耶)の子としてルンビニー園で生まれた。姓はゴータマGotama(釈迦族全体の姓)、名はシッダールタSiddhārtha(悉達多)、
生後、占相によって命名された、
とされる(仝上・世界大百科事典)。
(仏伝図(唐時代(8~9世紀 大英博物館蔵) 三つの挿話から成る。上段は、山中で太子が車匿と犍陟に訣別する場面、犍陟は前脚を屈し、車匿は袖で顔を覆って、別離の悲しみを表わしている。中段は太子の剃髪の場面、下段は太子の苦行の場面。本図は、現在ニューデリー国立博物館に所蔵される幡(太子の出城とそれに続く王の詮議などを表わす)と本来対のものである) http://abc0120.net/words03/abc2009121202.htmlより)
車匿(しゃのく)舎人、
の、
車匿(しゃのく・さのく)、
は、
Chandaka、
の音訳、
車匿舎人(しゃのくとねり)、
ともいい、
釈迦が出家のため王城を去ったとき、御者として従い、後に出家した人の名。傲慢(ごうまん)で他の僧と和合することがなかったが、釈迦入滅後は、阿難について学び、阿羅漢果を証した、
という(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)。「阿羅漢果」の「果」については、「四向四果」で触れた。
舎人(とねり)、
は、ここでは、
貴人に従う雜人(ぞうにん)、
をいい、
牛車(ぎっしゃ)の牛飼い、乗馬の口取、
を指す(広辞苑)。
檀特山、
の「檀特」は、梵語、
Daṇḍaka、
の音訳、
だんどくせん、
とも訓ませ、
北インド(現在のアフガニスタン)ガンダーラ地方にある、
とされ、
弾太落迦(だんだらか)、
とも称する。
釈迦の前身、須太拏(しゅたぬ)太子が菩薩の修行をした所、
といい(精選版日本国語大辞典)、釈迦も師事した、
アーラーラ・カーラーマ、
が住んでいたという(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AA%80%E7%89%B9%E5%B1%B1)。日本では、平安中期から、
悉達(しった)太子が苦行した場所、
とする俗説が行なわれ(精選版日本国語大辞典)、『うつほ物語』『梁塵秘抄』『平家物語』などにも登場する(仝上)。
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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