2023年09月16日

犍陟駒(こんでいこま)


太子の御幸(みゆき)には、犍陟駒(こんでいこま)に乘りたまひ、車匿(しゃのく)舎人に口とらせ、檀特山(だんとくせん)にぞ入りたまふ、

の、

犍陟駒、

とは、

Kaṇṭhaka、

の音訳、

金泥駒、

とも当て、

悉達太子(しったたいし)が王宮を去って出家した時に乗った馬の名(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)、

とある。

悉達、

は、

Siddhãrtha、

の音訳。

悉達多(しったるた)、

とも当て、

目的を完成している者、

の意で、

一切事成、

等々とも訳す、

釈尊、

の名である(仝上)。

インド・ネパール国境沿いの小国カピラバストゥKapilavastuを支配していた釈迦(シャーキャ)族の王シュッドーダナŚuddhodana(浄飯(じようぼん)王)とその妃マーヤーMāyā(麻耶)の子としてルンビニー園で生まれた。姓はゴータマGotama(釈迦族全体の姓)、名はシッダールタSiddhārtha(悉達多)、

生後、占相によって命名された、

とされる(仝上・世界大百科事典)。

仏伝図 .jpg

(仏伝図(唐時代(8~9世紀 大英博物館蔵) 三つの挿話から成る。上段は、山中で太子が車匿と犍陟に訣別する場面、犍陟は前脚を屈し、車匿は袖で顔を覆って、別離の悲しみを表わしている。中段は太子の剃髪の場面、下段は太子の苦行の場面。本図は、現在ニューデリー国立博物館に所蔵される幡(太子の出城とそれに続く王の詮議などを表わす)と本来対のものである) http://abc0120.net/words03/abc2009121202.htmlより)

車匿(しゃのく)舎人、

の、

車匿(しゃのく・さのく)、

は、

Chandaka、

の音訳、

車匿舎人(しゃのくとねり)、

ともいい、

釈迦が出家のため王城を去ったとき、御者として従い、後に出家した人の名。傲慢(ごうまん)で他の僧と和合することがなかったが、釈迦入滅後は、阿難について学び、阿羅漢果を証した、

という(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)。「阿羅漢果」の「果」については、「四向四果」で触れた。

舎人(とねり)、

は、ここでは、

貴人に従う雜人(ぞうにん)、

をいい、

牛車(ぎっしゃ)の牛飼い、乗馬の口取、

を指す(広辞苑)。

檀特山、

の「檀特」は、梵語、

Daṇḍaka、

の音訳、

だんどくせん、

とも訓ませ、

北インド(現在のアフガニスタン)ガンダーラ地方にある、

とされ、

弾太落迦(だんだらか)、


とも称する。

釈迦の前身、須太拏(しゅたぬ)太子が菩薩の修行をした所、

といい(精選版日本国語大辞典)、釈迦も師事した、

アーラーラ・カーラーマ、

が住んでいたというhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AA%80%E7%89%B9%E5%B1%B1。日本では、平安中期から、

悉達(しった)太子が苦行した場所、

とする俗説が行なわれ(精選版日本国語大辞典)、『うつほ物語』『梁塵秘抄』『平家物語』などにも登場する(仝上)。

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 03:58| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする
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